イタリア海洋都市国家への依存とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > ウィキペディア小見出し辞書 > イタリア海洋都市国家への依存の意味・解説 

イタリア海洋都市国家への依存

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/18 03:51 UTC 版)

キプロス王国」の記事における「イタリア海洋都市国家への依存」の解説

1291年十字軍勢力最後拠点としてシリア残されていたアッコンアッカ)がマムルーク朝によって陥落すると、キプロスは最もシリアに近いキリスト教徒側の拠点という位置から、レバント貿易従事する人々の間で重要性高まった。この結果キプロス巡ってヴェネツィアジェノヴァの間で対立深まり1373年にはジェノヴァ艦隊が島の南西位置するファマグスタ占領するという事件も生じたキプロス東地中海における西欧最後拠点として、アッコン陥落後もたびたび企図された十字軍遠征イスラム勢力攻撃基地となった聖地騎士団イタリア都市西欧各国組んだキプロス王国は、14世紀にはたびたび小アジアエジプト襲っている(1344年スミルナ十字軍1365年アレクサンドリア十字軍など)。 一方キプロス王家は、後継者争いマムルーク朝などのイスラム国家との抗争のために疲弊しイタリア都市深く依存するようになっていた。中でもヴェネツィア貴族のコルナーロ家との関係は厚く、その支援に対して度々特権付与することが行われた。また1464年王位就いたジャック2世はその即位前に異母妹王位巡って争ったが、この時もヴェネツィアからの支援受けてこれに勝利し、コルナーロ家の娘カタリーナを妻に迎えている。しかしジャック2世後継者男子得て程なく病死しジャック3世となったその男子も夭折するカタリーナ女王となり、その16年後1489年に彼女はキプロスを自らの祖国であるヴェネツィア譲り、ここにキプロス王国はその幕を閉じたヴェネツィアキプロス英語版)の成立)。

※この「イタリア海洋都市国家への依存」の解説は、「キプロス王国」の解説の一部です。
「イタリア海洋都市国家への依存」を含む「キプロス王国」の記事については、「キプロス王国」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「イタリア海洋都市国家への依存」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「イタリア海洋都市国家への依存」の関連用語

イタリア海洋都市国家への依存のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



イタリア海洋都市国家への依存のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaのキプロス王国 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS