第58任務部隊とは? わかりやすく解説

第38任務部隊

(第58任務部隊 から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/26 05:03 UTC 版)

第38任務部隊 (Task Force 38) および第58任務部隊 (Task Force 58) とは、第二次世界大戦においてアメリカ海軍が主力にした空母部隊。


  1. ^ 別冊歴史読本永久保存版『空母機動部隊』新人物往来社 103頁
  2. ^ 別冊歴史読本永久保存版『空母機動部隊』新人物往来社 103頁
  3. ^ 別冊歴史読本永久保存版『空母機動部隊』新人物往来社 103頁
  4. ^ 別冊歴史読本永久保存版『空母機動部隊』新人物往来社 103頁
  5. ^ 戦史叢書37巻 海軍捷号作戦(1)台湾沖航空戦まで 688頁
  6. ^ 別冊歴史読本永久保存版『空母機動部隊』新人物往来社 103頁


「第38任務部隊」の続きの解説一覧

第58(38)任務部隊

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/06 14:00 UTC 版)

フレデリック・C・シャーマン」の記事における「第5838任務部隊」の解説

シャーマンソロモン戦線戦っているころ、中部太平洋方面では第5艦隊作戦しており、8月5日付で中将に昇進したスプルーアンス第5艦隊司令長官に、翌8月6日付でシャーマン同期のパウナルが第3空母部隊司令官となった。パウナルの空母任務部隊は「第50任務部隊」と呼称され、南鳥島ウェーク島ギルバート諸島連続して空襲作戦行いガルヴァニック作戦12月クェゼリン攻撃多少損害があったものの作戦概ね成功していた。ところが、クェゼリン攻撃のあとにパウナルは司令官から更迭される。そもそもの始まりは「南鳥島攻撃では反撃恐れがなかったにかかわらずパイロット救助任務潜水艦丸投げして即座に避退した」とか、「タラワ攻撃では、再攻撃すべきとの進言退けて避退した」とか、挙句の果てには「機動部隊率いる事を後悔した発言をした」などという話が上層部に「ご注進」されていたが、その「ご注進先の一つ海軍航空クラウンプリンスだったジャック・タワーズ中将アナポリス1906年組)だった。1942年10月以来ハワイ太平洋航空部隊司令官務めたタワーズは、第5艦隊創設時にその指揮官強く望んだが叶わなかった。「ご注進」を受け取ったタワーズは、ニミッツに対してパウナルの更迭進言したのである12月末、ニミッツタワーズ太平洋艦隊参謀長チャールズ・マクモリス少将、同艦隊作戦参謀F・Pシャーマン協議行いスプルーアンスに何も知らせずパウナル更迭決定する更迭決定したとなればその後任を決めなければならない航空をかじり、かつ部隊指揮経験のある少将クラス人材限られていた。候補シャーマンモントゴメリー、そしてシャーマン同期のミッチャーらが挙げられ上の世代になればタワーズジョン・S・マケイン・シニア少将アナポリス1906年組)が挙げられた。このうちパイロット出身タワーズは強い個性ゆえにキングニミッツから敬遠されており、マケインキングの子飼い手放す気がなかった。消去法により最後まで残ったのは、航空経験長くない空母艦長空母任務経験のあるシャーマンと、航空経験長く空母艦長経験があるが空母任務経験のないミッチャーに絞られた。そこに、太平洋艦隊副司令官になったタワーズ口を挟むタワーズ曰くシャーマンは「自己中心的寛容でないため、搭乗員きわめて不人気有能ではあるが部下心から忠誠尽くそうとしないので、高級指揮官には不適」であると。タワーズ発言真偽のほど定かではないが、ニミッツはミッチャーをパウナルの後任据えた。この決定スプルーアンス怒り見せたスプルーアンスはパウナルの一連の働きには満足しており、その後任がミッドウェー一件以来嫌っていたミッチャーだったのが気に食わなかった。スプルーアンスは、この更迭劇がタワーズやその一派による陰謀だともみなしており、もともと嫌っていたタワーズをいっそう憎んだ面白くないのはシャーマン同様だった。ミッチャーの第3空母部隊司令官就任決まったのと同じころ、中部太平洋方面艦隊司令部第5艦隊第3艦隊交互に指揮させるプラン創出されスプルーアンスとミッチャーの組み合わせ決まったあと、ハルゼーの下で空母任務部隊指揮執る者の選定が行われた。ハルゼーとミッチャーはシャーマン推薦したが、キング独断子飼いで、パウナルの後釜選びでは「手放す気がなかった」はずのマケイン内定しシャーマンは再び煮え湯飲まされた。続けさま外れくじを引いたシャーマンは第1空任務司令官となったシャーマン日記次のように記す。 航空作戦はミッチャーの指揮下となり、三つ任務部隊(タスク・グループ)に分割された。ミッチャーもパウノールも、大規模な任務部隊指揮するには経験不足。