満州国軍とは? わかりやすく解説

満洲国軍

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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/11/13 07:32 UTC 版)

満洲国軍(まんしゅうこくぐん)は、満洲国軍隊である。1932年大同元年)創設。1945年康徳12年)解体。


  1. ^ a b c 『満洲国政府公報日譯』第2号、1932年(大同元年)4月15日、5頁
  2. ^ 『満洲国政府公報邦譯』第1号、1932年(大同元年)4月1日、7-10頁
  3. ^ 『政府公報日譯』号外、1934年(康徳元年)3月1日、2-4頁
  4. ^ 『満洲国政府公報日譯』第46号、1932年(大同元年)9月16日、6-7頁
  5. ^ 『政府公報日譯』第80号、1934年(康徳元年)6月8日、53-57頁
  6. ^ 実際には陸軍武官等級表(第一號表)、陸軍兵等級表(第二號表)の2つの表で規定されている。
  7. ^ 『政府公報』第1445号、1939年(康徳6年)2月2日、23-25頁
  8. ^ a b 実際には陸軍軍官官等表(附表第一表)、陸軍准尉官軍士官等表(附表第二表)、陸軍兵等級表(附表第三表)の3つの表で規定されている。
  9. ^ 『政府公報』第2237号、1941年(康徳8年)10月22日、388-390頁
  10. ^ 『政府公報日譯』第213号、1934年(康徳元年)11月15日、209-210頁
  11. ^ 『満洲国政府公報日譯』第82号、1932年(大同元年)12月28日、3-20頁
  12. ^ 『政府公報』第933号、1937年(康徳4年)5月12日、163-172頁
  13. ^ 『政府公報日譯』第246号、1934年(康徳元年)12月24日、215-249頁
  14. ^ 『政府公報日譯』第38号、1934年(康徳元年)4月19日、151-152頁
  15. ^ 実際には海軍武官等級表(第一號)及び海軍兵等級表(第二號)の2つの表で規定されている。
  16. ^ 『政府公報』第888号、1937年(康徳4年)3月18日、335-337頁
  17. ^ 実際には海軍士官等級表(第一表)、海軍准士官下士官等級表(第二表)及び海軍兵等級表(第三表)の2つの表で規定されている。
  18. ^ 『満洲国政府公報日譯』第2号、1932年(大同元年)4月15日、5-6頁
  19. ^ 国立公文書館アジア歴史資料センター満洲国軍事顧問並軍事教官一覧表外の件
  20. ^ 『政府公報日譯』第221号、1934年(康徳元年)11月24日、333-334頁
  21. ^ a b 『政府公報』第1456号、1939年(康徳6年)2月17日、261頁
  22. ^ 『政府公報日譯』第120号、1934年(康徳元年)7月26日、195頁
  23. ^ 血書 軍官志願 半島の若き訓導から 満洲新聞 1939年3月31日付
  24. ^ 일 육사 졸업 뒤 항일연합군 공격“임정 입장서 박정희는 적군 장교”민족문제연구소 ‘박정희 친일 행적’ 신문 공개 ハンギョレ 2009年11月5日
  25. ^ 日本陸軍士官学校卒業後 抗日連合軍を攻撃 ハンギョレサランバン 2009年11月5日
  26. ^ 박정희 만주군관학교 지원때 “목숨바쳐 충성” 혈서 사실로 민족문제연구소, 당시 신문 공개 ハンギョレ 2009年11月6日
  27. ^ 朴正熙 満州軍官学校 志願の時 "命捧げて忠誠" 血書は事実 ハンギョレサランバン 2009年11月6日
  28. ^ a b c d e f 王文鋒(星名宏修訳)「偽満州国軍の潰滅」 植民地文化学会編『近代日本と「満州国」』、不二出版、2014年、ISBN 978-4-8350-7695-9、P.258-269。
  29. ^ a b c 情報局『写真週報』第180号、1941年8月6日発行、16頁。
  30. ^ 満洲国指導方針要綱」、昭和8年8月8日閣議決定。


