ブルネイ湾の戦い
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/11/24 14:27 UTC 版)
6月10日に、ブルネイ湾及びラブアン島にオーストラリア第9師団の主力が上陸した。軽巡ホバートはじめ巡洋艦4隻、駆逐艦23隻などや航空部隊が支援し、連合軍の参加兵力は29000人に上った。日本軍は独混第56旅団が付近にあり、そのうちブルネイ湾に独立歩兵第366・第367大隊、ラブアン島に独立歩兵第371大隊を置いていた。日本軍が水際配備は避けて後退したため、一週間で連合軍は沿岸部の制圧に成功した。ラブアン島守備隊は全滅した。その後、連合軍によりミリ方面に向けた追撃戦が行われた。ブルネイ湾一帯の戦いで、オーストラリア軍の記録によると日本軍は1200人以上が戦死したのに対し、オーストラリア軍は114人が戦死し、221人が負傷した。また、上陸前の掃海作業中の6月8日に、アメリカ海軍掃海艇「サリュート」(en)が触雷沈没している。
※この「ブルネイ湾の戦い」の解説は、「ボルネオの戦い」の解説の一部です。
「ブルネイ湾の戦い」を含む「ボルネオの戦い」の記事については、「ボルネオの戦い」の概要を参照ください。
- ブルネイ湾の戦いのページへのリンク