リンガエン湾
リンガエン湾
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/06 03:36 UTC 版)
「マニラ・ベイ (護衛空母)」の記事における「リンガエン湾」の解説
オルデンドルフ中将の艦隊はスリガオ海峡を西航し、ミンダナオ海を抜けてスールー海に入った。これに対する神風攻撃は1月4日から本格的に始まり、手厚い空中援護があったにもかかわらず、神風特攻旭日隊(彗星2機)、一誠隊(隼2機)、進襲隊(九九式襲撃機1機)が艦隊を攻撃。そのうちの旭日隊の彗星1機がオマニー・ベイ (USS Ommaney Bay, CVE-79) に突入。オマニー・ベイは激しく炎上し、20分後には総員退艦が令されて艦を放棄することとなり、弾薬に引火して激しい爆発を起こしたオマニー・ベイは、駆逐艦バーンズ (USS Burns, DD-588) の魚雷により沈められた。 神風攻撃は1月5日にも行われた。この日も空中哨戒の戦闘機を出動させ、多数の神風を撃墜して午前中は終わった。16時50分、この日三度目の神風攻撃が始まって戦闘配置が令された。空中哨戒の戦闘機はここでも多数の神風を撃墜したが、生き残った3機の神風が重巡洋艦ルイビル (USS Louisville, CA-28) 、護衛駆逐艦スタフォード (USS Stafford, DE-411) およびオーストラリア重巡洋艦オーストラリア (HMAS Australia, D84) にそれぞれ命中した。17時50分の少し前、ついに2機の神風がマニラ・ベイに命中した。1機は艦橋後方の右舷部から操舵室に命中し、格納庫とレーダーを破壊した。もう1機は飛行甲板のエレベーター付近に命中した。神風突入により格納庫のアヴェンジャー2機が炎上し始めたが、防火体制が十分だったので大事には至らなかった。マニラ・ベイは24時間以内に応急修理を完了し、リンガエン湾への上陸作戦が行われた1月9日までには全力発揮が可能な存在にまで回復した。マニラ・ベイは14名の戦死者と51名の負傷者を出した。フイットシュー・リー艦長は、戦時日誌においてマニラ・ベイに突入した神風を「見事だ」と賞賛し、2機のうちの1機の残骸から、戦死したパイロットが自らの身分を示す手帳と日の丸が入った紙入れを確認した。 戦列に復帰したマニラ・ベイは、火力支援部隊に空中援護を提供するとともに、リンガエン湾からバギオに通じるルソン島西部のあらゆる地域への攻撃で航空機を104回出動させ、日本軍の砲台や建築物、軍用トラックに対して爆撃や機銃掃射を行い、リンガエン湾およびサンファビアン(英語版)地域に上陸した味方部隊の援護を行った。1月17日、マニラ・ベイは輸送船団とともにリンガエン湾を離れ、レイテ島、ウルシー環礁、真珠湾を経由して、2月15日にサンディエゴに到着し、4月末まで損傷の修理を行った。
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リンガエン湾
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「ハルゼー・パウエル (駆逐艦)」の記事における「リンガエン湾」の解説
艦隊はリンガエン湾侵攻を支援するために1月9日から15日に南シナ海に入り、空母が中国とインドシナの基地を攻撃するのを支援した。1月21日の神風特攻隊による攻撃でタイコンデロガが損害を受けたため、ハルゼー・パウエルがウルシー環礁まで護衛した。
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