探偵!ナイトスクープ 代表的な依頼

探偵!ナイトスクープ

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代表的な依頼

依頼においてはDVDのレジュメにおいてジャンル分けされている場合があるため、ある程度これにならって依頼内容を以下のように分類する(依頼によっては、2以上のジャンルにまたがって分類される場合がある)。なお、放送日表記は朝日放送テレビ(関西ローカル)での初回放送のもの。また、基本的に調査は全てアナログで聞き込み調査や街頭インタビューなど基本的に人が行動して行う。地名なども基本は地図で調べている。電話番号を調査する場合ですら電話番号案内104を使用したり、電話帳を引いたりといった具合である。よって、インターネット検索といった手段は基本的に使用していない。これについてある顧問は「実際に専門家に尋ねれば1分もしないうちに解決する依頼もある」と断言していた。アナログ的な捜査(取材)の中、使用する電話が固定電話から携帯電話に変更した以外には、目新しい捜査及び情報技術の導入はほとんどない。

体力勝負型調査

探偵が体力を使うか、依頼者が体力を使うかで大きく分類が分かれる。時々探偵と依頼者の両方が体を使う場合もある。

探偵が体を張った調査

カーネル・サンダース像救出作戦
1988年3月5日第1回放送時の最後の依頼(DVD Vol.3に収録)で、シリーズ化されて同年4月2日・4月23日の計3回放送[43][44] された後、総集編でも複数回取り上げられ放送された。探偵は槍魔栗三助(現・生瀬勝久)。依頼文として読まれた「阪神タイガース低迷の原因は、1985年優勝時の騒ぎの中で道頓堀川に投げ込まれたサンダース像の祟りに違いない」という当時広まりつつあった都市伝説をネタとして取り上げ、救出作戦[45] として道頓堀川で複数回詳細な調査を実施した[44][46]。3月5日放送では、探偵自ら潜水調査を行ったが発見できたのは自転車くらいで、当時最新式の魚群探知機金属探知機を投入したものの結局カーネル・サンダース像は発見できなかった[46]。4月2日放送では「近くの川でカーネル人形の上半身を見つけた」と滝川高生徒より依頼を受け調査したが、別物であった。4月23日放送では(初代)局長から「カーネル・サンダースを引き上げるまでは帰ってきてはならん」徹底調査の厳命があり、ダイバーを5・6人投入して戎橋の下流約100mの範囲にて4日間費やし行ったが、最後まで発見には至らなかった。1989年12月30日放送の総集編にて「カーネル救出作戦」を再度放送したところ、「カーネル・サンダースは道頓堀川に沈んでいない」という情報が舞い込み、1990年1月27日放送分で再度行方を追った。この回では、「友人がカーネル・サンダース像を川へ投げ込んだ」という依頼者の女性が登場したが、友人は「犯罪だから出たくない」と出演を拒否。先述の「カーネル像は沈んでいない」との情報を寄せた女性や、カーネル像を沈めたという男性に電話取材し、次のようにまとめられた。
  • 約10人あまりの阪神ファンが、カーネル像をバースに見立てて胴上げしながら、ひっかけ橋(戎橋のこと。ナンパが多いためこの俗称が付いている。)まで持ってきた。
  • ひっかけ橋へ着いたところで騒ぎは拡大。我も我もと胴上げに関わる人数が急増し、カーネル像の胴上げの勢いが制御不能になり、像は道頓堀川へ過って落ちてしまう。
