参加兵力
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「ドーリットル空襲」の記事における「参加兵力」の解説
第16任務部隊(護衛任務) ウィリアム・F・ハルゼー中将 空母 「エンタープライズ」重巡洋艦:ノーザンプトン 重巡洋艦:ソルトレイクシティ 駆逐艦:バルチ、ベンハム、ファニング、エレット給油艦:サビン 第18任務部隊(日本本土空襲任務) 空母 「ホーネット」重巡洋艦:ヴィンセンス 軽巡洋艦:ナッシュビル 第52駆逐隊駆逐艦:グウィン、グレイソン、メレディス、モンセン給油艦:シマロン (4月13日、ミッドウェー環礁北方で第16任務部隊と合同。同部隊に編入)
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参加兵力
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ノルウェー侵攻を行うのはニコラウス・フォン・ファルケンホルスト歩兵大将指揮下のXXI軍団で、以下の部隊から構成されていた。 XXI軍団 指揮官:ニコラウス・フォン・ファルケンホルスト歩兵大将第163歩兵師団 第69歩兵師団 第196歩兵師団 第181歩兵師団 第214歩兵師団 第3山岳兵師団 最初の侵攻部隊は海軍艦艇で運ばれた。参加した主な艦船は次の通りである。 グループ1(目的地ナルヴィク)駆逐艦:ヴィルヘルム・ハイドカンプ、ゲオルク・ティーレ、ヴォルフガング・ツェンカー、ベルント・フォン・アルニム、エーリッヒ・ギーゼ 駆逐艦:エーリッヒ・ケルナー、ディーター・フォン・レーダー、ハンス・リューデマン、ヘルマン・キュンネ、アントン・シュミット 支援部隊戦艦:シャルンホルスト、グナイゼナウ グループ2(目的地トロンハイム)重巡洋艦:アドミラル・ヒッパー 駆逐艦:パウル・ヤコビ、テオドール・リーデル、ブルーノ・ハイネマン、フルードリヒ・エッコルト グループ3(目的地ベルゲン)軽巡洋艦:ケルン、ケーニヒスベルク 砲術練習艦:ブレムゼ 水雷艇:レオパルト、ヴォルフ Sボート母艦:カール・ペーターズ Sボート:S18、S19、S20、S21、S22、S24 その他艦艇2隻 グループ4(目的地クリスチャンサン、アーレンダール)軽巡洋艦:カールスルーエ 水雷艇:グライフ、ルクス、ゼーアドラー Sボート母艦:ツィンタウ SボートS9、S14、S16、S30、S31、S32、S22 グループ5(目的地オスロ)重巡洋艦:ブリュッヒャー 装甲艦:リュッツォウ 軽巡洋艦:エムデン 水雷艇:アルバトロス、コンドル、メーヴェ 掃海艇(Rボート):R17、R18、R19、R20、R21、R22、R23、R24 その他艦艇2隻 グループ6(目的地エゲルスン)掃海艇(Mボート):M1、M2、M9、M13 「ヴェーザー演習作戦」を参照
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参加兵力
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参加した戦闘員の数については正確には分かっていない。蜂起軍には当初兵士約1万8000人が加わっていたが、1944年9月9日には4万7000人に増加。のちに30カ国から1万8000人が加わって6万人規模となった。スロバキア軍兵士のほか、ソ連パルチザンに合流したフランス人パルチザン、特殊作戦執行部(SOE)、米軍戦略諜報局(OSS)の隊員などで構成されていた。 一方保有兵器については、蜂起時の主力部隊の脱落により、空軍のわずかな旧式の複葉機や急造の装甲列車程度しか持たない貧弱な状況だった。蜂起軍にはソ連軍が支援したほか、米軍も10月7日に戦略諜報局員を乗せたB-17をバンスカー・ビストリツァ南方約10キロのトリ・ドゥビ空港(現・スリアチュ空港)に派遣し、補給物資を提供した。
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参加兵力
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日本軍 陸軍(総兵力 39,700名)第23軍 - 司令官:酒井隆中将、参謀長:栗林忠道少将、参謀副長:樋口敬七郎少将第38師団 - 師団長:佐野忠義中将歩兵第228連隊 - 連隊長:土井定七大佐、歩兵第229連隊 - 連隊長:田中良三郎大佐、歩兵第230連隊 - 連隊長:東海林俊成大佐、山砲兵第38連隊(四一式山砲36門)、工兵第38連隊、輜重兵第38連隊、師団配属部隊は独立山砲兵第10連隊(四一式山砲24門)、独立山砲兵第20大隊(ボ式山砲9門)、独立工兵第19連隊、独立工兵第20連隊など(兵力 23,228名) 第1砲兵隊 - 