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マムルークちょう ―てう 【―朝】

マムルーク(mamlūk)はアラビア語奴隷の意〕エジプト・シリアを支配したトルコ系イスラム王朝(1250-1517)。アイユーブ朝軍人奴隷創建十字軍モンゴル軍を撃退し、東西貿易繁栄したが、オスマン帝国に滅ぼされた。


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マムルーク朝

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2011/11/17 14:03 UTC 版)

マムルーク朝の位置
マムルーク朝の領域(1279年)
公用語 アラビア語ペルシア語、キプチャク・トルコ語
首都 カイロ
スルタン
1250年 - 1250年 シャジャル・アッ=ドゥッル(初代)
1260年 - 1277年 ザーヒル・バイバルス(第5代)
1389年 - 1390年 サーリフ・ハーッジー(第30代・バフリー・マムルーク朝最後)
1390年 - 1399年 ザーヒル・バルクーク(第31代・ブルジー・マムルーク朝初代)
1516年 - 1517年 アシュラフ・トゥーマーンバーイ(最後)
変遷
成立 1250年
バフリー・マムルーク朝からブルジー・マムルーク朝に移る 1390年
滅亡 1517年

マムルーク朝دولة المماليك Dawla al-Mamālīk)は、エジプトを中心に、シリアヒジャーズまでを支配したスンナ派イスラム王朝1250年 - 1517年)。首都はカイロ。そのスルターンが、マムルーク奴隷身分の騎兵)を出自とする軍人と、その子孫から出たためマムルーク朝と呼ばれる。一貫した王朝ではあるが、いくつかの例外を除き王位の世襲は行われず、マムルーク軍人中の有力者がスルターンに就いた。




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