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えどがわ えどがは 【江戸川】
えどがわ ―がは 【江戸川】
(2)隅田川の支流。神田上水の余水を文京区関口台付近で受け、飯田橋付近で外堀の水を併せて神田川となる。
(3)東京都東部、二三区の一。江戸川(1)と荒川とに挟まれ、東京湾に面する。
日本の川 |
江戸川
| 江戸川は、茨城県五霞町・千葉県野田市で利根川から分かれ、茨城県・千葉県・埼玉県・東京都の境を南下して東京湾に注ぐ、流路延長約60km、流域面積約200km2の一級河川です。左岸には千葉県市川市、松戸市、流山市、野田市、右岸には東京都江戸川区、葛飾区、埼玉県三郷市、吉川市、松伏町、春日部市(旧庄和町)、杉戸町、幸手市、茨城県五霞町をかかえ、首都圏の洪水防御、生活用水の水源の安定的な確保、都市に残された貴重なオープンスペースとしての河川空間など重大な使命を担っています。 現在の江戸川の流れは、利根川水系の河川改修工事に伴い江戸時代初期に誕生したもので、当時から「江戸の運河」として舟運に盛んに利用され、主要な水上交通ルートとして栄えてきました。今日のように江戸川と呼ばれるようになったのもその頃のことといわれています。江戸川に注ぐ主な支川には、上流から座生川、利根運河、今上落、坂川、真間川があり、江戸川から分かれる派川には旧江戸川があります。 |
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| 茨城県五霞町、千葉県野田市で利根川から分派する江戸川 |
| 河川概要 |
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![]() ○拡大図 |
| 1.江戸川の歴史 |
| "江戸川流域は、17世紀の江戸幕府に始まる400年間の治水事業の積み重ねにより、かつての湿原地帯から、東京の東部としての高度な土地利用を見る現在の姿に変貌しました。 江戸時代、江戸川沿いには河岸湊が発展し、川と道との接点にある宿場(松戸宿など)が独自の文化をもつ都市として発達しました。" |
| 江戸川は茨城県五霞町・千葉県野田市地先で利根川から分派し、茨城県、千葉県、埼玉県、および東京都の境を南に流れて、東京湾に注ぐ流域面積200km2、流路延長60km(江戸川河川事務所資料)の一級河川です。 この江戸川は、江戸時代、人工的に造られた河川です。現在は千葉県銚子に注いでいる利根川は、江戸時代以前は埼玉平野をいく筋にもながれて、東京湾に注いでいました。当時、江戸川下流はその支川の一つで、太日川とよばれていました。徳川家康が命じたといわれている、江戸時代初期に行われた利根川の東遷事業(東京湾にそそいでいた利根川を現在の銚子方面へ切りかえ)の一環として1600年代初頭、現在の千葉県関宿から金杉(埼玉県松伏町)までの18kmが開削され、江戸川は誕生しました。
江戸川をはじめとする利根川水系の整備によって、舟運路が整備され、江戸川は大都市江戸へ各地からの年貢米など物質を運ぶ輸送経路として繁栄しました。河川沿いには、河岸とよばれる港が整備され、大きな河岸は野田や松戸など、現在も流域発展の拠点となる独自の文化をもつ都市として発達しました。舟運は鉄道が発達する大正まで、江戸川の持つ最も大きな役割の一つでした。 |
| 2.地域の中の江戸川 |
| "江戸川の下流部にある葛飾区に大正5年に金町浄水場が作られ水道水の供給が始まりました。その後も江戸川の水利用は増加し、現在では首都圏760万人の水道用水、工業用水、農業用水として利用され地域の暮らしを支えています。河川敷は運動場や公園、ゴルフ場、その他上流部では牧草地や滑空場としても使われています。夏には花火大会が沿川各所で行われるとともに凧揚げ大会やカヌー大会、ウォーキング大会など、季節に応じて様々なイベントが開催され多くの人で賑わっています。平成12年度の調査では年間約460万人の方に利用されてます。" |
首都圏の暮らしを支える江戸川
現在(H15年度)では、江戸川の水は首都圏760万人の水道用水、140社以上の工業用水、5,700haを灌漑する農業用水として、流域の生活をささえています。その量は毎秒60m3/sにもなります。
