都市
大都市
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「イタリアの地方行政区画」の記事における「大都市」の解説
大都市(Città metropolitana)は、2019年現在14ある。なお、自治体名 Città metropolitana di xxx の訳語としては 「○○大都市」、 Città metropolitana di Roma Capitale の訳語としては 「首都ローマ大都市」とする例がある。 イタリア共和国憲法に地方自治体の一種として規定されており、地方自治統一法典では県と同等の権限を有すると規定されていたが、長らく置かれていなかった。 2014年、「大都市、県、コムーネの連合および合併に関する規定」によって、県級の広域自治体として「大都市」の規定が行われた。2015年までに通常州管下でローマ県、ミラノ県、ナポリ県、トリノ県、バーリ県、フィレンツェ県、ボローニャ県、ジェノヴァ県、ヴェネツィア県、レッジョ・カラブリア県の10県が「大都市」に移行。シチリア州ではメッシーナ県、カターニア県、パレルモ県が2015年に「大都市」となり、サルデーニャ州では2016年にカリャリ県が「大都市」に改変された(この際、付近の広域自治体の再編も行われた)。 大都市の首長は大都市長(Sindaco metropolitano)と呼ばれる。大都市長は、その中心都市の市長が兼任する(たとえば、ミラノ大都市長はミラノ市長が兼ねている)。また、大都市議会は間接選挙制であり、大都市に含まれるコムーネの長およびコムーネ議員の互選によって議員が選ばれる。
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大都市
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「ネパールの都市の一覧」の記事における「大都市」の解説
大都市(महानगरपालिका(ネパール語))の制定規準は以下のとおり。 人口30万人以上。 単年度予算は4億ルピー以上(40 クローNPR以上)。 社会基盤として電気、上水道、電話網が整備されている。 幹線道路と連絡道路は舗装されている。 病院、医療系高等教育機関など高度な医療サービスの整備。 国際試合の規定に準拠するスポーツ施設。 高等教育機関の充実。大学が1校以上あること。
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大都市
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詳細は「大都市」を参照 いわゆる「大都市」といった場合には、名目(人口と面積)ではなく、実質(中心市街地の機能や密度)が過度に集中している都市であり、一般に「過密都市」と呼ばれる都市を指す。一個の媒体(城・港など)から端を発して、それが巨大化したのが特徴的である。また、商業・交通・娯楽など、全面において充実度が高い。 日本の総務省は、大阪市、横浜市、神戸市、名古屋市、札幌市、福岡市、仙台市など政令指定都市を指して大都市と称しているが、一般的には、これに特別区である東京都の23区も加わる。なお、札幌市・静岡市・浜松市・京都市など、合併で面積が広がった結果として周辺部に過疎地域を抱える大都市も有る。
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大都市
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/08 02:06 UTC 版)
下表はマイアミ都市圏の大都市20傑であり、人口順に並べる。 順位都市郡2000年の人口(人)2010年の人口(人)2014年の人口(人)2010年から2014年の増減率 (%)1 マイアミ マイアミ・デイド郡 362,470 399,457 430,332 !D0025601593299 +7.73% 2 ハイアリア マイアミ・デイド郡 226,419 224,669 235,563 !D0030264160289 +4.85% 3 フォートローダーデール ブロワード郡 152,397 165,521 176,013 !D0027584850129 +6.34% 4 ペンブロークパインズ ブロワード郡 137,427 154,750 164,646 !D0027496802764 +6.39% 5 ハリウッド ブロワード郡 139,357 140,768 148,047 !D0029621196550 +5.17% 6 ミラマー ブロワード郡 72,739 122,041 134,989 !D0022434157177 +10.61% 7 コーラルスプリングス ブロワード郡 117,549 121,096 127,952 !D0028714594381 +5.66% 8 マイアミガーデンズ マイアミ・デイド郡 100,758 107,167 112,265 !D0030455400594 +4.76% 9 ポンパノビーチ ブロワード郡 78,191 99,845 106,105 !D0027694387983 +6.27% 10 ウェストパームビーチ パームビーチ郡 82,103 99,919 104,031 !D0031904503296 +4.12% 11 デイビー ブロワード郡 75,720 91,922 98,895 !D0025788948431 +7.59% 12 マイアミビーチ マイアミ・デイド郡 87,933 87,779 91,732 !D0031003475077 +4.50% 13 プランテーション ブロワード郡 82,934 84,955 91,457 !D0025700118826 +7.65% 14 ボカラトン パームビーチ郡 74,764 84,392 91,332 !D0024981708358 +8.22% 15 サンライズ ブロワード郡 85,779 84,439 91,256 !D0025166098878 +8.07% 16 ディアフィールドビーチ ブロワード郡 64,583 75,018 78,881 !D0029662840010 +5.15% 17 ボイントンビーチ パームビーチ郡 60,389 68,217 73,124 !D0026320310435 +7.19% 18 ローダーヒル ブロワード郡 57,585 66,887 70,626 !D0028841864323 +5.59% 19 ウェストン ブロワード郡 49,251 65,333 69,100 !D0028532183397 +5.77% 20 ホームステッド マイアミ・デイド郡 31,909 60,512 65,524 !D0024910066554 +8.28%
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大都市
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/17 20:52 UTC 版)
唐代に発展した大都市は都である長安の外に、北部の洛陽、南部の揚州、成都、広州などが存在した。 長安は、唐代のほとんどの期間、唐の都であり続けた。人口は約100万人が従来からの通説であり、現在は諸説あるが、各説100万人の前後であることが多く、世界最大の人口を持つ都市である説が有力である。宮城が東に存在したため、長安の東には貴族や官僚が住み、西側に庶民が住んでいた。東西に存在した二つの市である東市と西市を中心に、商業地区が生み出された。東市の周りの坊には、北里と呼ばれた多数の妓楼のある歓楽街や旅館街、飛銭を発行をする進奏院、胡姫(外国人の少女)が給仕を行う酒場が存在した。また、庶民が多数居住した西市の周りには、西域から来たソグド商人が経営する金融業者、宝石商が店を構えていた。また、多数の地方から来た流寓者が西市付近に住み、スラム街となり、「客戸坊」と呼ばれていた。時代に進むにつれ、皇族、高官、宦官が街の東北部の宮城の近くを占めていった。市には、数百の行があり、邸店が立ち並んでいた。東市では高級品を主に扱ったが、商人は西市に集まり、西市の方がにぎやかであった。街中に飲食店が店を開いていた。盛唐から、運河の改良により、船で各地の食糧や特産品が運ばれるようになった。胡人は、突厥やソグド、回鶻人だけではなく、アラビア、ペルシャ、インド人なども多く、そのため、長安は世界でもっとも繁栄した国際都市となった。また、長安は関中という盆地にあり、要害に囲まれ、監牧地が近くに存在し軍馬が容易に供給されたため、防衛上の機能は高かったが、輸送上の問題があった。そのため、しばしば食糧難に陥り、盛唐までは皇帝は洛陽に移動することが多かった。また、シルクロードをつたって、西域国家経営を行い、西域とつながるために適した地勢でもあった。 