第52駆逐隊とは? わかりやすく解説

第52駆逐隊

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/12/27 03:14 UTC 版)

檜 (松型駆逐艦)」の記事における「第52駆逐隊」の解説

11月15日日本海軍松型駆逐艦5隻()により第52駆逐隊を新編した。駆逐隊司令には11月29日付で岩上一大佐(当時、第7駆逐隊司令海兵50期)が任命された。11月23日付で、十一水戦旗艦は「」から「」に変更された。11月25日付で第52駆逐隊は、対潜機部隊第三十一戦隊司令官江戸太郎少将海兵40期)に編入された。 同日25日昭南に向かうヒ83船団を、空母海鷹」と駆逐艦5隻(卯月型〈夕月卯月〉、型〈〉)および海防艦複数隻などで護衛して門司出撃する高雄到着後、第30駆逐隊はヒ83船団部隊別れる。他艦は12月3日高雄出港して馬公経由で呉に帰投した。 12月中旬、第52駆逐隊()は白露型駆逐艦時雨とともにマニラ方面特攻兵器桜花陸軍部隊輸送する任務に就く空母雲龍」を護衛することになった12月17日、緊急輸送部隊4隻(雲龍時雨)は呉を出撃する19日夕刻、「雲龍」は東シナ海アメリカ潜水艦レッドフィッシュ (USS Redfish, SS-395) の攻撃により沈没する。「雲龍沈没後から反撃開始し、約46メートル次いで70メートル深度潜むレッドフィッシュに対して12発の爆雷投下二度目攻撃では爆雷9発を投下して機械乗組員1名を負傷させ、レッドフィッシュこれ以上哨戒断念して真珠湾戻っていった。20日朝、舵故障となった時雨」は佐世保向かった。「時雨」と別れた型2隻()は高雄入港し12月22日出港して24日マニラ到着した同時期には、第三十一戦隊の新司令部マニラ進出した。 「」と「」はマニラカムラン湾サンジャックとの間で輸送任務従事した12月28日、「」と「」は第四航空戦隊航空戦艦2隻(日向伊勢)から燃料補給した12月30日礼号作戦参加した姉妹艦)がサンジャック到着した第三十一戦隊旗艦は「」から「になった12月31日52駆()は特設給糧船「生田川丸」(元イタリアカリテア、4,013トン)を護衛してサンジャック出港した1945年昭和20年1月4日夜、3隻はマニラ到着した。この時ルソン島西岸部にはリンガエン湾目指すアメリカ艦隊輸送船団が、幾度か神風特別攻撃隊攻撃遭いながらも北上中だった。1月5日南西方面艦隊は、司令部マニラからバギオ移した南西方面艦隊司令部3日に第43駆逐隊と第52駆逐隊を第二遊撃部隊第五艦隊基幹)に編入していたが、5日午前1120分に52駆()の西方避退命じた52駆()は第九三三航空隊整備兵などを乗せた生田川丸」を連れてマニラ出港カムラン湾撤退することになった。ところが同5日16時15分、南西方面部隊は、第52駆逐隊に連合軍上陸船団攻撃するよう命じた大川内長官礼号作戦戦果鑑み第三十一戦隊松型駆逐艦対しアメリカ軍輸送船団への殴りこみ攻撃命令したのである。 「生田川丸」や病院船第二氷川丸」(元オランダ病院船オプテンノール)などは、マニラ脱出して西方むかった一方52駆()は掃海担当アメリカ軍(第77.6部隊)の背後躍り出て第77.6部隊驚かせた。第77.6部隊護衛していたオーストラリア海軍スループのワレーゴ (HMAS Warrego, U73) とガスコーニュ (HMAS Gascoyne, K354) 、助太刀に来たアメリカ駆逐艦ベニオン(英語版) (USS Bennion, DD-662) と午後3時40分頃から交戦開始するが、約一時間砲戦双方ともさしたる戦果被害もなかった。この戦闘中に、南西方面部隊から突撃命令出された。避退間もなく第77任務部隊護衛空母から発進した艦上機攻撃が始まる。17時以降被弾した「」は航行不能になった直撃弾1と至近弾により、戦死21名と重傷50名という被害を出す。機関部にも損傷受けていた。「」を掩護していた姉妹艦」は、1910分に撃沈された。残された「」は潜水艦雷撃夜間空襲受けた被害はなく、応急修理12ノット速力が出るまでに回復させてマニラ帰投した。 1月6日朝、「」はマニラ入港した。同6日夕刻連合艦隊南西方面部隊対しアメリカ軍上陸船団殲滅命じた1月7日午後満身創痍の「」は再度サンジャックへの脱出試みてマニラ出港する。しかし、リンガエン湾へ向かう輸送船団のうちサン・ファビエン上陸派遣され輸送船団遭遇。その護衛艦艇の内の駆逐艦チャールズ・オースバーン (USS Charles Ausburne, DD-570) がレーダーで「」を捉えて調査向かい照明弾で「」を照らし出した。チャールズ・オースバーンは「に対して砲撃行いその間別の駆逐艦ブレイン (USS Braine, DD-630) が「」を照らし出した。「」は東方逃走する砲火散々浴びた末に爆発起こし後部から沈没していった。「」も反撃したが、チャールズ・オースバーンには命中弾はなかった。また、この際駆逐艦から「」の魚雷発射に伴うものと思われる発光目撃されており、仮に事実ならばこの戦闘日本海軍水上艦艇最後魚雷戦となるのではないかとの指摘がある。駆逐艦ラッセル (USS Russell, DD-414) が生存者捜索したものの発見できず、岩上52司令駆逐艦長山口浩少佐下乗全員戦死した日本側は「」の最期確認しておらず「行方不明」と記録している。 4月10日除籍松型駆逐艦と、第52駆逐隊からも削除された。