○市民団体の活躍
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| 3.江戸川の自然環境 |
| "江戸川の上流部は、農耕地が広がり田園河川の様相を呈しています。中流から下流部は広大な河川敷があります。その多くは公園、グランド等に整備され都市部の貴重なレクリエーション空間となっています。河口部の行徳可動堰より上流は淡水域で全川にわたりコイ、フナ等の魚類やマシジミ、テナガエビ等の底生生物、カゲロウ、トビゲラ等の仲間も確認されています。流れの緩やかなところでは、カルガモ、コガモ等のカモ類が見られます。陸域を見ると、公園、グランド、採草地等の人工的に利用されている高水敷きでは一年草、越年草のイネ科草木等が生育しており、草原に依存するシギ、ヒバリ等の鳥類、キアゲハ、トノサマバッタ等の昆虫類、アマガエル、狐等の小動物も見られます。" |
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江戸川の環境 江戸川流域は、左岸側に関東ローム層で覆われた下総台地が、右岸側には標高10m以下の低地がひろがっています。これは、古くからの利根川水系の流れによってつくられた沖積低地と呼ばれる地形です。沖積低地には、太古から繰り返された洪水によって運ばれた砂礫が、海面下50mにまで堆積しています。
江戸川放水路河口部から市川市、浦安市、船橋市沖合は三番瀬と呼ばれる約1,600haの干潟と浅海域があり、干潟に生息するゴカイ類、カニ類等が豊富です。また、それを餌とするシギ・チドリ類が多く生息し、渡り鳥の中継、越冬地点としても重要な役割を果たしています。
行徳可動堰を越えると、水深があり、流れは穏やかになり、フナなどの淡水魚がみられます。水面はカモ類などが飛来するほか、海からカモメ類もやってきます。陸域は、東京都と千葉県の県境を流れる区間であることもあり、高水敷利用が進んでいるために、生物の多様性は少なくなっています。 さらに上流になると、流れは緩やかで、河床は砂質となり、トビケラ・カゲロウ類などの水生昆虫が多く生息します。河岸にはヤナギ類が繁茂し、ワンドやよどみ、中水敷などもみられ、多様な生息環境が見られます。高水敷上の自然地にはタヌキ、キツネなども生息しています。 最上流の利根川との分派地点下流では、沿川の斜面林や農耕地との関連性が高くなり、ノスリ、オオタカなどの猛禽類等が見られることもあります。
(写真:江戸川河川事務所資料) |
| 4.江戸川の主な災害 |
| "江戸川では、昭和22年9月のカスリーン台風の利根川の決壊により、流域の東京・埼玉の約80,000haが浸水し、多くの人命・財産を失った歴史があります。近年において幸い破堤や越水を伴うような洪水被害は起きていませんが、河川整備が十分ではない現状では、大洪水に対して十分安全とは言い切れず、万が一、江戸川が破堤した場合は人口・資産・情報・交通機能が集積した首都圏に与えるダメージは計り知れないものがあります。" |
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江戸川流域の主な災害 江戸川では古来より数多くの洪水被害を受けていますが、昭和22年9月のカスリーン台風による洪水では、利根川の決壊により、流域の東京・埼玉の約80,000haが浸水し、多くの人命・財産を失った歴史があります。普段はおだやかに流れる江戸川も、大洪水になると満々とした濁流を安全に流下させる役割があります。近年において幸い破堤や越水を伴うような洪水被害は起きていませんが、河川整備が十分ではない現状では、大洪水に対して十分安全とは言い切れず、万が一、江戸川が破堤した場合は人口・資産・情報・交通機能が集積した首都圏に与えるダメージは計り知れないものがあります。
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(注:この情報は2008年2月現在のものです)
河川・湖沼名辞典 |
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江戸川
