量子力学 量子力学と論理学

量子力学

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/13 16:11 UTC 版)

量子力学と論理学

フォン・ノイマンらによる量子力学の形式化(量子力学の数学的基礎)に関連して、「観測」を命題とみなした量子論理もある。「観測」の性質を反映し、古典論理の法則のうち分配律が成り立たないなどの点で違いがある。

量子コンピュータ

計算機中の信号媒体の状態は、本来量子力学的に記述されるはずであり、0 または 1 の2値(1ビット)ではなく、 0 と 1 がそれぞれの確率で重ねあわされた途中の値を持つことがありうる。この量子論的な状態を1量子ビット (qubit) と呼ぶ。ここで複数のqubitを量子もつれ状態にすることにより、様々な数を表す状態がそれぞれの確率で重ね合わされた状態を実現することができる。量子もつれを壊さないユニタリー変換を活用してそれぞれの確率の重みを変化させることで演算を行うと、特定の問題について古典計算機では実現し得ない計算速度を実現できる。

この中には素因数分解も含まれており、Shorのアルゴリズムにより素因数分解を多項式時間で解けることが証明されている。RSA暗号は大きな桁数の素因数分解が事実上不可能である事を前提として成立しているため、楕円曲線暗号離散対数問題も含めた前提を量子コンピュータが崩すことになっている。

歴史

量子論の直接的なはじまりは、黒体放射分光放射輝度に関するマックス・プランクの研究に見られ、量子仮説を導入し統計力学からプランクの法則を再導出した1900年12月の論文[20]を発表している。ただし、この時点では今日知られるような形式の量子力学は得られておらず、量子力学の数学的な取り扱いが整備されるのは1925年以降のヴェルナー・ハイゼンベルク行列力学エルヴィン・シュレーディンガー波動力学の登場による[21]

20世紀初頭まで示されていた物理学の基礎は決定論で、物体の運動はある初期値に従って完全に定まると考えられていた。熱力学を力学の立場から説明する目的で、ルートヴィッヒ・ボルツマンらによって統計力学の理論も形成されていたが、その基礎は古典力学で、統計力学における確率的な事象はの統計的な性質だった。 一方で、同じく20世紀の初頭に建設されていった量子力学は、次第に非決定論的な性格を帯びたものであることも示され、量子力学が真に非決定論であるか、あるいは量子力学に変わる決定論的な理論が存在し得るかなどといった議論が生じ、量子力学の理論形式の解釈をめぐり論争が展開された[22]。量子力学が形成される初期において、従来のニュートン力学相対性理論と異なり、物体が時空上に定まった軌道をとらないが、実験においてはウィルソンの霧箱などを利用することで粒子の軌跡を知ることができ、見かけ上は古典的な運動が実現されていることが指摘された[23]。この粒子の飛跡を説明する過程で、ハイゼンベルクにより不確定性原理が発見され、粒子の飛跡の問題について正当性のある物理的解釈が得られるようになった。不確定性原理によれば、物体の位置運動量の両方を定めることができず、位置を精度よく定めるほど、運動量を正確には決定できなくなる[24]。しかし、位置と運動量の不確定性の積はプランク定数程度の大きさになり、霧箱の実験においては位置と運動量を充分な精度で測定することができ、粒子が連続的に運動しているように見えることについて説明付けられている。

ハイゼンベルクによって示された不確定性関係の解釈や適用範囲についても議論が続けられている。ニールス・ボーアアルベルト・アインシュタインの討論では、ベルギーのブリュッセルにおいて1927年10月24日に開かれた第5回ソルヴェイ会議を始まりに[25]1940年代の末まで断続的に続けられた[26]。この議論の中では1935年アインシュタインらによる実在性の定義が提示され[27]、量子力学における実在性と局所性の研究が行われるきっかけとなっている。

前期量子論

前期量子論(ぜんきりょうしろん)とは古典力学統計力学)の時代から、ハイゼンベルク、シュレーディンガー等による本格的な量子力学の構築が始まるまでの、過渡期に現れた量子効果に関しての一連の理論をいう[21]

量子力学成立以前の物理学において、物体の運動はニュートンの運動方程式によって説明されていた。18世紀に産業革命がはじまるとニュートン力学はただちに機械工学に応用されはじめた。毛織物などの軽工業、鉱山での採掘などで用いるために蒸気機関が発明されると、熱機関の改良にともなって熱力学が発展した。やがて、ニュートン力学によって熱力学を説明する試みによって初期の統計力学が構築された。また、19世紀になって電磁気現象の理論体系が形成され、光学的現象は空間の成す電磁場の振動、すなわち電磁波によって説明されるようになった。