司令官:北島驥子雄中将重砲兵第1連隊(四五式二十四糎榴弾砲8門)、独立重砲兵第2大隊(八九式十五糎加農8門)、独立重砲兵第3大隊(八九式十五糎加農8門)、野戦重砲兵第14連隊(四年式十五糎榴弾砲6門)、独立臼砲第2大隊(鋼製十五糎臼砲12門)、砲兵情報第5連隊、第3牽引自動車隊(牽引車32輌)(兵力 5,892名) 荒木支隊 - 連隊長:荒木勝利大佐、第51師団の一部(歩兵第66連隊基幹)(兵力 6,000名) 軍飛行隊 - 作戦機56機(九八式軽爆撃機34機、九七式戦闘機13機、九七式司令部偵察機3機、九八式直協偵察機6機)(兵力 1,300名) 海軍第二遣支艦隊 - 司令長官:新見政一中将、巡洋艦「五十鈴」、駆逐艦3隻基幹 イギリス軍 1940年11月18日、航空元帥ロバート・ポッファム大将の統率下にイギリス極東総司令部が設置され、香港駐屯軍もその指揮下に入った。1941年9月10日、マーク・ヤングが香港総督及び全軍総指揮官として着任した。香港駐屯軍はイギリス本国軍、イギリス・インド軍、カナダ軍によって構成され、現地住民からなる義勇軍が参加していた。 香港駐屯軍 - 総司令官:クリストファー・マルトビイ少将(総兵力 13,000名)陸軍香港歩兵旅団 - 旅団長:C.ワリス准将ロイヤル・スコッツ連隊第2大隊(イギリス本国軍)、ミドルセックス連隊第1大隊(イギリス本国軍)、ラージプト第7連隊第5大隊(英印軍)、パンジャブ第14連隊第2大隊(英印軍) カナダ旅団 - 旅団長:J.K.ロウソン准将ロイヤル・ライフル連隊第1大隊、ウィニペグ擲弾兵連隊第2大隊 ロイヤル砲兵団 - 砲兵団長:マックロード准将第8沿岸砲兵連隊、第12沿岸砲兵連隊他、海岸砲29門(高射砲は不足していた) 香港義勇軍 - 司令官:H.B.ローズ大佐、現地イギリス人、ポルトガル人、香港人からなる義勇軍(兵力 1,720名) 海軍 - 司令官:A.C.コリンソン代将、駆逐艦1隻、砲艦4隻(兵力 780名) 空軍 - 作戦機5機(ヴィッカーズ ヴィルドビースト 3機、スーパーマリン ウォーラス 2機)(兵力 100名)
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参加兵力
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「シュトラールズント攻囲戦 (1711年)」の記事における「参加兵力」の解説
三十年戦争以降、スウェーデンに属していたシュトラールズント要塞(ドイツ語版)は、クラース・エーケブラー(スウェーデン語版)少将指揮下の9,000名が守っていた。 1710年から、反スウェーデン同盟に改めて加盟していたデンマーク国王フレゼリク4世は、20,000名の軍を率いてホルシュタインからシュトラールズントへ向かう。そしてアレクサンドル・メーンシコフ将軍率いるロシア=ザクセン連合軍20,000名とともに、同市に対する攻囲戦を開始したのである。
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参加兵力
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進出順。 海軍基地戦闘機隊 千歳空、四空、一空、台南空、二空、六空、鹿屋空、三空、251空、582空、204空、253空、252空、201空、281空 海軍母艦飛行機隊(戦闘機隊) 翔鶴、瑞鶴、瑞鳳、飛鷹、龍鳳、隼鷹、飛鷹 海軍基地偵察隊・攻撃隊 四空、横浜空、一空、元山空、二空、三沢空、木更津空、東港空、千歳空、鹿屋空、752空、707空、751空、705空、582空、851空、701空、958空、938空、151空、501空 陸軍航空部隊 独飛76中、第11戦隊、第45戦隊、第1戦隊、第14戦隊、第13戦隊、第68戦隊、独飛20中、第78戦隊
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参加兵力
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/25 14:35 UTC 版)
全て作戦開始前の予定であり、状況によっては追加・削減などもありうる。
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参加兵力
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/27 23:44 UTC 版)
