イタリア海軍
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イタリア海軍(イタリアかいぐん、イタリア語: Marina Militare Italiana)は、イタリアが保有する海軍。
- 1 イタリア海軍とは
- 2 イタリア海軍の概要
イタリア海軍
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「ハリアー II (航空機)」の記事における「イタリア海軍」の解説
イタリア海軍は、1937年の空軍法によって固定翼機の運用を禁止されていた分、艦載ヘリコプターの運用には積極的で、早くから航空運用能力を備えた艦を整備していた。1967年には、HSA社がイタリア海軍のヘリコプター巡洋艦「アンドレア・ドーリア」でハリアーの発着デモを行ったことに触発されて、ハリアーGR.50の購入契約を締結するに至ったものの、後に空軍法違反が指摘されて契約を破棄する騒ぎとなった。 しかしその後もイタリア海軍はハリアー導入の夢を捨てておらず、1980年代初頭に「ジュゼッペ・ガリバルディ」を建造する際には、全通飛行甲板を備えたヘリ空母とするとともに、「甲板への波浪の影響を避けるため」と称してスキージャンプ勾配も設置しており、1988年にはアメリカ海兵隊のAV-8Bおよびイギリス海軍のシーハリアーがクロスデッキを行って、固定翼V/STOL機の運用適合性を確認した。1987年にAV-8B+の開発計画が発表されるとこれにも関心を寄せ、開発推進の一助となった。 1989年2月に法律が改正されて、海軍が固定翼機を保有・運用できるようになると、5月にはTAV-8B練習機2機を発注するとともにアメリカ海兵隊に要員を派遣して、操縦訓練を開始した。1990年にはグロッターリエ基地(英語版)において受け入れのための地上施設の建設に着手するとともに、AV-8B+ 16機を発注した。TAV-8B 2機は1991年8月に引き渡されたほか、AV-8B+もまず3機が1994年4月に引き渡されて、アメリカのチェリー・ポイント海兵隊航空基地においてイタリアから派遣された要員の訓練に供されたのち、11月に派米された「ジュゼッペ・ガリバルディ」に搭載されて回航され、12月にグロッターリエ基地に到着、第1遠征航空飛行隊を編成した。1995年1月には、早速、第二次国際連合ソマリア活動の撤退支援のために出撃し、初の実戦参加となった。このときには、3機のハリアーIIが上空警戒と武装偵察を実施して、良好な結果を残した。
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イタリア海軍
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「ジュゼッペ・ガリバルディ級装甲巡洋艦」の記事における「イタリア海軍」の解説
ジュゼッペ・ガリバルディ級装甲巡洋艦 ジュゼッペ・ガリバルディ(英語版) - 1899年進水。 ヴァレーゼ(英語版) - 1899年進水。 フランチェスコ・フェッルッチョ(英語版) - 1902年進水。 ジュゼッペ・ガリバルディ - 1895年進水。アルゼンチンへ譲渡。⇒ガリバルディ ジュゼッペ・ガリバルディ - 1896年進水。スペインへ譲渡。⇒クリストーバル・コロン ジュゼッペ・ガリバルディ - 1897年進水。アルゼンチンへ譲渡。⇒プエイレドン ヴァレーゼ - 1896年進水。アルゼンチンへ譲渡。⇒サン・マルティン ヴァレーゼ - 1897年進水。アルゼンチンへ譲渡。⇒ヘネラル・ベルグラノ ミトラ - 1902年進水。アルゼンチンから日本へ譲渡。⇒春日 サン・ロカ - 1903年進水。アルゼンチンから日本へ譲渡。⇒日進
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イタリア海軍
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「テイラー (DD-468)」の記事における「イタリア海軍」の解説
退役から約1か月後の1969年7月2日に除籍されたテイラーは、同時にイタリア海軍へ移管された。テイラーは槍騎兵を意味するランチエーレ(Lanciere, D 560)と改名され1971年1月まで使用された後、イタリア海軍で使用されていた姉妹艦の部品取りとして使用された。
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イタリア海軍
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イタリア海軍は空母「アキラ」に自国製カタパルトを搭載予定だったが、未完成のまま空襲を受け自沈した。
