第五航空戦隊とは? わかりやすく解説

第五航空戦隊

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第五航空戦隊(だい5こうくうせんたい)とは、日本海軍の部隊の1つ。太平洋戦争開戦直前の1941年(昭和16年)9月1日[1]に編成された空母機動部隊[2]。略称は五航戦[3]


注釈

  1. ^ 春日丸(大鷹)の竣工は1941年(昭和16年)9月5日とされている[37]
  2. ^ 第一航空艦隊は1941年(昭和16年)4月10日に新編された[2](司令長官:南雲忠一中将)[38]。五航戦の新編と第一航空艦隊編入により、9月1日時点の一航艦は四個航空戦隊(一航戦二航戦四航戦、五航戦)となった[39]
  3. ^ 「翔鶴」は1941年(昭和16年)8月8日に竣工した[40]。8月26日、第一航空艦隊旗艦となる[41]
  4. ^ 一部の二次資料では新編時の五航戦を4隻(翔鶴、春日丸、朧、漣)とする[49]。だが吹雪型駆逐艦は9月1日付で第7駆逐隊からのぞかれたあと[9][50]、朧は五航戦に[8]、漣は第一航空戦隊に編入された[51]。9月25日付で漣は第7駆逐隊に復帰し[9][52]、一航戦(赤城、加賀、第7駆逐隊〈曙、潮、漣〉)となった。
  5. ^ 南雲機動部隊/機動部隊命令作第十七号(一月一日付)(抜粋)一 敵情竝ニ友軍ノ情況〔略〕/二 機動部隊(第二空襲部隊欠)ハ整備補給完了次第「トラック」方面ニ進出 南洋部隊ニ協力シテ「ビスマルク」諸島及附近敵航空兵力及基地ヲ覆滅シ我ガ南洋ニ於けケル作戦拠点ヲ確保セントス 第二空襲部隊ハ速ニ「ダバオ」方面ニ進出 南方部隊ノ作戦ニ参加シ「アンボン」方面敵航空兵力ノ撃滅ニ任ズ/三 第一段作戦第二期兵力部署(以下略)[66]
  6. ^ 第一空襲部隊(南雲長官直率:一航戦〈赤城、加賀〉・五航戦〈翔鶴、瑞鶴〉)、第二空襲部隊(二航戦司令官:二航戦〈蒼龍、飛龍〉、第7駆逐隊〈曙、潮、漣〉)、警戒隊(第一水雷戦隊司令官:軽巡〈阿武隈〉、第17駆逐隊〈浦風、磯風、谷風、浜風〉、第18駆逐隊〈霞、霰、陽炎、不知火〉、秋雲)、支援部隊(第三戦隊司令官:第三戦隊第1小隊〈比叡、霧島〉、第八戦隊〈利根、筑摩〉)、補給部隊(第一補給隊〈極東丸、神国丸、日本丸〉、第二補給隊〈日朗丸、第二共栄丸、豊光丸〉)。
  7. ^ 南洋部隊編入およびラバウル攻略作戦支援時の南雲機動部隊は、第一空襲部隊(一航戦、五航戦)、警戒隊、支援部隊(第三戦隊、第八戦隊)、補給部隊であった。
  8. ^ 空母エンタープライズ (USS Enterprise, CV-6) を基幹とするウィリアム・ハルゼー・ジュニア提督の第8任務部隊、空母ヨークタウン (USS Yorktown, CV-5) を基幹とするフランク・J・フレッチャー提督の第17任務部隊[75]
  9. ^ 聯合艦隊電令作第六四号(2月8日0000)一 機動部隊〔第五航空戦隊(朧欠)、霰、陽炎欠〕及第二潜水戦隊ヲ南方部隊ニ編入/二 第五航空戦隊(朧欠)、霰、陽炎ヲ聯合艦隊附属トシ附属航空部隊(指揮官第五航空戦隊司令官)ト呼称/三 附属航空部隊ハ搭載機整備次第三河湾ニ回航 敵機動部隊ノ東京方面空襲ニ備フルト共ニ兼ネテ訓練ニ従事スベシ 
  10. ^ 聯合艦隊電令作第六九号(2月8日1830)[10]主力部隊中警戒部隊ヲ編成 兵力 第二戦隊、第九戦隊、第三航空戦隊、附属航空部隊、第二十七駆逐隊第一小隊、矢風/指揮官 第一艦隊司令長官/任務 本州近海ニ来襲スル敵空襲部隊ノ捕捉撃滅 出撃時機ハ特令ス 出撃時迄附属航空部隊ノ行動ハ既令ノ通 
  11. ^ 瑞鶴と霰は3月2日に入港し、整備をおこなっていた[94]
  12. ^ 1942年(昭和17年)10月17日、キスカ島輸送作戦中に空襲を受け「朧」は撃沈された[107]
  13. ^ 第10駆逐隊は3月14日に新編されたばかりで、駆逐隊司令は阿部俊雄大佐であった[109]
  14. ^ 空母「加賀」はパラオに入港した際に座礁[113]蘭印作戦終了後の3月13日に南雲機動部隊からのぞかれて警戒部隊に編入され、佐世保に帰投した[114]