スプルーアンス航空部隊指揮する能力がなく、幕僚使い方下手だ運用に関して先任たちより経験豊富自分がこの地位就ける思っていたが、これをよく知っている彼らは嫉妬心持っている。この配置では自分出番ないように思う。 — フレデリック・C・シャーマン1944年2月2日日記谷光太郎米軍提督太平洋戦争434ページ シャーマンクェゼリンの戦いトラック島空襲マリアナ諸島空襲で第58.3任務群を率いたが、3月25日から8月までは西海岸艦隊航空団指揮官転出していたため、6月19日マリアナ沖海戦には参加していない。マリアナ戦いアメリカ勝利帰すると、第5艦隊第3艦隊交替して司令部休養に入ることとなった。しかし、ミッチャーのみ3カ月限定高速空母任務部隊司令官地位から動かなかった。第3艦隊での第二高速空母任務部隊司令官内定していたマケイン技量が十分ではなかったため、マケインに第38.1任務群を与えて研修期間」としたためで、第5艦隊第3艦隊交替8月26日付で行われたシャーマンはミッチャーの旗艦である空母レキシントン」 (USS Lexington, CV-16) を含んだ第38.3任務群を指揮した第38任務部隊沖縄への空襲、これに対す日本側の反撃およびルソン島攻撃経て10月20日からのレイテ島の戦いおよびレイテ沖海戦と戦うが、10月24日日本機の反撃受けてラバウル空襲の「戦友であったプリンストン」が炎上する。第38.3任務群は一時栗田日本艦隊対す攻撃隊を飛ばすことができなかった。「プリンストン」は最終的に、その火災夜間攻撃目印となることを危惧したミッチャーの命によって処分された。10月30日、第38・3任務群のウルシー環礁への帰投をもってミッチャーはマケイン高速空母任務部隊司令官権限委譲して休養入ったが、シャーマン引き続き第38.3任務群を率いフィリピンの戦い支援や、1945年入って1月南シナ海での、ヒ86船団を含む日本艦船掃討戦2月硫黄島の戦い3月中旬からの沖縄諸島九州への攻撃呉軍港空襲転戦沖縄戦開始後の4月7日起こった坊ノ岬沖海戦では主に午後からの攻撃担当し戦艦大和」、駆逐艦涼月」、「」に複数命中弾を与えた沖縄戦におけるミッチャーの旗艦バンカー・ヒル」 (USS Bunker Hill, CV-17) は、フィリピン同様にシャーマン任務群内にいたが、「バンカー・ヒル」は5月11日特攻攻撃大破し指揮一時的に執れなくなったミッチャーは、状況落ち着くまでの間シャーマンに第58任務部隊の指揮委ねた5月27日ニミッツ第5艦隊第3艦隊入れ替え行い、第58任務部隊改め第38任務部隊指揮マケイン譲られた。第5艦隊将来行われるダウンフォール作戦のための準備指示されたが、そのスタッフ中にミッチャーはいなかった。ダウンフォール作戦において、これまで司令部異動のみで中身同じだった第58任務部隊と第38任務部隊名実とともに分離され海軍作戦部次長航空担当)に転出したミッチャーに代わってシャーマンが第58任務部隊司令官第一高速空母任務部隊司令官)に、タワーズマケインに代わって第38任務部隊司令官第二高速空母任務部隊司令官)に就任することとなったシャーマン(とタワーズ)はついに空母任務部隊トップ立ったのである。しかし、日本の降伏により実戦を戦うことはなかった。

※この「第58(38)任務部隊」の解説は、「フレデリック・C・シャーマン」の解説の一部です。
「第58(38)任務部隊」を含む「フレデリック・C・シャーマン」の記事については、「フレデリック・C・シャーマン」の概要を参照ください。


第58任務部隊

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/17 16:54 UTC 版)

ジャンボリー作戦」の記事における「第58任務部隊」の解説

司令官マーク・ミッチャー中将 - 空母バンカー・ヒル座乗

※この「第58任務部隊」の解説は、「ジャンボリー作戦」の解説の一部です。
「第58任務部隊」を含む「ジャンボリー作戦」の記事については、「ジャンボリー作戦」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「第58任務部隊」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「第58任務部隊」の関連用語

第58任務部隊のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



第58任務部隊のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの第38任務部隊 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaのフレデリック・C・シャーマン (改訂履歴)、ジャンボリー作戦 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS