槍騎兵
槍騎兵(Lancers)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/28 05:10 UTC 版)
「大陸軍 (フランス)」の記事における「槍騎兵(Lancers)」の解説
細長い騎兵槍をメインウェポンとし、曲刀型サーベルと拳銃をサブウェポンとして装備、胸甲とヘルメットも装備、時には騎銃(カービン銃)も加えて武装する騎兵。雨天でマスケット銃が湿る場合は槍が敵歩兵に対して効果的だったが、騎兵同士の乱戦では槍はサーベルに対し、不利だった。
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槍騎兵
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/08 02:31 UTC 版)
「マンフレート・フォン・リヒトホーフェン」の記事における「槍騎兵」の解説
第一次世界大戦勃発直後、リヒトホーフェンは東部戦線では馬を駆り、敵情偵察に活躍した。騎兵として開戦早々に臨んだ初陣では、ロシア国境を越えカリッシュのキールツェ村を占領したが、味方の兵力が分散された時に敵の部隊に包囲された。彼は隠密行動により敵中を辛くも離脱したが、隊では戦死の報告がなされ家族は弔問の客を迎えていた。 その後、短期間で部隊がベルギーへ転進し東部戦線での活動はごく短く終わった。このアールロンへの移動中、初めて戦争に飛行機が使用されるところを見て、リヒトホーフェンはこれに非常に興味をもった。「私は飛行士が何をしているか知らなかった」しかし「飛行士の姿を見るたびに興奮した」と後に語っている。アールロンではピルトンの森でドイツ第5軍とフランス第3軍の会戦の機が熟していた。彼の15騎の槍騎兵隊は偵察任務をになった。小径を進んでいるとフランス兵の計略に遭い銃撃を受けた。後退しようとするリヒトホーフェンの隊は、撤退の合図を援護の合図と勘違いした部下達の前進とで、小道の上で混乱し、さらに銃撃を受けた部下の馬が敵側に暴走してそれに乗っていた2名を失う最初の敗北を喫した。彼のプライドはこの敗北に深く傷ついた。 やがて膠着状態に陥った西部戦線では機関銃と鉄条網の陣地戦となり、騎兵の活躍の場は極めて少なくなったばかりか、彼が戦前に想像した「旗をはためかして最前線で突撃する」という構図はすでに実戦では自殺行為となっていた。伝令兵となり活躍の場を期待したが、前線から1.5キロメートル以内の立ち入りを禁止され、前線兵士からも「無駄飯食い」とみなされる後方勤務でしかなかった。師団が攻撃に加わるのでいよいよ活動できると期待したが、今度は補助的な任務を与えられた。そのため、ついに彼は槍騎兵部隊から転属願いを師団長に出し、その結果1915年5月に飛行訓練所への入所が認められた。
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