  15. ^ MO攻略作戦が立案された時の高木司令官は海軍少将だったが、5月1日付で海軍中将に昇進した[118]
  16. ^ 当時、連合艦隊や南雲機動部隊司令部は戦艦大和において図上演習を実施中だった[123]
  17. ^ 実際には「翔鶴」の修理は7月18日に完成、「瑞鶴」は8月1日から小修理をおこなった[129]
  18. ^ 「翔鶴」(5月17日、呉帰投)[127]の修理は3ヶ月と見込まれ、「瑞鶴」も航空隊の消耗甚大で、戦力回復には2-3ヶ月かかると判定された[128][注釈 17]
  19. ^ 第五根拠地隊司令官春日篤少将を指揮官とするグァム島攻略部隊(敷設艦津軽、第23駆逐隊〈菊月夕月卯月〉、駆逐艦、特設水上機母艦聖川丸、第五防備隊)として[151]グアム島攻略戦に参加した。
  20. ^ 第五戦隊の重巡洋艦那智は不参加[154]
  21. ^ 第7駆逐隊第2小隊の駆逐艦は、MO攻略部隊(主隊)として第六戦隊と共に空母祥鳳を護衛する[155]。祥鳳沈没後は生存者の救助をおこない[156]、その後もMO機動部隊に分派されることはなかった[157]
  22. ^ 第六戦隊第1小隊(青葉加古)と駆逐艦「漣」はMO攻略部隊(主隊)として引き続き別動中[159]。第六戦隊第2小隊は、5月7日18時40分の第四艦隊機密第378番電によりMO機動部隊に編入された[157]

脚注

  1. ^ a b c d 『世界の艦船 新版・連合艦隊華やかなりし頃』p.29-32「航空母艦」。
  2. ^ a b c 戦史叢書95 1976, pp. 149–150航空部隊/航空艦隊
  3. ^ a b c d #S1704五航戦日誌(経過) p.4〔 四月十日附 秋雲 朧ハ五航戦ヨリ除カル 四月十八日以降二十七駆 五航戦司令官ノ指揮下ニ入ル 〕
  4. ^ 戦史叢書95 1976, pp. 61–62昭和十二年度海軍補充計画(マル3計画)
  5. ^ a b c 昭和16年9月3日(水)海軍公報(部内限)第3888号 p.18」 アジア歴史資料センター Ref.C12070397300 〔 ○旗艦指定 第五航空戦隊司令官ハ九月一日旗艦ヲ春日丸ニ指定セリ 〕
  6. ^ 戦史叢書95 1976, pp. 60–61艦船補充及び航空兵力増勢計画(マル2計画)
  7. ^ a b c #海軍航空部隊編制 p.11〔 瑞鳳 6/20 1Fヨリ5Sfへ 〕
  8. ^ a b c d #支那事変第10回功績(朧) p.1〔 自9月1日至11月20日|聯合艦隊第五航空戦隊ニ属シ艦隊諸訓練ニ従事シツヽ対事変待機 〕
  9. ^ a b c #支那事変第10回功績(7駆) p.1〔 潮 漣 曙 朧|勲功丙|自六月一日至七月十七日|第一艦隊第一水雷戰隊對事変内地待機勤務/自七月十八日至十一月三十一日|第一航空艦隊第一航空戰隊對事変内地待機勤務|本任務ヲ完全ニ遂行シ得タルモノト認ム|八月十二日旧司令渋谷大佐退任新司令小西大佐ノ部下ニ属ス|自九月一日至九月二十四日漣單独駆逐艦トナル 九月一日ヨリ朧單独駆逐艦トナル 〕
  10. ^ a b c 戦史叢書85 1975, p. 75警戒部隊の編成
  11. ^ a b c #支那事変第10回功績(秋雲) p.1〔 記事|昭和一六.九.二七 第一航空艦隊第五航空戦隊ニ編入 〕
  12. ^ 戦史叢書95 1976, pp. 162–164ハワイ作戦部隊
  13. ^ 戦史叢書95 1976, pp. 222–224ハワイ奇襲作戦
  14. ^ 戦史叢書38 1970, pp. 302–303米豪遮断作戦
  15. ^ a b 戦史叢書95 1976, pp. 236–237東方警戒と要地攻略
  16. ^ 戦史叢書95 1976, pp. 234–236ベンガル湾機動作戦
  17. ^ a b 戦史叢書43 1970, p. 95珊瑚海海戦
  18. ^ 戦史叢書80 1975, pp. 370–372五 ポートモレスビー攻略作戦失敗/作戦経過
  19. ^ 戦史叢書80 1975, pp. 374–375本作戦の及ぼした影響
  20. ^ a b c 戦史叢書95 1976, pp. 217–218.
  21. ^ 戦史叢書80 1975, pp. 444–445MI作戦中止の指示
  22. ^ 戦史叢書49 1971, p. 362ミッドウェー海戦
  23. ^ 戦史叢書80 1975, p. 383ミッドウェー、アリューシャン作戦
  24. ^ a b 戦史叢書95 1976, pp. 246–247ミッドウェー作戦失敗の影響
  25. ^ 戦史叢書80 1975, pp. 463–465空母部隊の再建と新戦法
  26. ^ 戦史叢書95 1976, pp. 218–219.
  27. ^ 戦史叢書43 1970, pp. 124a-125わが空母戦力にする自負
  28. ^ 戦史叢書49 1971, pp. 187a-192MO機動部隊
  29. ^ a b c 戦史叢書43 1970, pp. 124b-125.
  30. ^ a b 戦史叢書49 1971, p. 189.
  31. ^ a b c 戦史叢書95 1976, pp. 242–244珊瑚海海戦
  32. ^ a b 戦史叢書80 1975, pp. 429–432楽観気運の増大
  33. ^ 『歴史街道』2001年9月特別増刊号『真珠湾攻撃』p.37-39「機動部隊上空、異状なし」。
  34. ^ a b c 日本空母物語 100-102頁〔 連合艦隊の戦力倍増策 』
  35. ^ #S16年度海軍戦時編制案(昭和10年2月) p.2〔 外戰部隊|GF|1F|5Sf|特空母|秩父丸、浅間丸、龍田丸、秋風、羽風 〕
  36. ^ a b 昭和16年9月1日(発令9月1日付)海軍辞令公報(部内限)第701号 p.2」 アジア歴史資料センター Ref.C13072081900 
  37. ^ 戦史叢書95 1976, p. 002a付表第二(「海軍航空概史」)航空関係艦船一覧表
  38. ^ 戦史叢書91 1975, pp. 513–514第三艦隊・第一航空艦隊・海南警備府新編
  39. ^ 戦史叢書91 1975, pp. 544–545年度戦時編制発令 ― 九月一日
  40. ^ a b 戦史叢書95 1976, p. 002b付表第二
  41. ^ 昭和16年8月27日(水)海軍公報(部内限)第3882号 p.35」 アジア歴史資料センター Ref.C12070396800 〔 ○旗艦變更 第一航空艦隊司令長官ハ八月二十六日旗艦ヲ翔鶴ニ變更セリ 〕
  42. ^ 昭和16年9月11日(木)海軍公報(部内限)第3895号 p.19」 アジア歴史資料センター Ref.C12070397400 〔 ○旗艦變更 第一航空艦隊司令長官ハ九月八日旗艦ヲ赤城ニ變更セリ 〕
  43. ^ a b 昭和16年9月13日(土)海軍公報(部内限)第3897号 p.41」 アジア歴史資料センター Ref.C12070397400 〔 ○旗艦變更 第五航空戦隊司令官ハ九月十日旗艦ヲ翔鶴ニ變更セリ/支那方面艦隊司令長官ハ九月十一日旗艦ヲ飛鳥ニ變更セリ 〕
  44. ^ #昭和17年度帝国海軍戦時編制・駆逐隊他 p.1〔 呉|第十一驅逐隊|吹雪、白雪、初雪|(戦時編制ニ依ル所属)第一航空戦隊 〕
  45. ^ #昭和17年度帝国海軍戦時編制・駆逐隊他 p.1〔 呉|第五十一驅逐隊|薄雲、白雲|(戦時編制ニ依ル所属)第五航空戦隊 〕