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イタリア海軍
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イタリア海軍では、まず原型艦4隻を1977年から1980年にかけて就役させた。これらはイタリア海軍初のSSM搭載フリゲートとして、艦隊の対水上打撃力の一翼を担った。ただし復原性や耐航性の不足が指摘されたことから、艦型を拡大したマエストラーレ級フリゲートが新たに建造される事となった。 これらの艦はイラン・イラク戦争の終盤、タンカー戦争においてタンカー護衛の任務に就いた。また1990年には湾岸危機で出動して多国籍軍に参加し、湾岸戦争にも参加した。 その後、2000年代に入って順次に退役し、全艦がペルーに売却された。
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イタリア海軍(Marina Militare)
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「イタリア軍」の記事における「イタリア海軍(Marina Militare)」の解説
詳細は「イタリア海軍」を参照 イタリア海軍(Marina Militare マリーナ・ミリターレ)は1861年3月17日、ヴィットーリオ・エマヌエーレ2世により王立海軍(Regia Marina レージャ・マリーナ)として創設された。伝統的に海洋国家を志向する事で中世・近世の戦乱に対処した勢力が根付いてきたイタリア半島の歴史から重要視され、特にイギリス海軍との交流で造船技術の蓄積が試みられた。装甲艦、前弩級戦艦、弩級戦艦といった大型艦艇の建艦競争にも積極的に参加したが、第一次世界大戦から水雷艇などの小型艦艇の運用に転じて超弩級戦艦は建造されなかった。 第二次世界大戦までの戦間期に新戦艦という定義で戦艦建造を再開したのを最後に大艦巨砲主義から脱却、共和制移行後に海軍の現代化を推進した。V/STOL空母や強襲揚陸艦の保有を進め、冷戦期にはソ連黒海艦隊と対峙する役割を負った。現在もNATO軍の航空艦隊の一翼を担う存在として国際貢献活動に関わる他、イタリア沿岸警備隊(Guardia Costiera グアルディア・コスティエーラ)を指揮下に置いている。
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イタリア海軍
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「ポラリス (ミサイル)」の記事における「イタリア海軍」の解説
ポラリスはイタリア海軍の誘導ミサイル巡洋艦ジュゼッペ・ガリバルディへの搭載が検討されたことがある。ジュゼッペ・ガリバルディは1936年就役の艦であるが、1957年から1961年にかけて大改装を行い、ポラリス発射筒4基を搭載した。1961年から1962年にかけて発射試験が行われ、成功した。この成功により、北大西洋条約機構の多角的核戦力、すなわち25隻の多国籍(アメリカ、イギリス、フランス、イタリアおよび西ドイツ)水上艦艇に200発のポラリスミサイルを装備させ、ヨーロッパの連合国に北大西洋条約機構(NATO)の核抑止力の管理に参加させる構想にアメリカは参加した。 イタリアへのポラリス導入プログラムは、多角的核戦力構想ともども放棄された。ひとつはキューバ危機の結果による政治的理由のゆえであり、他方では、最初の弾道ミサイル潜水艦ジョージ・ワシントンにより有効に潜水艦発射弾道ミサイルを発射できる可能性が実証されたことによって、水上艦発射ミサイルよりも潜水艦発射弾道ミサイルがより好ましいと考えられたからであった。 イタリアは新たに国内でアルファと呼ばれる弾道ミサイルを開発したが、この開発プログラムはイタリアが1976年に核不拡散条約を批准した後にキャンセルされ、3基目にして最後のプロトタイプの試射が1976年に成功を収めた。 前述のジュゼッペ・ガリバルディの他、1963年から1964年にかけて就役した2隻のアンドレア・ドーリア級ヘリコプター巡洋艦も2基のポラリス・ミサイルの配備を検討されたが、配備には至らなかった。全ての発射管は建造されたものの、搭載はされずにラ・スペツィアの海軍施設に保管された。1969年に進水したヴィットリオ・ヴェネトもまた4基のポラリス・ミサイルの配備が検討されたが検討にとどまり、1980年から1983年にかけての近代化改装時にこれらの施設は全て除去され、他の兵器およびシステムに使用された。
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