  • 落ちたカーネル像はすぐには沈まず、浮いていた。(材質がFRPで中が空洞という像の構造上、浮いていても不思議ではない)
  • 落ちたカーネル像を助けようと、阪神ファンが道頓堀川へ飛び込み、浮いているカーネル像を川岸まで近づけ引き上げた。
  • カーネル像を元の場所へ返そうとしたが、近くに交番(大阪府警戎橋派出所)があったため、返すに返せなくなってしまい持ち帰った。
  • 持ち主は時効を待っている。
番組上では上記のようにまとめられ、結論とされた。しかし、ケンタッキーの店員が「ブクブクと沈んだ」と証言している点や、引き上げた像をどのように運んだのかという点で食い違いや謎が残ることや、後に水底から実物が発見されたことなどを考えると事実とは異なる点も散見される。その後のスタジオ展開では当時レギュラー顧問を務めていた中島健仁弁護士を巻き込み、法的な問題に関してまで踏み込んだ言及を行った。番組ではこれ以降、カーネル像に関する情報は新しく扱っておらず、当初から一貫して探偵を務めた槍魔栗三助は、このVTRをもって最後のカーネル調査となった。「祟り」自体は関西人好みのジョークであったが[47]、このネタが放送されたことで「カーネル・サンダース(像)の呪い」の都市伝説が定着した。調査放送から21年後の2009年3月10日に上半身、翌3月11日に下半身と右手が水辺整備事業中の工事関係者により発見され、それに関連した映像が2009年3月15日放送『探偵!ナイトスクープ ザ・ゴールデン』の冒頭で流された(詳細はカーネル・サンダースの呪い#カーネル像の発見を参照)。
視聴率調査
「毎週ナイトスクープを見ております」と依頼文に書いてある視聴者が本当にナイトスクープの番組を見ているかどうかを確認すべく、放送している深夜の時間帯に視聴者の家を訪れチェックする。1989年10月にこの調査シリーズが始まって以降は「できるだけ見ております」や「見られるときは見ています」と書いてある依頼文が増えたという。後に、依頼者とは関係なしにナイトスクープの番組放送時間内にできるだけ多くの一般民家を訪問し、ナイトスクープを見ているかどうか確認する調査へと変化した。正式には俵太探偵→間探偵のお家芸であったが、他の探偵が指名されることもある。また、別の依頼の最中(何かしら結果までに時間がかかる等)に依頼人の近所で突発的に行うケースもある。系列局ではないがゴールデンでネットしていた局で実施したケース(テレビ高知)もある。
おならで奏でる?「探偵!ナイトスクープ」
2008年5月30日放送[48]。探偵はたむらけんじ。依頼者が勉強中にうっかりおならをしてしまい、それを聞いた友人が「今のはソ#の音」と言ったので、オナラを集めればドレミ音階ができ、さらにはナイトスクープのテーマソングも演奏できるのではないか、という趣旨の依頼。
ロケ当日、依頼者は「高校の入学式があるので来られない」という理由で収録には来なかった。また、同じ部屋では三谷幸喜が出した依頼のロケも行われていた(探偵は桂小枝)が、小枝探偵に「そんなもんやめてまえ!」「三谷さんに失礼やないか」「お前アホやろ!?」と罵倒されていた。
おならの音を集めることはできたが、高音域が足りないということで、「ヘリウムガスでおならの音は高くなるのか」という別の依頼の調査も兼ねて高音域を出そうとしたがうまく出せなかった。そして、おならの音で演奏されたテーマソングを、オープニングに乗せて流したところ、客席は大爆笑に包まれた。

