イタリア検察当局による訴追
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/23 04:20 UTC 版)
「アイルトン・セナの死」の記事における「イタリア検察当局による訴追」の解説
セナの事故死の後、ウィリアムズ・チームは長年にわたってイタリアにおける刑事訴訟に巻き込まれることとなった。イタリアの法制度では、被害届なしでも自然死以外の死はすべて捜査対象となっており、セナの死の直後から捜査当局が動き出していた。セナの死に関する裁判は、チームの幹部を過失致死罪で訴追するイタリアの検察当局によって開始された。1997年に行われた初公判では、検察側が訴えを証明できなかったと判断した判事により、無罪判決が言い渡された。しかしながら、イタリア最高裁はこの判決に対して再審を命じた。2007年4月13日、イタリア最高裁判所(英語版)はその判決(15050号)を言い渡した。判決は、「ステアリングコラムの破損が事故を引き起こしたことが確定された。この破損は劣悪に設計・実施された改造によってもたらされた。責任の所在は、監督不行届の過失を犯したパトリック・ヘッドにある。」とした。一方で、イタリアの法制度では過失致死罪の時効は7年6ヶ月で成立するとされていたため、事故から13年後のこの判決によってヘッドが逮捕されることはなかった。 刑事責任の焦点はセナの車のステアリングコラムに置かれていた。事故後、ステアリングコラムは改造が施された箇所で破断した状態で発見された。検察当局はステアリングコラムの破断が事故を引き起こしたと主張した。ウィリアムズ側は破断の事実は認めたものの、クラッシュの衝撃によって破断したものであると主張した。セナは着座位置に対するステアリングホイールの取りつけ位置に不満を持っており、変更を要求していた。セナの要望を受け、チーム側はステアリングホイールの位置を下げることを決定したが、そのためにはステアリングシャフトを短くする必要があった。チームはFW16本来のステアリングシャフトを2カ所で切断した上で、その間に小径の金属パイプを挿入して補強板を溶接してつなぎ、シャフトの長さを変更した。このような改造が行われた背景には、サンマリノグランプリまでに新たな1本のステアリングシャフトを製作するには時間が不足していたという事情があった。 ボローニャ大学の工学教授エンリコ・ロレンツィーニと彼の専門家チームは、600ページにわたる技術的報告書を提出し、ステアリングコラムに生じた金属疲労による亀裂(疲労亀裂)が成長し、破断に至ったと結論づけた。ロレンツィーニは、「ステアリングシャフトのおよそ3分の1にわたる部分が劣悪な溶接作業で接続されており、レースの負担に耐えられるものではなかった。シャフトの亀裂上には複数の引っかき傷があった。改造作業は急いでやっつけられたようだが、いつ頃に実施されたかはわからない。溶接の後、誰かが溶接箇所にやすりをかけた跡がある。こんなものは今まで見たことがない。シャフトには欠陥があり、ウォームアップ走行ですら亀裂を生じさせただろうと思う。クラッシュの直前にはシャフトはほとんどつながっておらず、あのコーナーで車は操作に反応しなかった。」と述べた。 セナの車載カメラ映像の分析は、イタリアのCineca(英語版)によって提出された。この分析はレース中のステアリングホイールの動きを追跡したもので、セナの車のステアリング上にある黄色いボタンが、数周にわたって常に一定の弧を描いて回転している様子を示している。クラッシュ直前の最後の数秒間に差しかかると、ステアリング上の黄色いボタンは通常の軌道から数センチメートル逸れており、ステアリングホイールが上下に揺れ動いたことを示している。この現象はステアリングコラムの破断を暗示するものだった。一方、ウィリアムズはこのステアリングの動きが通常の現象であることを証明するため、独自にビデオを制作した。ビデオの内容は、デビッド・クルサードがFW16Bのステアリングを乱暴に扱って見せるもので、「かなり大きな労力」を費やせば、通常の状況でもセナの映像のようにステアリングを動かすことは可能であると説明された。ミケーレ・アルボレートはセナのステアリングの動きが異常なものであると証言し、セナのオンボード映像は「セナのウィリアムズの何かが壊れたことを証明している。ステアリングホイールが数センチも動くことは考えられない。」と述べた。 1997年12月16日、フランク・ウィリアムズとその他5人の関係者に無罪判決が言い渡され、イタリアにおけるフォーミュラ1の開催がボイコットされる事態は避けられた。 アントニオ・コンスタンツォ判事は381ページの判決文で、セナの死亡事故の原因がステアリングコラムの故障である可能性は高いものの、ヘッドとニューウェイに過失責任があるという証拠は存在せず、2人が問題の改造の設計を行ったことも証明できないとした。1999年11月22日、控訴審で無罪判決が支持され、検察側の請求(ヘッドとニューウェイへの執行猶予1年の有罪判決)は却下された。 2002年4月、セナが事故を起こしたシャシー番号02のFW16はウィリアムズチームに返還された。チームは、返還された車が重度に荒廃した状態にあったこと、そして後に廃棄処分されたことを報告した。セナのヘルメットは製造メーカーのベル社に返還された後、焼却された。事故車のエンジンはルノーに返還され、その後の消息はわかっていない。 2003年1月、イタリア最高裁は「重大なエラー」があったとして事件の審理を再開し、再審理をボローニャ高等裁判所に委託した。2005年5月27日、ボローニャ高等裁判所はエイドリアン・ニューウェイに無罪を言い渡したが、パトリック・ヘッドの罪状に関しては公訴時効が成立しているものとして取り扱われた。2007年4月13日、イタリア最高裁はパトリック・ヘッドを無罪とするための請求を却下し、ヘッドには「劣悪に設計・実施された改造」に対する責任があり、セナの事故は「予見可能かつ予防可能」だったと述べた。 2011年5月、ウィリアムズ・FW16の設計者であるエイドリアン・ニューウェイは、セナの死亡事故に対する自らの見解を以下のように述べた。 真実は、何が起きたのか確かなことは誰にもわからないということだ。ステアリングコラムが破断したのは間違いない。しかし問題はそれが事故の結果だったのか、それとも事故の原因だったのかということだろう?疲労亀裂があった以上、どこかの時点で破断は起きただろう。非常に拙い設計だったことに疑問の余地はない。だが、あらゆる証拠が、あの車はステアリングコラムの故障によってコースアウトした訳ではないことを示している。事故の映像、特に真後ろにいたミハエル・シューマッハの車載カメラの映像を見れば、あの車はアンダーステアを起こしてコースアウトしたのではないことがわかる。車はオーバーステアによってコースアウトしており、ステアリングコラムの故障ではそれを説明できない。車がリアのグリップを失ったのはデータが示している事実だ。アイルトンは異変に反応してスロットルを50パーセント戻しているが、これはリアのグリップ喪失を収束させるための操作として説明できる。そこから0.5秒後、彼はブレーキペダルを強く踏んだ。そうなると、疑問は「なぜリアはグリップを失ったのか?」ということだ。車はあの周回に、前の周よりもずっと激しくボトミングしていた。タイヤの空気圧は(前の周より)改善されていたはずなのに、これは奇妙だ。コース上に落ちていた破片を踏んで、右リアタイヤがパンクしていたのではないかと考えられる。もし最も可能性が高い事故原因をひとつ挙げろと言うのなら、それ(右リアタイヤのパンク)が答えになるだろう。
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