洛陽は、華北平原の西に存在し、江南から長安から続く経路にあたり、大運河へ黄河に乗り換える中継点であった。人口100万人を超えたと称していた時期もある。洛陽には「北市」、「南市」、「西市」と三つの市場が存在し、それぞれが運河沿いに立地していた。ただし、西市の存続期間はわずか2~30年であった。北市には各地の船が一万艘ほど停泊し、水路を埋め尽くし、ソグド商人たちが逗留し、金融業や香料、珠玉、象牙などの外国商品を扱い、大変なにぎわいを見せていた。北市の周りには、貧困な流寓者が集まる「糠市」が存在した。南市は二つの坊にまたがり、120種類の行があり、店舗や邸店が立ち並んでいた。ゾロアスター教の寺も3つ存在した。華北や江南から、長安へ送られた来る穀物はいったん、洛陽で集積されて、運ばれていった。洛陽は長安からの東方へ結ぶための都市であり、長安と相互補完の関係にあった。武則天が執政を行う時代に都が移ったこともある。 揚州は、揚州は海岸と長江、大運河の交差点にあたり、大運河がまちを通過する水運の要衝であった。また、造船業も発達とともに、全国の商品の集散地となり、江南経済の発展とともに、重要性は増していった。揚州は海外への貿易港も存在したため、貿易都市として発展し、人口も5,60万人にまで大幅に増加し、国内外の商人が集まる都市となった。揚州に集まる外国船は、ペルシャ、アラビア、朝鮮、日本のものが存在し、多数のアラビア人やペルシャ人が在住した。盛唐以後は市制は崩されて、坊壁はとりはらわれ、通りに面して店舗を建て、さらに後には夜市も開かれた。また、揚州は江南の海塩の集散地でもあり、塩商人が集まり繁栄した。商品として、米、塩、金銀器、絹、木材、茶などが取引され、揚州で積み替えられて華北へ運ばれた。金や銀の両替も行われた。宋代初期まで繁栄した。 成都は、蜀地方が温暖な地方で水運が開け、隋末の戦乱もなかったため、発展した。特産品としては、養蚕、絹と紙が存在した。絹は上等なものは蜀錦として知られた。また、成都では毎年春に『蚕市』と呼ばれる市が城内各地に立てられ、人々は群がったと伝えられる。紙は品目も多く、質も優良で名産地として知られていた。特に、『薛濤箋』という唐代の妓女の名を冠した紙は有名であった。成都も人口が約50万人いた。 揚州と成都は特に発展した商業都市であり、『楊一益二』と言われ、文人たちの楽園として知られていた。 広州は、玄宗時代に、東南貿易を統括する市船司が広州に設けられたため、海上貿易の中心地となり栄えた。唐代初期は疫病が多い地帯であったが、次第に漢化されていった。東南アジア各国やインド、スリランカ、ペルシャ、アラビアなどの西アジア国家の外国商船が訪れ、貿易を行った。広州には蕃坊という外国人の居住区が設けられ、居住する外国人の指導者が自治を任されていた。外国人も市制に従い商売を行ったが、広州には夜市も存在した。広州の貿易は、大きな富をもたらしたため、市船司の長官に利得を目的として、宦官が頻繁に就任し、また、広州の長官も財を貪るものが多く、684年に長官が外国人に殺され、758年に外国船に襲撃されたりする事件が起きている。広州には多数の外国人が滞在していた。唐末の黄巣の乱において、広州が陥落し、かつての繁栄を取り戻すことはなかった。この時、虐殺された外国人の死者は12万人以上であったという記録もある。
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「大都市」の例文・使い方・用例・文例
- 何が人を大都市へ引き寄せるのだと思いますか
- 横浜は大都市だ
- 大都市
- その銀行は大都市全部に支店がある
- 大都市,大都会
- 大都市はたいてい交通網や通信網がよく整備されている
- 田舎での生活は大都市に比べると安く済む
- 日本の人口は大都市に集中している
- 大都市で犯罪は増加している
- 東京のような大都市
- 東京は日本の大都市である
- 大都市圏,首都圏
- 人口の大部分が大都市に住んでいる
- 大都市に住みたいのならひどい公害を我慢しなければならない
- 大都市は悪徳に満ちている
- 大都市圏の相場がようやく落ち着きを取り戻しました
- その田舎者は大都市で道に迷った。
- 私には大都市に対する強いこだわりはありません。
- 私には大都市に対する執着はありません。
- 彼らはその国へ行く途中2つの大都市を通った。
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