れん‐ど【練度】
練度
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/02 05:45 UTC 版)
五航戦の航空機搭乗員の充員が完了したのは1941年(昭和16年)10月初旬であり、真珠湾攻撃のために10月から鹿児島湾で行われた訓練にも参加できず基礎訓練を実施していた。航空隊の練度については同じく第一航空艦隊を形成していた第一航空戦隊の空母2隻(赤城、加賀)、第二航空戦隊の2隻(蒼龍、飛龍)に及ばないものとして扱われた。このため、空母機動部隊としての行動時には、容易な陸上攻撃を担任させられた。幾度かの作戦に従事して練度は向上したが、夜間の発着艦や夜間攻撃の訓練は行っていない。珊瑚海海戦での航空機の大量損失も搭乗員の練度の低さが原因とされた。また珊瑚海海戦は日本側認識では大勝利だったため、第一航空艦隊では「妾の子でも勝てた」と評し、一航戦・二航戦ならば「米空母など問題にならない」と広言する者も多かったという。「最も技量の低い五航戦で互角ならば、それよりはるかに優れる一航戦・二航戦にかかれば米空母部隊など鎧袖一触」との楽観的気運・自惚れ・慢心は、航空隊関係者だけでなく、連合艦隊や軍令部などを含め日本海軍全体に広まっていたとみられる。 ただし「赤城」から1941年5月「翔鶴」の戦闘機隊に異動した小町定は「陸上基地から配置転換されたばかりで、練習不足の者も数人はいましたが、他艦で訓練を積んでから異動して来た者もおり、必ずしも全員が練度不足というわけではない」と書いている。
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