本作戦にはアメリカ陸軍第314航空団所属の先導隊12機を含む2飛行大隊77機と、第313航空団所属の16機の合計93機のB-29爆撃機が参加。このうち第314航空団には第8航空軍所属の10機が加わる予定だったが作戦参加は見送られた。熊谷と秋田を対象とした作戦には電波妨害用の特別機は参加しなかったが、第314航空団の機体には少なくとも電波妨害装置が1台、502ユニットの電波妨害片(ロープ)が装備されていた。 アメリカ軍が撮影した熊谷市近郊の偵察写真によると、同地域に日本軍の対空防備施設の存在は確認されなかったことから、14,000フィートの予定高度では対空砲火は全く受けないものと想定されていた。また、群馬県新田郡太田町近郊に配備された重砲群やその他の対空防備施設を有する地域をあらかじめ避けるような飛行経路を採る予定となっていた。 これに対し日本陸軍は首都圏の防衛のため第10飛行師団を編成し関東上空の防空任務にあたっていた。同師団は終戦の時点で千葉県東葛飾郡の柏陸軍飛行場と松戸陸軍飛行場と藤ヶ谷陸軍飛行場、同印旛郡の印旛陸軍飛行場に隷下の戦闘部隊を配置し、出動可能な航空機として三式戦闘機(飛燕)を15機、一式戦闘機(隼)を20機、二式複座戦闘機(屠龍)を30機、四式戦闘機(疾風)と二式単座戦闘機(鍾馗)を合わせて30機保有していた。1945年(昭和20年)6月、航空兵力の温存を図った上でB-29などの襲来に際して戦力を集中させ戦果を得ることを企図した「制号作戦」が発令されたが、熟練パイロットの数は少なく、練度の低いパイロットを育成するための航空燃料が不足していたため戦力化には至らない状況だった。 また、高射砲については高射第1師団隷下の部隊が熊谷周辺に派遣された記録はないが、小原陸軍飛行場の跡地周辺では2014年に九八式二十粍高射機関砲の砲弾が出土しており、空襲の際に運用された可能性が考えられる。このほか、熊谷陸軍飛行学校や市街地東部に対空火器が配備されていたとする一般市民の証言があるが詳細は定かでない。
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参加兵力
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日本 ミッドウェー破壊隊(指揮官:第七駆逐隊司令小西要人大佐)駆逐艦(第七駆逐隊第一小隊):「潮」、「漣」 特務艦:「尻矢」 第七駆逐隊は、第一航空戦隊の元来の護衛兵力である。破壊隊が「第一航空艦隊からの分離」から単独で行動する計画に改められた時期は不明であるが、気象条件などの理由から航続力に懸念材料はないとされた。 アメリカ 陸上兵力:海兵隊784名、5インチ砲6門、3インチ高射砲12門、12.7ミリ機銃30挺、7.62ミリ機銃30挺 航空兵力:飛行艇12機 兵力のうち飛行艇に関しては、1機が修理中で5機は真珠湾攻撃を受けてミッドウェー島南東海域の哨戒に飛び立っており、4機はオアフ島へ移動途中、残りの2機は空母「レキシントン」 (USS Lexington, CV-2) が輸送していた増援機の誘導のため不在であり、ミッドウェー破壊隊のいる西方海域に向かうものは1機もなかった。
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参加兵力
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/17 16:54 UTC 版)
第58任務部隊 司令官:マーク・ミッチャー中将 - 空母バンカー・ヒルに座乗。 第58.1任務群(司令官:ジョセフ・クラーク少将)空母 - ホーネット、ワスプ、ベニントン、ベローウッド 戦艦 - マサチューセッツ、インディアナ 巡洋艦 - ヴィンセンス、サンフアン、マイアミ 駆逐艦 - 15隻 第58.2任務群(司令官:ラルフ・ダヴィソン少将)空母 - レキシントン、ハンコック、サン・ジャシント 戦艦 - ウィスコンシン、ミズーリ 巡洋艦 - サンフランシスコ 駆逐艦 - 19隻 第58.3任務群(司令官:フレデリック・C・シャーマン少将)空母 - エセックス、バンカー・ヒル(第58任務部隊旗艦)、カウペンス 戦艦 - サウスダコタ、ニュージャージー 巡洋艦 - アラスカ、インディアナポリス(第5艦隊旗艦)、ボストン、パサデナ、ウィルクスバリ、アストリア 駆逐艦 - 14隻 第58.4任務群(司令官:アーサー・W・ラドフォード少将)空母 - ヨークタウン、ランドルフ、ラングレー、カボット 戦艦 - ワシントン、ノースカロライナ 巡洋艦 - サンタフェ、ビロクシ、サンディエゴ 駆逐艦 - 17隻 第58.5任務群(司令官:マティアス・ガードナー少将)空母 - エンタープライズ、サラトガ 巡洋艦 - ボルチモア、フリント 駆逐艦 - 12隻 第50.8任務群(兵站支援部隊) 司令官:ドナルド・ベアリー(en)少将 グループA(司令官:D. Curry, Jr. 大佐)護衛空母 - 2隻(うち1隻は輸送任務) 護衛艦艇 - 軽巡洋艦デトロイト(旗艦)、駆逐艦4隻、護衛駆逐艦12隻 支援艦船 - 給油艦15隻、航洋曳船4隻 グループB(司令官:H.F. MacComsey 大佐)護衛空母 - 4隻(うち3隻は輸送任務) 護衛艦艇 - 駆逐艦7隻、護衛駆逐艦6隻、高速輸送艦4隻 支援艦船 - 給油艦12隻、給兵艦2隻、汎用補給艦1隻 予備 - サイパン島で待機。給油艦 - 6隻