  46. ^ #昭和17年度帝国海軍戦時編制 p.5〔 艦隊|第一航空艦隊|第一航空戦隊/翔鶴、瑞鶴、第十一驅逐隊|第二航空戦隊/蒼龍飛龍第十二驅逐隊|第四航空戦隊/龍驤、《飛鷹》、《隼鷹》、第三驅逐隊|第五航空戦隊/赤城、加賀、第五十一驅逐隊|第六航空戦隊/《第三十一驅逐隊》/特設航空母艦三 〕
  47. ^ 戦史叢書95 1976, pp. 169–173航空部隊の作戦準備/機動部隊
  48. ^ 戦史叢書91 1975, p. 552ハワイ作戦の採用 ― 十月十九日
  49. ^ 戦史叢書91 1975, p. 002a付表第二(「大本營海軍部・聯合艦隊<1>」)聯合艦隊編制推移表(昭和十四年十一月十五日~十六年十二月十日)
  50. ^ 昭和16年9~10月 内令3巻(防衛省防衛研究所)昭和16年9月(1) p.3」 アジア歴史資料センター Ref.C12070152800 〔 内令第九百九十七號 驅逐隊編制中左ノ通改定セラル 昭和十六年九月一日 海軍大臣 及川古志郎 第七驅逐隊ノ項中「朧、」及「、漣」ヲ削ル 〕
  51. ^ #支那事変第10回功績(漣) p.1〔 漣|功労甲{自九月一日至九月二十五日|第一航空艦隊第一航空戰隊対事変内地待機勤務|本任務ヲ完全ニ遂行シ得タルモノト認ム|九月一日 七駆ヨリ除カレ上井少佐ノ部下ニ属ス 九月二十五日 七駆司令小西中佐ノ部下ニ属ス|九月二十五日 七駆ニ復皈 〕
  52. ^ 昭和16年9~10月 内令3巻(防衛省防衛研究所)昭和16年9月(4) p.21」 アジア歴史資料センター Ref.C12070152800 〔 内令第千百十九號 驅逐隊編制中左ノ通改定セラル 昭和十六年九月二十五日 海軍大臣 及川古志郎 第七驅逐隊ノ項中「潮」ノ下ニ「、漣」ヲ加フ 〕
  53. ^ 戦史叢書38 1970, pp. 123–124南洋部隊に編入の部隊
  54. ^ 戦史叢書38 1970, p. 235機密南洋部隊命令作第一号による第一兵力部署(抜粋)(昭和16.11.21付)
  55. ^ 戦史叢書38 1970, p. 241集合
  56. ^ 戦史叢書38 1970, pp. 244–245.
  57. ^ 戦史叢書38 1970, p. 272グァム島攻略部隊の解散
  58. ^ 戦史叢書38 1970, p. 294「津軽、朧」、マキンの主隊に合流
  59. ^ 戦史叢書38 1970, pp. 362–364機密南洋部隊命令作第九号(抜粋)第三兵力部署
  60. ^ 昭和16年11月21日(金)海軍公報(部内限)第3951号 p.37」 アジア歴史資料センター Ref.C12070398400 〔 ○旗艦變更 第五航空戦隊司令官ハ十一月十四日旗艦ヲ瑞鶴ニ變更セリ 〕
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  66. ^ 戦史叢書38 1970, pp. 348–351機動部隊のラバウル攻略支援作戦計画とトラック進出
  67. ^ 戦史叢書49 1971, pp. 69–72機動部隊の作戦
  68. ^ 戦史叢書38 1970, pp. 351–354機動部隊の空襲
  69. ^ 戦史叢書80 1975, pp. 134–136ラバウル攻略作戦決定と攻略
  70. ^ a b 戦史叢書38 1970, pp. 353–354.
  71. ^ 戦史叢書38 1970, p. 355ビスマルク諸島方面攻略機動部隊行動概要図
  72. ^ 戦史叢書38 1970, p. 315ラバウル攻略と同地への進出
  73. ^ 戦史叢書29 1969, p. 115b.
