駐屯軍とは? わかりやすく解説

守備隊

(駐屯軍 から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/11/16 01:53 UTC 版)

守備隊(しゅびたい、:Garrison)とは、ある特定の地点を防衛する部隊の事である。駐屯軍(ちゅうとんぐん)とも。語源は、フランス語のgarnir garnison(防衛の意)とされている。




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駐屯軍

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イタリア南仏進駐領域」の記事における「駐屯軍」の解説

1940年6月開戦時点でイタリア王国陸軍70名の兵員保有する公称されていた。しかし各師団定員は常に不足しており、また装備面での前時代性は他国比べて工業力不足から顕著な状態にあった陸軍においては133戦車師団リットリオ」が装備する150250両の戦車タンケッテ呼ばれる豆戦車主力とし、戦車というよりも「装甲付き機関銃運搬車」でしかなかった。野戦砲輸送車両欠乏も深刻で、アルプス山脈厳寒耐え得る防寒具不足していた。こうした状況下で獲得され進駐領域国防上の大きな利点呼べた。 アントン作戦では伊第4軍プロヴァンス占領担当、また別働隊として1個師団コルシカ島上陸派遣された。投入戦力総勢136,000からなり対すヴィシー軍は66,000名から編成された。戦い無気力なヴィシー軍の散発的な抵抗終わり、ほとんど損害らしい損害受けず作戦完了させてヴィシー軍を武装解除した。それから講和による領土返還が行われるまで住民による組織的な抵抗無く平穏に占領統治推移していた。 また進駐領域とは別にドイツ海軍要請地中海から大西洋移動したイタリア海軍潜水艦艦隊基地として南仏西部ボルドー市も占領統治下に置かれていた。ボルドー市進駐は1940年8月から開始されBETASOM呼ばれた潜水艦部隊1943年9月までに109隻の商船(593,864トン)と18隻の軍艦(2トン)を撃沈した

※この「駐屯軍」の解説は、「イタリア南仏進駐領域」の解説の一部です。
「駐屯軍」を含む「イタリア南仏進駐領域」の記事については、「イタリア南仏進駐領域」の概要を参照ください。

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