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第52駆逐隊

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/01/16 03:43 UTC 版)

樅 (松型駆逐艦)」の記事における「第52駆逐隊」の解説

11月15日日本海軍松型駆逐艦5隻()で第52駆逐隊を編成した。第52駆逐隊司令には岩上一大佐、海兵50期当時、第7駆逐隊司令)が補職された。11月25日付で第52駆逐隊は第五艦隊隷下第三十一戦隊司令官江戸太郎少将海兵40期)に編入された。 同25日昭南に向かうヒ83船団を、空母海鷹」と駆逐艦5隻(卯月型〈夕月卯月〉、型〈〉)および海防艦複数隻などで護衛して門司出撃する高雄到着後、第30駆逐隊はヒ83船団部隊別れる。他艦は12月3日高雄出港して馬公経由で呉に帰投した。 12月中旬、第52駆逐隊()は白露型駆逐艦時雨とともにマニラ方面特攻兵器桜花陸軍部隊輸送する任務に就く空母雲龍」を護衛することになった12月17日、緊急輸送部隊4隻(雲龍時雨)は呉を出撃する19日夕刻、「雲龍」は東シナ海アメリカ潜水艦レッドフィッシュ (USS Redfish, SS-395) の攻撃を受け、沈没した。「」の爆雷攻撃レッドフィッシュ損傷しハワイ帰投した。20日朝、舵故障起こした時雨」は佐世保むかった内地帰投する「時雨」と別れた型2隻()は、高雄入港したあと12月22日出港し24日マニラ到着した同地には、新任第三十一戦隊司令官鶴岡信道少将海兵43期)と司令部進出していた。12月24日夜、第三十一戦隊司令部は「」に将旗掲げ型2隻()はマニラから中国大陸沿岸カムラン湾移動した27日サンジャック移動する28日、「」と「」は第四航空戦隊航空戦艦2隻(日向伊勢)から燃料補給した29日、「」はサイゴンサンジャック往復した30日礼号作戦参加した姉妹艦)もサンジャック到着した同日第三十一戦隊司令部は「」から「」に旗艦変更した12月31日、第52駆逐隊()は特設給糧船「生田川丸」(元イタリアカリテア、4,013トン)を護衛してベトナムサンジャック出港した1945年昭和20年1月4日夜、3隻はマニラ到着した。この時ルソン島西岸部にはリンガエン湾目指すアメリカ艦隊輸送船団が、幾度か神風特別攻撃隊攻撃遭いながらも北上中だった。1月5日南西方面艦隊は、司令部マニラからバギオ移した南西方面艦隊司令部3日に第43駆逐隊と第52駆逐隊を第二遊撃部隊第五艦隊基幹)に編入していたが、5日午前1120分に52駆()の西方避退命じた52駆()は第九三三航空隊整備兵などを乗せた生田川丸」を連れてマニラ出港カムラン湾撤退することになった。ところが同5日16時15分、第52駆逐隊に連合軍上陸船団攻撃するよう命じた大川内長官礼号作戦戦果鑑み第三十一戦隊松型駆逐艦対しアメリカ軍輸送船団への殴りこみ攻撃命令したのである。 「生田川丸」や病院船第二氷川丸」(元オランダ病院船オプテンノール)などは、マニラ脱出して西方へむかう。一方52駆()は、掃海担当していたアメリカ軍(第77.6部隊)の背後躍り出て第77.6部隊驚かせた。第77.6部隊護衛していたオーストラリア海軍スループのワレーゴ (HMAS Warrego, U73) とガスコーニュ (HMAS Gascoyne, K354) 、助太刀に来たアメリカ駆逐艦ベニオン(英語版) (USS Bennion, DD-662) と午後3時40分頃から交戦開始するが、約一時間砲戦双方ともさしたる戦果被害もなかった。戦闘中南西方面部隊から突撃命令出された。避退間もなく第77任務部隊護衛空母から発進した艦上機攻撃が始まる。17時過ぎ、直撃弾を受けた」は航行不能になった。「」は舵を損傷した後の1910分、航空魚雷命中して沈没した3月10日、「」は除籍される。松型駆逐艦、第52駆逐隊から削除された。

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