  74. ^ 戦史叢書95 1976, pp. 237–238米空母機動部隊の来襲
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  76. ^ 戦史叢書38 1970, p. 388クェゼリン空襲と第六根拠地隊司令官の戦死
  77. ^ 戦史叢書38 1970, p. 417挿図第三十一、米機動部隊マーシャル方面来襲状況
  78. ^ 戦史叢書85 1975, pp. 74–75米機動部隊マーシャル諸島来襲
  79. ^ 戦史叢書49 1971, pp. 101–102米空母機動部隊の作戦
  80. ^ 戦史叢書38 1970, p. 405トラック出撃と使用可能機数
  81. ^ 戦史叢書38 1970, p. 410機動部隊のマーシャル進出中止と東京空襲の憂慮
  82. ^ 戦史叢書38 1970, p. 406マーシャル進出の中止とパラオ直行の下令
  83. ^ 戦史叢書38 1970, p. 411b機動部隊、第二潜水戦隊の南方部隊編入と「附属航空隊」の編成下令
  84. ^ 戦史叢書29 1969, p. 108.
  85. ^ 戦史叢書38 1970, p. 411a「附属航空部隊」の編制予告と南洋部隊の航空兵力強化
  86. ^ 戦史叢書80 1975, pp. 169–173情勢緩和の誤判断とマーシャル被攻撃
  87. ^ 戦史叢書38 1970, p. 411c-412大和田情報と警戒部隊の待機
  88. ^ 戦史叢書29 1969, p. 117.
  89. ^ 戦史叢書38 1970, p. 411d.
  90. ^ 戦史叢書29 1969, p. 118.
  91. ^ 戦史叢書38 1970, p. 412対米艦隊作戦第三法中止
  92. ^ 戦史叢書38 1970, p. 424聯合艦隊司令部の判断
  93. ^ 戦史叢書38 1970, pp. 466–467米機動部隊の状況
  94. ^ a b c 戦史叢書29 1969, p. 121.
  95. ^ 戦史叢書38 1970, pp. 485–486ハルゼー部隊の南鳥島空襲
  96. ^ 戦史叢書80 1975, pp. 179–181南鳥島来襲
  97. ^ 戦史叢書38 1970, p. 473.
  98. ^ 戦史叢書38 1970, p. 475南鳥島来襲の敵はウェーク来襲の機動部隊なることを知る
  99. ^ 戦史叢書29 1969, p. 122.
  100. ^ 戦史叢書38 1970, p. 486ブラウン、フレッチャー両合同部隊のラエ、サラモア空襲
  101. ^ 戦史叢書95 1976, pp. 238–239ポートモレスビー、ツラギ攻略意図
  102. ^ 戦史叢書38 1970, pp. 480–481通信情報と対米艦隊作戦第三法発動
  103. ^ 戦史叢書38 1970, pp. 482–483東京方面の敵空襲に対する特別警戒措置
  104. ^ 戦史叢書38 1970, p. 483敵情を得ず対米艦隊作戦第三法の中止
  105. ^ 戦史叢書38 1970, pp. 519–520聯合艦隊の戦時編制の改定
  106. ^ #内令昭和17年4月(4) pp.1-2〔 内令第六百四十八號|呉鎮守府豫備艦 軍艦 長鯨 右練習兼警備艦ト定メラル|横須賀鎮守府豫備驅逐艦 驅逐艦 朧 右警備驅逐艦ト定メラル|昭和十七年四月十日 海軍大臣 嶋田繁太郎 〕
  107. ^ 戦史叢書29 1969, pp. 337–338, 400.
  108. ^ #内令昭和17年4月(4) p.3〔 内令第六百五十號 驅逐隊編制中左ノ通改定セラル 昭和十七年四月十五日 海軍大臣 嶋田繁太郎|第十驅逐隊ノ項中「夕雲」ノ上ニ「秋雲、」ヲ加フ 〕
  109. ^ 昭和17年3月16日(発令3月14日付)海軍辞令公報(部内限)第828号 p.12」 アジア歴史資料センター Ref.C13072084600 
  110. ^ 戦史叢書80 1975, pp. 202–205機動作戦
  111. ^ 戦史叢書49 1971, pp. 169–170南洋部隊の兵力
  112. ^ 戦史叢書49 1971, p. 189b.
  113. ^ 戦史叢書95 1976, p. 233ジャワ攻略戦
  114. ^ 戦史叢書38 1970, pp. 479–480南洋部隊、空母二隻の増派要求
  115. ^ 戦史叢書80 1975, pp. 355–359聯合艦隊の兵力部署転換
  116. ^ 戦史叢書49 1971, p. 167.
  117. ^ 戦史叢書95 1976, pp. 241–242ドーリットル空襲とその影響
  118. ^ a b 昭和17年5月1日(発令5月1日付)海軍辞令公報(部内限)第851号 p.1」 アジア歴史資料センター Ref.C13072112000 
  119. ^ 戦史叢書49 1971, p. 188.
  120. ^ 戦史叢書49 1971, pp. 282–285「祥鳳」の沈没
  121. ^ a b 戦史叢書29 1969, p. 221.
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  123. ^ 戦史叢書80 1975, pp. 424–428出撃直前の研究と作戦計画等の修正
  124. ^ 戦史叢書43 1970, pp. 96–97兵力部署の第一次訂正
  125. ^ 戦史叢書29 1969, pp. 222–225.
  126. ^ 戦史叢書43 1970, p. 102北方部隊
  127. ^ 戦史叢書38 1970, p. 603.
  128. ^ 戦史叢書43 1970, pp. 114–115珊瑚海海戦の被害判明
  129. ^ 戦史叢書49 1971, pp. 431–432聯合艦隊主力
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  132. ^ 戦史叢書43 1970, pp. 115–116第二期作戦への移行と兵力部署の再訂正
  133. ^ 戦史叢書43 1970, pp. 162–163作戦計画
  134. ^ 戦史叢書95 1976, pp. 244–246ミッドウェー作戦
  135. ^ 戦史叢書43 1970, p. 601水上艦艇の被害
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  140. ^ 昭和17年7月14日(発令7月14日付)海軍辞令公報(部内限)第899号 p.50」 アジア歴史資料センター Ref.C13072086200 
  141. ^ 戦史叢書43 1970, pp. 637–639第三艦隊の新設
  142. ^ 戦史叢書49 1971, pp. 545–547第三艦隊戦策
  143. ^ a b 昭和17年7月14日(発令7月14日付)海軍辞令公報(部内限)第899号 pp.1-2」 アジア歴史資料センター Ref.C13072086300 
  144. ^ 昭和17年7月22日(水)海軍公報(部内限)第4148号 p.38」 アジア歴史資料センター Ref.C12070413300 〔 ○旗艦變更 第三艦隊司令長官ハ七月二十日旗艦ヲ翔鶴ニ變更セリ|○残務整理 第五航空戰隊司令部残務整理事務所ヲ呉海兵團内ニ設置セリ 追テ郵便物發送先ハ 呉海兵團気付 瑞鶴司令部残務整理委員宛 〕
  145. ^ 昭和17年8月17日(月)海軍公報(部内限)第4170号 p.4」 アジア歴史資料センター Ref.C12070413700 〔 ○事務所撤去 第五航空戰隊残務整理事務所ハ八月十五日撤去セリ 追テ自今特ニ必要書類ハ左ニ送付相成度 横須賀海軍航空隊氣付 海軍少佐 大谷藤之助(第五航空戰隊残務整理員) 〕
  146. ^ 戦史叢書95 1976, pp. 385–386(あ号作戦)作戦経過
  147. ^ 戦史叢書45 1970, pp. 44–46航空兵力の緊急再建案
  148. ^ a b 戦史叢書45 1970, pp. 50–51七月初頭における作戦指導方針概案
  149. ^ 戦史叢書95 1976, pp. 393–394機動部隊の作戦準備
  150. ^ 戦史叢書38 1970, pp. 87–94戦時艦隊編制の改定(昭和16.12.10付)
  151. ^ 戦史叢書38 1970, pp. 96–98機密南洋部隊命令作第1号による兵力部署(抜粋)(昭和16.11.21付)
  152. ^ 戦史叢書38 1970, pp. 520–531聯合艦隊戦時編制表(昭和17.4.10付)
  153. ^ 戦史叢書49 1971, p. -303-327三 五月八日の戦闘
  154. ^ 戦史叢書49 1971, p. 190.
  155. ^ 戦史叢書49 1971, pp. 193–198MO攻略部隊
  156. ^ 戦史叢書49 1971, p. 284.
  157. ^ a b 戦史叢書49 1971, p. 296.
  158. ^ 戦史叢書49 1971, p. 305.
  159. ^ 戦史叢書49 1971, pp. 324–326MO攻略部隊の作戦
  160. ^ #海軍航空部隊編制 p.12〔 17-7-1 GF|(×)1AF|5Sf|瑞鶴/翔鶴|各C×27 B×27 O×18/瑞鳳|C×12 O×6 〕


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