産業革命がやがて製鉄などの重工業に広がりをみせるとグスタフ・キルヒホフ溶鉱炉の研究から1859年黒体放射を発見した。黒体放射のスペクトルの理論的研究は、統計力学と結びつくことによって量子力学の基礎となる理論を与え、最終的にマックス・プランクによってプランク分布が発見された(エネルギー量子仮説、1900年発表)。物理的に黒体放射をプランク分布で説明するためには、黒体が電磁波を放出する(電気双極子が振動する)ときの振動子のエネルギーが離散的な値をとることを仮定とされている(量子化の概念、プランク定数の導入。詳細は黒体放射の項を参照)。

マイケル・ファラデーカール・フリードリヒ・ガウスが幾何学的考察から見出した電磁力に関する法則をジェームズ・クラーク・マクスウェル1864年マクスウェルの方程式としてまとめ、電磁波の存在を予想した。この予想に基づいて1887年ハインリヒ・ヘルツ電磁波の実証実験に成功し、無線の発明の基礎を与えた。さらに、この実験の中で後の量子力学の端緒のひとつとなった光電効果を発見した。光電効果はその後フィリップ・レーナルトらによって実験的研究が進められた。

1905年アルベルト・アインシュタインは、プランクの用いた量子化の概念を用いて、電磁波に粒子としての性質があること(光量子仮説)を発表した。1923年アーサー・コンプトンが電子によるX線の散乱においてコンプトン効果を発見したことで有力な証拠を得た(詳細は光量子仮説の項を参照)。

1924年ルイ・ド・ブロイは、アインシュタインが1905年に発表した光量子仮説に基いて、光が粒子のように振る舞うように、物質も波のように振る舞うという仮説を立て、粒子の運動量と物質波の波長を結びつけた。ド・ブロイの仮説の正当性は後に、1927年デイヴィソン=ガーマーの実験によって示された[28]。金属結晶による電子線の回折を確認する実験は、クリントン・デイヴィソンレスター・ガーマーらの他に、1927年にジョージ・パジェット・トムソンによっても行われており、デイヴィソンとパジェット・トムソンはこの功績により1937年ノーベル物理学賞を得ている。1928年には日本の菊池正士雲母の薄膜による電子線の干渉現象を観察し、電子が波動性をもっていることを示している。

原子モデルおよび元素のスペクトルについての議論も量子力学に重要な知見を与え、ファラデーが電気分解の実験によってイオンの存在を指摘し、やがて荷電粒子によって原子が構成されていることが認められるようになった。 1911年アーネスト・ラザフォードは、ガイガー=マースデンの実験から得られた結果を元に、ラザフォードの原子模型として新たな原子構造のモデルを提案した[29]。1911年の論文においてラザフォードは、ガイガーとマースデンによって行われた散乱実験について検討し、原子は中心に集中した小さな原子核とその周囲を回る電子によって構成されると結論した。ただし、ラザフォードのモデルは既存の電磁気学と古典力学から得られる結論と両立せず、古典的な電気力学の定理をラザフォードの原子に適用すると、原子核によって加速された電子は、そのエネルギー運動量電磁波として放出して失うから、結果的に原子は速やかに崩壊してしまうことが指摘された[30][31]

1913年、ニールス・ボーアはラザフォードらによって得られた原子構造と、それ以前から報告されていた原子のスペクトル線に関する結果から、原子に束縛された電子はある定常状態にあって、定常状態の電子は電磁波を放出せず、原子のスペクトル線の周波数は電子が異なる定常状態へ遷移する際に生じるエネルギー準位の差によって決定される、という仮定を導き出した[32]。このモデルはボーアの原子模型と呼ばれている。ボーアは定常状態に関する仮定から、水素原子の問題に関する量子条件を得た。この量子条件はボーアの量子条件: Bohr's quantum condition)と呼ばれ、原子の定常状態が実現し得るためには水素原子核の周りを運動する束縛電子の角運動量換算プランク定数の整数倍になっていなければならず、後にド・ブロイの物質波を導入することで電子波が軌道上で定常波を成す条件とされるようになった。

1915年から1916年にかけてアルノルト・ゾンマーフェルトによってボーアの方法が拡張された[33]。ゾンマーフェルトによる量子条件はボーア=ゾンマーフェルトの量子化条件として知られる。ゾンマーフェルトはボーアの理論をニュートン力学の形式から解析力学の正準形式に置き換え、一つのエネルギー準位に対して、ボーアの円軌道の他に楕円軌道をとる束縛電子が存在することが示された。これにより磁場中の原子のスペクトルが分裂するという正常ゼーマン効果は、同じエネルギー準位を持つ異なる電子軌道が、磁場によって別々のエネルギー準位を持つことが判明した。

ボーアのモデルについて、1917年アルベルト・アインシュタイン原子核崩壊からの類推によって電子・原子核系である原子の状態遷移が確率的に起こるというモデルを導入した。アインシュタインは、自身のモデルと古典的な統計力学を組み合わせることにより、原子集団の熱放射のエネルギー分布としてプランクの公式が得られることを示した[34][35]

1920年、ゾンマーフェルトはアルカリなどにおけるスペクトルの多重構造と異常ゼーマン効果を説明するために、角運動量に関する半整数の量子数を新たに導入した[36]。この原子が持つ新たな角運動量を説明する理論として、原子の芯が角運動量を持つというモデルが考案された。1921年アルフレート・ランデ英語版はこの磁気芯モデルに基いて量子論的な角運動量の合成則を導き、また1923年には異常ゼーマン効果を与える公式を導いた[37]。異常ゼーマン効果を説明するにあたり、ランデはg因子と呼ばれる因子を導入し、その値が正確に「2」であることを述べた[38]

一方でヴォルフガング・パウリは磁気芯モデルのように原子の芯が角運動量を持つのではなく、軌道電子が持つ非古典的「2」値性によって異常ゼーマン効果が起こるという見方を示し、1924年12月に排他原理と呼ばれる量子論の非古典的な原理を得た[39]。このパウリの「2」値性について、1925年にラルフ・クローニッヒは電子の自転と結びつけるアイデアを示したが、パウリはクローニッヒのモデルを非現実的なものとして受け入れなかった[40](電子が古典的な自転運動をするというモデルには、電子が自転する際に持つべき角運動量の大きさを実現するためには電子表面の速度が光速を超えていなければならないという困難があった)。1925年、サミュエル・ハウシュミットジョージ・ウーレンベックはクローニッヒと同様の電子の自転モデルを考え、「電子は軌道角運動量の他に量子化された角運動量を持ち、ある方向について上向きと下向きの 2 つの自由度を持つ」とし、磁気芯モデルに基づくランデの計算の再評価を行った。 この電子が持つ新たな角運動量はスピン角運動量と呼ばれている。1921年に磁気モーメントの量子化を確認する目的で行われたシュテルン=ゲルラッハの実験において、不均一磁場を通した銀原子線が2つに分岐する現象はこのスピン角運動量の自由度によって説明されている[41]

量子力学の完成

量子力学の発展に貢献した科学者達。第5回ソルベー会議(1927年)にて。

1925年ヴェルナー・ハイゼンベルクが最初の統一的な量子力学の理論として、それまでの量子論における状態の遷移に関する規則を一般化し、位置のような運動学的な量と、運動量のような力学的な量を結びつけた。このハイゼンベルクの方法は、マックス・ボルンパスクアル・ヨルダンポール・ディラック、そしてハイゼンベルク自身によって発展され、同年の1925年に行列力学として定式化された[42]。ハイゼンベルクらによって、量子力学は非可換代数として認識されるようになった。

ド・ブロイが提案した物質波の概念を発展させる試みから、ピーター・デバイの指摘に促され、シュレーディンガーは1926年シュレーディンガー方程式に至った[43]。同じく1926年に、シュレーディンガーはハイゼンベルクらによる行列力学と自身の波動力学の対応関係を示し、両者の理論が数学的に等価であることを示した[44]。シュレーディンガーによって、ド・ブロイが描いた物質の波動的描像が明確に示された。しかし、当初ド・ブロイやシュレーディンガーが思い描いたような空間に広まった物質の波動という描像は、波動関数が配位空間英語版上を動く波であって実空間上の波動ではないことなどから否定的にも見られている[45]

1926年のシュレーディンガーの発表を受けて、ボルンは同じ年に波動関数確率解釈を提示した。ボルンが示した要請はボルンの規則と呼ばれている。

ハイゼンベルクらによって発展された行列力学と、シュレーディンガーらによって形成された波動力学は、いずれも演算子形式の非相対論的量子力学における特別な形式の一つである。時間発展の役割を演算子に負わせた形式をハイゼンベルク描像といい、ハイゼンベルク描像における量子力学の基本方程式をハイゼンベルクの運動方程式と呼ぶ。同様に状態ベクトルの時間発展として量子系を描く描像をシュレーディンガー描像といい、シュレーディンガー描像における基本方程式をシュレーディンガー方程式と呼ぶ。あるいは、状態ベクトルを固有状態で展開した際、その固有状態の係数として現れる波動関数の時間発展方程式もシュレーディンガー方程式と呼ばれる。本来、シュレーディンガーが見出した形式は波動関数に関するものである。

1927年にはハイゼンベルクによって不確定性原理が示された。ボーアは、不確定性原理を基礎として量子力学の物理的解釈を構築し、相補性の概念を導入することで量子力学の物理的な基礎づけを試みた。ボーアに始まる、不確定性と確率解釈を統合する物理的な描像はコペンハーゲン解釈とされている。量子力学の解釈については大きな議論も巻き起こり、確率解釈を嫌ったアインシュタインは「神はサイコロを振らない」とした。

ハイゼンベルクやシュレーディンガーらによって示された量子力学は非相対論的な理論で、相対論的な量子力学の定式化はシュレーディンガーが波動力学を模索するにあたり、非相対論的理論を構築する以前に試みられていたが、既存の結果に一致するものは得られていなかった。相対論的な形式として、1926年にクライン=ゴルドン方程式が示されたが、クライン=ゴルドン方程式はスピン角運動量を含まず、波動関数の確率解釈を適用するには、確率が負になるという困難があった。 1928年の1月にポール・ディラッククリフォード代数を導入することにより、確率が負にならない相対論的量子力学を構成した。ディラックが導いた方程式はディラック方程式と呼ばれている。

また、ディラックは1939年ブラ-ケット記法を導入した。ディラックに因みブラ-ケット記法はディラック記法: Dirac notation)とも呼ばれている。ブラ-ケット記法とは、ヒルベルト空間のようなある空間上の状態ベクトルをケット: ket)、その双対空間上のベクトルをブラ: bra)で表す記法のことで、ブラとケットの自然な積として波動関数の内積などを簡潔かつ視覚的に示す目的で利用される。

ジョン・フォン・ノイマンらにより、量子力学の数学的に厳密な形式化(基礎)が確立された(『量子力学の数学的基礎』(1932) 他)。

量子力学の完成以降の発展と応用

量子力学の定式化が行われるようになって、現代物理学では量子力学とアインシュタインの相対性理論が最も一般的な物理学の基礎理論であると考えられるようになった。その後、電磁相互作用、重力相互作用を量子力学に組み込むことが求められるようになった。それぞれ、特殊相対性理論一般相対性理論と量子力学の橋渡しをしてひとつの定式化された理論を目指すことに相当する。

1950年代にリチャード・ファインマンフリーマン・ダイソンジュリアン・シュウィンガー朝永振一郎らによって量子電磁力学が構築された。量子電磁力学(りょうしでんじりきがく、: Quantum electrodynamics: QED)とは、電子を始めとする荷電粒子間の電磁相互作用を量子論的に記述する理論である。一方、量子力学と一般相対性理論を合わせた理論(量子重力理論)は、いまだ完成されていない。

さらに素粒子物理学の発展によって従来考えられていなかった電磁力や重力以外の基本相互作用が認められるようになった。量子色力学が研究されるようになり、1960年代初頭から始まる。今日知られる様な理論はデイヴィッド・ポリツァーデイヴィッド・グロスフランク・ウィルチェックらにより1975年に構築された。すべての基本相互作用を含む大統一理論の探求がおこなわれている。

これまでに、シュウィンガー、南部陽一郎ピーター・ヒッグスジェフリー・ゴールドストーンらと他大勢の先駆的研究に基づき、シェルドン・グラショースティーヴン・ワインバーグアブドゥッサラームらは電磁気力弱い力が単一の電弱力で表されることを独立に証明している(電弱理論)。

量子力学の成立によって物性物理学の発展に基づいた現代の工学の発展は可能になった。今日のIT社会ないし情報化社会と呼ばれる状況を成立させている電子工学も、半導体技術などが量子力学をその基盤としている。量子力学はまた化学反応の現代的な記述を可能にし、量子化学の分野が発展した。

脚注


注釈

  1. ^ 本記事名である量子力学は、ここで述べた狭義の「量子力学」と場の量子論を双方を含む広義のものである。狭義の「量子力学」を区別する為にここでは「」を付けて「量子力学」と表記した。

出典

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  45. ^ 山本 1999, p. 47, 1. 量子仮説と原子理論の最近の発展.






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