前期量子論とは? わかりやすく解説

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ぜんき‐りょうしろん〔‐リヤウシロン〕【前期量子論】

読み方:ぜんきりょうしろん

古典量子論


前期量子論

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/06/01 02:22 UTC 版)

前期量子論(ぜんきりょうしろん、Old quantum theory)は古典力学統計力学)の時代から、ハイゼンベルク行列力学シュレーディンガー波動力学等による本格的な量子力学の構築が始まるまで(1920年代中頃)の、過渡期に現れた量子効果に関しての一連の量子論的理論[1]

前期量子論の発展

プランクの輻射の理論

前期量子論はプランクによる黒体放射(輻射)の理論(エネルギー量子仮説)により始まった。黒体からの放射は実験的にある波長に極大を持ち、その波長は黒体の温度の増加にともない短波長側にシフトすることが知られていた。この、一見単純な現象を古典力学(統計力学)の枠内で定式化したレイリージーンズの扱い(レイリー・ジーンズの法則)に従えば、黒体からの放射強度は短波長になるに従い強くなり波長0の極限では発散する。この理論と実験の矛盾を解消するために、プランクは黒体内の放射場のエネルギーが振動数に比例した特定の値を単位としてしか変化できないという「量子化」という概念を提唱し、振動数とエネルギーを結びつける定数(プランク定数h を導入した。この仮定に基づいてプランクが導出した式は黒体放射の実験結果と一致した。

アインシュタインの光量子仮説

プランクに続き、アインシュタイン量子化の概念をに拡張し、光電効果を説明するために光量子仮説を提唱した。光量子仮説に従えば振動数 ν の光は電磁波波動)であると同時に E = hν というエネルギーを持つ粒子として振る舞う。この考え方は放射場のエネルギー変化を不連続としたプランクの概念を他の系に拡張するものであり、プランクの理論に味方するものであるにも拘わらずプランク自身は難色を示した。

スペクトル公式の発見

ボーアの原子構造論

原子の構造から元素の周期律と化学結合を説明しようというJ. J. トムソンがその原子模型で目指した目標を、アーネスト・ラザフォードの原子模型を下敷きに、作用量子と呼ばれるものを導入する事で達成しようという企てから生まれたニールス・ボーアの原子構造論[2]は、それまで輻射や光の量子条件に係る理論でしかなかった量子論に、原子の構造を記述する理論という新たな一面を与えた[注 1]

量子力学への端緒

ボーアの対応原理の拡張とその無限行列表現

ド・ブロイの物質波とそれが満たすべき波動方程式

アインシュタインらによって、光電効果コンプトン効果などを説明するにあたっては、波動現象であるはずの電磁波は、ひとまとまりのエネルギーと運動量を持つ粒子状のものとしても振る舞うと考えざるを得ないことが明らかにされた。このとき、振動数 ν の電磁波のエネルギー E と運動量 p

カテゴリ

前期量子論

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/04 21:00 UTC 版)

量子論」の記事における「前期量子論」の解説

量子力学発達する以前にも、その根底にある原理についての深い理解はなされていなかったにせよ、特定の物理量量子化されるという仮説や、時には粒子と波動の二重性あらわれということは知られていた。これらの理論は、それぞれに対応する対象外れると、具体的な予言はできなかった。これら量子力学先駆け称して前期量子論と呼ぶことがある1900年マックス・プランク黒体放射周波数分布についての観測結果説明する式を編み出した。このプランクの法則呼ばれる法則は、黒体上の振動子エネルギー準位離散的であることを仮定して導かれたものであったプランクは、このエネルギー量子化物質の性質であって、光そのもの性質ではないと考えていた。このモデルでは、物質固定されエネルギー準位しか取ることができないために光は物質固定エネルギー量しか交換することができないであって、光は単に物質影響受けているにすぎないとされた。そして、彼はエネルギー量 ΔE と光の周波数 ν の間に ΔE = hν という関係があるということを見いだしたアルベルト・アインシュタイン1905年光電効果説明するためにこれらの概念拡張し、光そのものエネルギー量子化提唱した光電効果とは、特定の色の光が金属表面から電子叩き出すことができるというものである。ここで、光線は常に同じ、周波数比例する量のエネルギーしか個々電子与えることができないものとされ、これは光の性質であるとされた。このためアインシュタインエネルギー準位量子化されているのは物質内部だけではなく、光そのもの光量子呼ばれる特定のエネルギー量しか持てない結論づけた。この概念は、光が純粋に波動存在であることとは相容れない。従って、光は古典的波でも古典的粒子流れでもなく、むしろ場合によってそのどちらか性質を示すものである考える必要が出てきた。 1913年ニールス・ボーアは、水素原子のスペクトル説明するために量子化されたエネルギー準位概念用いた彼のにちなんボーアの原子模型呼ばれるこのモデルでは、水素原子中の電子特定のエネルギー持って原子核周回する仮定される。ここで、電子依然として古典的粒子考えられているが、特定のエネルギーか持つことができず、そのエネルギーをもって原子核を回る電子古典電磁力学に反して電磁波発生させず、エネルギー失わないという条件課された。ボーア用いた仮定実験的な確認は、1914年フランク=ヘルツの実験により行われた。特にアーノルド・ゾンマーフェルトにより、水素以外の原子スペクトル説明できるよう、ボーアの原子模型電子楕円軌道取れるよう拡張された。しかし、この目標十分に達成されなかった。また、ボーア彼の仮定ドイツ語版)を正当化する理由として、水素原子スペクトルドイツ語版)が説明できること以外を挙げられなかった。より深い理解のためには、彼のモデルでは不十分だった1924年ルイ・ド・ブロイは、全ての物質波動性質を示すことがあり、その逆で波も粒子性質を示すことがあるとする、物質波理論発表した。この理論により、光電効果ボーアの原子模型を共通の原因から説明することができた。原子核周り電子軌道定在波考えられる。この考え方による計算上の電子の波長と、ボーアの原子模型における軌道周長はよく一致することが確かめられた。しかし、水素以外の原子スペクトル説明依然としてできなかった。 ド・ブロイ理論三年後に二つ独立行なわれた、電子回折検証する実験により確認された。 イギリス物理学者ジョージ・パジェット・トムソンは、電子線金属薄膜透過させ、ド・ブロイ予測した干渉縞観測した同様の実験は、ベル研究所クリントン・デイヴィソンとチャールズ・クンスマンにより既に1921年ニッケルによる電子線反射回折用いて行われていたが、そのころはまだ干渉解釈されていなかった。デイヴィソン助手レスター・H・ジャマードイツ語版)は、1927年に再実験行い観測され明瞭な回折パターンド・ブロイ物質波理論用い説明した

※この「前期量子論」の解説は、「量子論」の解説の一部です。
「前期量子論」を含む「量子論」の記事については、「量子論」の概要を参照ください。

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