十字軍遠征とは? わかりやすく解説

十字軍

(十字軍遠征 から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/05/17 22:13 UTC 版)

十字軍(じゅうじぐん、ラテン語: cruciataフランス語: croisade英語: crusade)とは、中世西欧カトリック諸国が聖地エルサレムイスラム教諸国から奪還することを目的に派遣した遠征軍のことである。


  1. ^ 野澤武史 著、全国歴史教育研究協議会 編『世界史用語集』山川出版社、2020年12月15日、98頁。ISBN 978-4-634-03304-7 
  2. ^ 木村靖二 岸本美緒 小松久男(ほか6名)『詳説世界史』(改訂版)山川出版社、2022年3月5日、138頁。ISBN 978-4-634-70034-5 
  3. ^ 八塚春児『十字軍という聖戦』(NHKブックス1105、2008年)p.29。八塚はp.14-18で、「十字軍」という訳語は西周による造語ではないかと推定している。
  4. ^ 山内 1997, pp. 64-65.
  5. ^ 「図説 十字軍」p24-28 河出書房新社 櫻井康人 2019年2月28日初版発行
  6. ^ 山内 1997, pp. 69-71.
  7. ^ 井上 2008, p. 229.
  8. ^ 堀越 2006, pp. 344-345.
  9. ^ Burgturf, Jochen. "Crusade of 1239–1241". The Crusades: An Encyclopedia. pp. 309-311.
  10. ^ Painter, Sidney (1977). "The Crusade of Theobald of Champagne and Richard of Cornwall, 1239-1241.". In Setton, K., A History of the Crusades: Volume II. pp. 463-486.
  11. ^ Hendrickx, Benjamin. "Baldwin II of Constantinople". The Crusades: An Encyclopedia. pp. 133–135.
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  13. ^ Jackson, Peter. "The Crusades of 1239–1241 and Their Aftermath". Bulletin of the School of Oriental and African Studies, Vol. 50, No. 1 (1987). pp. 32–60. JSTOR 61689.
  14. ^ Gibb 1969, pp. 703–709, The Ayyubids from 1229–1244.
  15. ^ Burgturf, Jochen. "Gaza, Battle of (1239)". The Crusades: An Encyclopedia. pp. 498–499.
  16. ^ Tyerman 2006, pp. 755–780, The Crusades of 1239–1241.
  17. ^ Tyerman 1996, pp. 101–107, The Crusade of Richard of Cornwall.
  18. ^ Richard 1999, pp. 319–324, The Barons' Crusade.
  19. ^ J. B. Bury (1911). "Baldwin II (emperor of Romania)" . In Chisholm, Hugh (ed.). Encyclopædia Britannica. 3. (11th ed.). Cambridge University Press. p. 867.
  20. ^ Asbridge 2012, pp. 574–576, The Bane of Palestine.
  21. ^ 「図説 十字軍」p79-80 河出書房新社 櫻井康人 2019年2月28日初版発行
  22. ^ 「図説 十字軍」p84 河出書房新社 櫻井康人 2019年2月28日初版発行
  23. ^ 『名画で読み解く「世界史」』祝田秀全(監修)、世界文化社、2013年、52頁。ISBN 978-4-418-13225-6 
  24. ^ 「図説 十字軍」p87-88 河出書房新社 櫻井康人 2019年2月28日初版発行
  25. ^ 堀越 2006, p. 240.
  26. ^ 山内 1997, pp. 78-79.
  27. ^ パーシー 2001, p. 78.
  28. ^ 石坂ら 1980, p. 23.
  29. ^ バッシュビッツ 1970, pp. 71-72.
    調査結果は Palmer A. Throop. 'Criticism of the Crusade'(『十字軍批判』), Amsterdam O. J.による。
  30. ^ 新人物往来社編 2011, pp. 42-45.
  31. ^ 「図説 十字軍」p36-37 河出書房新社 櫻井康人 2019年2月28日初版発行
  32. ^ 笈川 2010, p. 145.
  33. ^ ISISがバチカンを襲うのは時間の問題だ”. ニューズウィーク日本語版 (2017年8月28日). 2017年9月20日閲覧。



十字軍遠征

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イルハン朝」の記事における「十字軍遠征」の解説

@media screen{.mw-parser-output .fix-domain{border-bottom:dashed 1px}}対抗してイルハン朝東ローマ帝国友好結んでいた。イルハン朝東ローマ結んだのには、フレグの母ソルコクタニ・ベキや、フレグの子1265年第2代ハンとなったアバカネストリウス派キリスト教徒で、キリスト教に対して親しみがあったためであるとも言われる。[独自研究?] 1268年バイバルスフレグ死亡後混乱乗じて北上しアンティオキア公国滅亡させた。1269年バラクカイドゥ協定結んでヘラート侵攻1270年第8回十字軍苦戦していたアッコン防衛エドワード1世派遣される1270年7月21日カラ・スゥ平原の戦い

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十字軍遠征

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ドレンテ十字軍」の記事における「十字軍遠征」の解説

司教ウィルブランドはラドルフや彼の兄弟たち率い反乱軍クーバーデンまで押し戻すことができ、1229年、ウィルブランドは統治権そのまま保持することができた。つまり、反乱軍目的をまだ果たせていなかった。そのためラドルフは再び戦争始めようとした。しかしウィルブランドの軍勢ドレンテ勢より優勢となり、ラドルフは休戦認めた。ラドルフらが交渉のためにハルデンベルグ(英語版)に赴いたものの、街に着くとラドルフはウィルブランドらに囚われ1230年6月25日そのまま処刑されてしまう。ラドルフの処刑反乱軍休戦規約破棄し戦争再開した。しかしこれまでのような力は残っていなかった。 ラドルフの兄弟処刑され首長ラドルフの跡を継いで反乱継続させたため、ウィルブランドはフリース人フローニンゲン市市民に対してドレンテ人の反乱制圧協力するよう呼びかけた。フリース人らに加えて、Twente(英語版)市やサラント市に居住する貴族たちまでもがウィルブランドに協力した無名歴史家当時記したA Certain Narrativeという歴史書には、フリース人らは自ら進んでウィルブランドの援助をしたと強調されている。多く市民騎士らが傘下入ったことで、ウィルブランドは自身の軍を2つ分けなければならないほどだった。 しかしクーバーデン郊外に住む人々ドレンテ人らに味方した1230年司教軍勢クーバーデン郊外にて反乱軍敗れたものの、ドレンテの砦を破壊することができた。そして1231年両者和解したその内容は、ドレンテ側が賠償金払い、ラドルフの弟フレデリッククーバーデン統治権保持する、というものだった。 しかしこの平和も長くは続かなかった。両者和平成立したその年、ドレンテ人とその協力者たちが、司教側に奪われていたクーバーデン郊外の砦に再び攻めかかったのだ。この戦闘多くドレンテ人たちが命を落としたが、フローニンゲン軍はその砦を死守し、Zuidlaren(英語版)をも制圧することに成功した。その一方でフローニンゲン配下にいたフリース人部隊はこの戦で壊滅したドレンテ人を率いていたボルキュロのヘデリックはヴェストファーレンにて新兵雇い別のフリース人部隊撃退した両者幾度となく戦ったものの、1232年9月、十字軍遠征は中途半端な結果終わった

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