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満州国軍

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虹色のトロツキー」の記事における「満州国軍」の解説

ジョンジュルジャップ(正珠爾礼布) 満洲国軍中校蒙古族父親満蒙独立運動中国語版)で戦死したパプチャップ川島芳子元夫であるカンジュルジャップの弟。日本名田中正1945年8月11日ソ連侵攻ハイラル郊外のシヘニイで反乱を起こす多数日本軍官を殺害しソ連及び中国戦犯となる。釈放後の1968年病死作中では陰謀家として描かれており、当初ジャムツ旧知間柄ウムボルト存在危険視し、その命を狙う。蒙古誇り捨て関東軍取り入るような姿勢見せているため興安軍面々から警戒をされているが、その一方で凌陞事件蒙古独立画策したとして関東軍処刑され事件作中では妻の父としている)における日本側の対応に不満を抱き、その仇を討つ機会狙っている。 野田又雄 日本陸軍少佐興安警備軍特別顧問典型的精強日本軍人として描かれる史実では十月事件参加し離反する青年将校が多い中最後まで橋本欣五郎側につく。離反した末松太平大蔵栄一らは、彼と袂を別ったにも関わらず著書に彼への好印象書いている。大蔵によればジョンジュルジャップ交友があったという。ノモンハン事件では通遼興安警備軍特別顧問として部隊指揮するウムボルト当初野田兵士戦場死なせる冷酷な人物として嫌っていたが、次第野田優しい人柄に気づきはじめる。戦場モンゴル人部隊扱いをめぐり花谷激しく対立するノモンハン負傷、その傷が元で翌年死亡する須藤 日本陸軍中尉興安軍官学教導隊所属山上らとは異なり志願して軍官学校配属されている。モンゴル大陸関心があり、くすぶっている蒙古人々奮起させたい意気込んでいる。おおらかな性格で、ウムボルト良き相談相手教導隊面々良き兄貴分となる。ノモンハン事件ではソ連軍による夜間砲撃直撃遭い戦死する山上 日本陸軍中尉興安軍官学教導隊所属須藤中尉の弁によれば意に反して軍官学校配属されることになったため、ひねくれている。ウムボルト興安軍配属となった当初憎まれ口を叩くことが多かったが、次第打ち解けるうになる寺崎 日本陸軍中尉興安警備軍所属戦場馴れをしているが、威圧的なタイプではなく蒙古少年隊の面々面倒を見ている。ノモンハン事件ではソ連軍戦車部隊攻撃受けた際、支隊司令部を守るため蒙古少年隊を連れて肉薄攻撃試みるも、BT戦車下敷きとなり戦死する

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満州国軍

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朴正煕」の記事における「満州国軍」の解説

1939年教師失職後師範学校時代恩師である有川中佐推薦を受け軍人になることを決意日本国籍のまま1940年満州国首都新京満州国陸軍軍官学校合格者240人中15番目の成績合格した満州軍官学入校の翌1941年創氏改名高木正雄日本名名乗った朴正煕合格した満州国軍軍官学校2期生には、朴正煕含め12人の朝鮮人学生がおり、彼らは満系生徒として生徒中隊配属された。第3中隊第3区隊中隊長愛新覚羅溥傑少校区隊長:張連中尉)の所属だった。1942年3月に非日本人首席卒業満州国皇帝溥儀から恩賜金時計授けられている。当時満州国軍中尉だった丁一権朴正煕親しく新京で会う際にはしばしば、いずれ日本帝国主義滅び韓国独立するとの旨を朴正煕から酒の席で聞いた証言している。 満州国軍軍官学校卒業後、日本の陸軍士官学校留学、第57期編入経て1944年卒業した日本陸軍士官学校卒業後、チチハル関東軍工兵下士官候補者隊を経て東寧駐屯の第120師団工兵隊通称号満州635部隊) に見習士官として配属され、3か月勤務した1944年7月に満州国軍少尉任官朴正煕は満州国軍第5軍管区隷下歩兵第8団(所在地熱河省興隆県半壁山鎮(中国語版)、団長:唐際栄上校)の朝鮮人将校4人のうちの一人 となった1944年7月下旬から8月初旬ごろまで行われた八路軍討伐作戦では第8団第2連排長として参加。しかし部隊八路軍交戦しなかったという。1945年7月中尉昇進ソ連対日参戦により1945年8月9日ソ連軍満州国進攻した後、1945年8月15日日本の降伏時は第八団副官務めていた。副官には甲乙2種類があったが、乙種副官であり、主に隷下部隊への作戦命令通達や団旗の管理をしていた。

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