依頼者が体を張った調査

チチヤスヨーグルトのフタの謎
1993年5月21日放送。探偵は桂小枝。阪神高速空港線沿いにあるチチヤス(当時はチチヤス乳業、現在伊藤園の子会社)大阪支社の屋上に設置されていたヨーグルトの容器を模した巨大な看板(現在は撤去)がある。その看板の側面に「製造年月日は上蓋に記載」と書いてあるが、本当に書かれているかどうか調べてほしいとの依頼。大阪国際空港の間近ということで探偵と依頼者は上から確認するために東京行きの飛行機に搭乗。しかしチチヤスとは反対側に離陸してしまい確認できず。「離陸が反対なら着陸時に確認できるはず」と東京から折り返し大阪に向かおうとするがGWのため満席。やむなく徳島空港まで行き、そこから大阪空港まで搭乗するも、はっきり確認できなかった。やむをえず、直接会社を訪れ確認すると蓋がないことが判明。看板に偽りがあってはダメということで小枝が手作りで蓋を作成し看板上部に設置した。しかし、スタジオで上岡局長から最後のカット(近場にある看板より高い場所から小枝と取り付けられた蓋を捉えたカット)をどこから撮ったのか指摘され、小枝は近隣の生コンクリート工場にあった鉄塔から望遠撮影したと釈明すると、上岡局長に「(初めから)いきなりそこへ行け!」「東京行と徳島行、徳島から大阪の飛行機代は君の実費とする!製作費からは一銭も出さん!」「君のギャラから引いとくから、これから一年間タダ働きしろ!」「一生(看板の上に)登っとれ!」と笑いながら責められるオチが付いた。なお、看板の下にあたるビルの3階部分は飛行機がすぐ真上を通過する理由から部屋として設計されていない事がスタジオで説明されている。この設置作業は夜で高所で強風が吹きつけ、さらに直上を飛行機が爆音を立てて飛ぶため小枝の怖かった体験として後々の依頼でも「チチヤスより怖い」と比較されることがある。
なお、この時の依頼人は漫画家の西炯子。DVD Vol.6に収録。
謎の爆発卵
1993年12月24日放送。探偵は桂小枝。「友人が電子レンジを使ってゆで卵を作ったが、食べようとした瞬間に爆発したらしい。そのゆで卵を作ってみたい」というもの。探偵ばかりでなく、依頼者、その友人も犠牲になった。また、この放送日はクリスマスイブ年末年始が要因で、在宅率が高かったっこともあいまって、視聴率30.5%を記録した。ロケ取材は8月に収録が行われていたが、朝日放送社内で「危険な行為になることに繋がりかねない」と問題視されお蔵入り寸前であったものの、年末最後の放送にて、VTRが1本足りないことが判明。お蔵入り寸前になっていたこのVTRを放送したものである。
放送する際に「危険ですので真似しないで下さい」というテロップを何度も流すというスタイルを取っている。
この放送をきっかけとして関西地方では「電子レンジでゆで卵を作るのは危険である」と転じて啓発され、定着する結果となった。DVD Vol.1に収録。
依頼者は第3回探偵!ナイトスクープアカデミー大賞 主演男優賞作品に選出。この依頼は特番『20周年記念・ナイトスクープリターンズ』で再度放送された。
2013年12月31日、「年忘れファン感謝祭2013」において、桂小枝が選ぶベスト3VTRの1位として再度放送された。
泥舟は本当に浮くのか?
2008年7月11日放送。探偵は北野誠。大阪府の男性から、2歳になる娘に嫁は毎晩、読み聞かせている童話の中に“カチカチ山”がある。悪さをしたタヌキが、仕返しに『泥の舟』に乗せられて沈んでしまう話だが、その泥舟のことで嫁と口論になった。泥舟は沈むのが当たり前と考える嫁は、作り方によっては浮くという私の主張を取り合わず、うそつき呼ばわりする。泥舟は浮くということを自分の体を張って証明したいというもの。
ナイトスクープの物理担当である大阪市立高等学校教諭の山田善春の設計どおりに泥船を作った結果、約8分間浮くことができた。
声でグラスを割る男!?
2013年1月25日放送。探偵は石田靖。ヘビーメタルシンガーをしている男性(キルビルPainB.B.、本業はボイストレーナー)がここ数年追い求めていた目標である「声でワイングラスを割る」事に成功したという。本人によると、日本人では初で世界でも5人目の快挙らしい。これは番組の依頼募集項目の最後に出ている「特ダネ」だと思うので、この瞬間を撮影して自分の偉業をアピールしてほしい、という依頼(ナイトスクープに依頼した理由は、依頼者本人が大ファンであったため)。依頼者のキャラもあって最初は半信半疑の石田探偵であったが、いざ実行すると依頼者の声でワイングラスが振動し、それによって中に入れたストローが落下するさまを見て驚嘆。そして声でグラスを割ることに成功し、「特ダネ」映像の撮影に成功した。なお、同様の肉声でグラスを割る映像は2005年にアメリカでディスカバリーチャンネルの番組『怪しい伝説』でも撮影に成功している。DVD Vol.15に収録。
ギネス更新!?高速指パッチン
2016年11月4日放送。探偵は石田靖。依頼者の藤村聡之によると、自分には高速で「指パッチン」ができるという誰にも負けない特技があり、ギネス世界記録(当時の記録は1分間に278回)を超えられると思うので、この「指パッチン」の回数を正確に計測するのを手伝って欲しい、という依頼。実際に初回のロケで鳴らした回数を計測すると549回であり、ギネス世界記録を大幅に更新した…と思ったら、ギネス世界記録では『片手で1分間』ということであった(当日のロケでは左右両手で行った)。ロケ後に再び依頼者の元へ行き、改めて右手のみで行った結果、292回を計測し、ギネス世界記録を上回った。ただ、その時点ではギネス世界記録に記録挑戦の申請をしておらずこの記録は非公式扱いであったことや、記録を公式に認定してもらうためには公式認定員立ち合いの元で挑戦する必要がある、とのことで、同年末の特番『探偵!ナイトスクープ 年忘れファン感謝祭2016』の収録日(12月23日)にこの依頼者と公式認定員をスタジオに呼び、実際にその場でギネス記録に公式に挑戦することになった。専門家を交えて検証した結果、片手で1分間に296回を記録したと確認されたためギネス新記録として認定され、その場で認定証が手渡された[35]。また、ギネス世界記録の公式ホームページでも正式に公式記録挑戦時の写真と併せて「SATOYUKI FUJIMURA」「2016年12月23日、日本、大阪の探偵!ナイトスクープのセットで達成(※記述は英語)」紹介されたほか、YouTubeでも公式記録挑戦時の映像が公開された[49]。なお、指パッチンのギネス記録については、のち2018年9月13日にドイツ人とみられる男性が334回で記録を更新した。

