支那駐屯歩兵連隊
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/01/03 06:22 UTC 版)
北清事変(義和団の乱)に際して、清朝による外国公館保護が十分でなかったことから、列強は自国の公館を防衛するため軍隊を駐屯させる権利を得た。これに基いて、日本も天津に清国駐屯軍(後に支那駐屯軍に改称)を駐屯させ、その隷下に北平駐屯歩兵隊と天津駐屯歩兵隊を置いた。その後、昭和11年(1936年)4月18日に支那駐屯軍を強化したのにともない、北平駐屯歩兵隊を支那駐屯歩兵第1連隊に、天津駐屯歩兵隊を支那駐屯歩兵第2連隊に改編した。 昭和12年(1937年)7月7日に盧溝橋事件が発生し日中戦争が勃発、同年8月31日に支那駐屯軍を第1軍に改編し廃止した際直轄部隊は支那駐屯混成旅団に改編され、翌昭和13年(1938年)3月12日に支那駐屯兵団と改称した際に支那駐屯歩兵第3連隊が設けられた。支那駐屯軍廃止以前は支那駐屯歩兵旅団、廃止後は支那駐屯混成旅団、昭和13年(1938年)3月12日から支那駐屯兵団に、同年6月21日からは第27師団に属した。
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