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2012/01/09 16:02 UTC 版)
| 江戸川 | |
|---|---|
千葉県流山市流山
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| 水系 | 一級水系 利根川 |
| 種別 | 一級河川 |
| 延長 | 59.5 km |
| 水源の標高 | 8.6 m |
| 平均流量 | 109.96 m³/s (野田観測所1999年) |
| 流域面積 | 200 km² |
| 水源 | 利根川(茨城県五霞町) |
| 河口(合流先) | 東京湾(千葉県市川市) |
| 流域 | 茨城県、千葉県、埼玉県、東京都 |
江戸川(えどがわ)は、関東地方を流れる一級河川。利根川水系の分流(派川)である。流路延長59.5km(旧江戸川河口より)、流域面積約200km²。流域は、茨城県、千葉県、埼玉県、東京都の1都3県におよぶ。
目次 |
地理
茨城県猿島郡五霞町と千葉県野田市の境界付近にある関宿分基点で利根川と分かれ、千葉県と埼玉県、東京都の境を南に流れ、千葉県市川市付近で本流である江戸川と旧流路である旧江戸川に分かれる。
現在の江戸川の最下流部は、放水路として建設され、行徳可動堰(江戸川河口堰)を通り、千葉県市川市で東京湾に注ぐ。1960年の河川法改正に伴い、この区間の名称が江戸川放水路から江戸川になったものの、依然として江戸川放水路の呼び名が使われることが多い。
現在でも天然うなぎが捕れるほか、江戸川の河口付近は、三番瀬など東京湾でも数少ない干潟が広がる地域でもあり、トビハゼの北限生息地となっているほか、汽水性の希少なトンボであるヒヌマイトトンボの生息地のひとつでもある。
利根川から江戸川に流れる水は関宿水門で水量を調整され、江戸川下流の住宅地が水害にあわない様になっている。江戸川は北千葉導水路からの水を合わせて首都圏の上水道を支えている。しかし、江戸川が比較的人口の多い地域を流れるため、水質が良いとは言えず、浄水場によっては高度処理を行う事で対応している。
旧江戸川河口にある堀江量水標の零位は、Yedogawa Peilの略である「Y.P.」(ワイ・ピー)と呼ばれ、利根川や江戸川、霞ヶ浦、鬼怒川、小貝川等の利根川水系の河川を測量する際の基準面となっている。Y.P.0m=T.P.-0.8402mである(「T.P」はTokyo Peilの略で、東京湾の平均潮位を零位として、山の標高や河川などの水位を測量するときの基準面となっている)。
歴史
古くは太日川(おおいがわ又はふといがわ・太日河)とよばれる渡良瀬川の下流部であり、利根川とは別に江戸湾(東京湾)へと流れていた。
伊奈忠次、伊奈忠治らによる利根川東遷事業が始められ、江戸川に利根川の水が流れるようになり、1641年には現在の江戸川上流部が人工水路として開削された。なお、江戸川下流部も人工水路であるという説[1]もある。
1654年に赤堀川掘削工事が完成して、利根川の銚子への放流が始まった。その結果、江戸川は、東北地方や北関東からの物資を涸沼と霞ヶ浦、および銚子から利根川経由で江戸へと運ぶ流通幹線となった。房総半島を周回する海路よりも距離が短く安全性も高かったので、流域には河岸が作られて大いに賑わう事となった。江戸川周辺からも、野田の醤油、流山のみりんなどが産物として江戸に運ばれている。
1890年には、利根運河を開いて水路短縮が図られたが、その後すぐに鉄道網が整備され、水運は急速に衰退していく事となった。
1919年には、河口部に江戸川放水路が開削され、放水路が本流となった。もとの流れは旧江戸川と呼ばれるようになる。
1958年に東京都江戸川区の製紙工場から黒い排水が放流され、下流域の漁業に大きな損害を与える公害が発生した。
詳細は「江戸川漁業被害」を参照
1965年に、江戸川放水路が江戸川となり、もとの流れは旧江戸川と呼ばれるようになる。
支流・分流
- ^ 川上しのぶ「江戸川は下流域も人工河川」
- 1 江戸川の概要
- 2 河川施設
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