1942年まで
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/08/23 05:52 UTC 版)
伯剌西爾丸は、川崎汽船貨物船として、1919年(大正8年)4月10日に川崎重工業神戸造船所で起工し、1919年5月31日に進水、1919年6月20日に竣工する。8月1日、国際汽船へ売却。1933年(昭和8年)3月30日に小野商事合名へ売却。 1941年(昭和16年)10月15日、日本陸軍に徴用され、陸軍船番号526番が付与された。12月18日、リンガエン湾上陸作戦に参加して基隆を出港し、21日にリンガエン湾に到着。 1942年(昭和17年)1月21日、伯剌西爾丸は第2師団輸送に参加して門司を出港し、26日に馬公に到着後、そのままカムラン湾に移動。2月18日1000、カムラン湾を出港し、ジャワ島バンタム湾上陸作戦に参加。4月19日、ラングーンに到着。22日に出港し、28日に昭南に到着した。 9月27日、伯剌西爾丸は伊太利丸(玉井商船、5,858トン)他輸送船2隻と共に沖第二次輸送部隊を編成し、駆逐艦朝潮の護衛で佐伯を出港。10月7日、船団はラバウルに到着した。
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