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参加兵力
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/12 06:19 UTC 版)
「西部ニューギニア戡定作戦」の記事における「参加兵力」の解説
第一軍隊区分 N攻略部隊(指揮官:第十一航空戦隊司令官藤田類太郎少将)主隊:水上機母艦「千歳」、軽巡洋艦「鬼怒」、水雷艇「友鶴」、「初雁」 援護隊:第十六駆逐隊第一小隊(駆逐艦「雪風」、「時津風」)、「第一号哨戒艇」、「第二号哨戒艇」、「第三十八号哨戒艇」、「第三十九号哨戒艇」 陸戦部隊:第四警備隊、第二十四特別根拠地隊派遣隊 警備部隊:第二砲艦隊(「萬洋丸」、「大興丸」、「億洋丸」)、「西安丸」、「北陸丸」 その他:特務隊員 第二軍隊区分 ブラ攻略後発令。詳細不明。援護隊を第一援護隊と第二援護隊に分けたもよう。また、ブラ攻略後に特設砲艦「億洋丸」と第四警備隊附属の高角砲4門が攻略部隊から除かれ、クーパン飛行場の対空防御強化にまわされた。
※この「参加兵力」の解説は、「西部ニューギニア戡定作戦」の解説の一部です。
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参加兵力
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/18 19:15 UTC 版)
ニューギニアの戦いに参加した両軍の部隊を列挙する。参加部隊には入れ替わりがあり、同時期に全部が揃ったわけではない。
※この「参加兵力」の解説は、「ニューギニアの戦い」の解説の一部です。
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参加兵力
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/18 21:56 UTC 版)
日本:一式陸上攻撃機2機、零式艦上戦闘機9機(内3機戦闘前に引きかえす。零戦隊第二小隊の三番機を務めた柳谷飛行兵長は元々6機だったと主張している。) アメリカ:P-38戦闘機18機(内2機途中で引きかえす)
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参加兵力
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/03 09:49 UTC 版)
日本軍 南方部隊指揮官:近藤信竹海軍中将、馬来部隊指揮官:小沢治三郎海軍中将 第一航空部隊:海軍第二十二航空戦隊(司令官:松永貞市海軍少将、司令部はサイゴン(現在のホーチミン)、第十一航空艦隊所属)元山海軍航空隊(前田孝成大佐) 美幌海軍航空隊(近藤勝治大佐) 鹿屋海軍航空隊本隊(藤吉直四郎大佐、第二十一航空戦隊より応援で第二十二航空戦隊指揮下に入る。) 山田部隊(山田豊中佐、第二十三航空戦隊より増派。) (九六式陸攻59機、一式陸攻26機) 第二航空部隊:海軍第一二航空戦隊(司令官:今村脩海軍少将) 潜水部隊(司令官:吉富説三海軍少将)第四潜水戦隊 第五潜水戦隊 イギリス軍 Z部隊戦艦:プリンス・オブ・ウェールズ 巡洋戦艦:レパルス 駆逐艦:エレクトラ、エクスプレス、テネドス ヴァンパイア(オーストラリア籍) 新戦艦プリンス・オブ・ウェールズ。 巡洋戦艦レパルス。 駆逐艦エレクトラ。 駆逐艦エクスプレス。 駆逐艦テネドス。 オーストラリア海軍駆逐艦ヴァンパイア。
※この「参加兵力」の解説は、「マレー沖海戦」の解説の一部です。
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参加兵力
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/06 06:55 UTC 版)
5ヶ月にわたる戦役のため、以下に示すのは最大参加兵力である。資料によっては日中双方二十万人ずつの投入兵力というものもある。 中国側:八路軍第120師及び指揮下部隊計46個団、第129師及び指揮下部隊計20個団、合計40万人 日本側:北支那方面軍(中心は山西省の第1軍)、駐蒙軍 満州国軍:15万人[要出典]
※この「参加兵力」の解説は、「百団大戦」の解説の一部です。
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