人物来歴・歴史再発見型

浪花モーツァルト」の誕生
1990年放送。探偵は嘉門達夫。「キダ・タローが他のタレントから『キダ・タロー先生』と呼ばれるのは何故ですか?」という依頼をもとに、キダ・タローの生い立ちから現在(1990年)までの足跡をたどった。このときの取材を元に「浪花のモーツァルト、キダ・タロー」というフレーズが誕生し、さらにそこからCM、CDなどが企画された。
なぜ浪花の「モーツァルト」なのであるかというと、かつての朝日放送の名番組『ラブアタック!』(上岡司会)での「早食い競争」のコーナー用のキダ・タロー作曲のBGMが、モーツァルトの代表曲の一つ「アイネ・クライネ・ナハト・ムジーク」とモチーフが共通しているという松本プロデューサーの指摘が発端。「キダ先生が200年早くこの世に生まれていたならモーツァルトは「ウィーンのキダ・タロー」と呼ばれていただろう」という松本による言葉で決定付けられたといっても過言ではない[注釈 24]
なお、「浪花のモーツァルト」の呼称はCD発売によって広く認知されている。ただ、本人は当のナイトスクープで一度「本当は難波ショパンと呼ばれたかった」と語っている。DVD Vol.3に収録。

調査・新発見型

日本全国アホ・バカ分布図
1990年1月放送の依頼「アホバカの境界線を探せ」に始まる、全国地域の「馬鹿」に相当する方言を収集するプロジェクト。きっかけは「関西では『アホ』、関東では『バカ』と言うけれど、その『アホ』と『バカ』の境目はどこ?」という依頼。
全国の主要都市を調査し、「アホ」と「バカ」の境界に『たわけ』(名古屋周辺)が発見された、などが北野誠探偵によってとりあえず報告された。しかし、上岡局長(当時)が「では、『たわけ』と『バカ』の境界線はどこなんですか。きっちり調べなさい」と言ったことから、再度、視聴者からの情報投稿や全国の市町村の教育委員会への方言のアンケート調査など、大規模で本格的な調査を行うこととなった。その結果が1991年5月放送の特別番組「全国アホ・バカ分布図の完成」にまとめられた。
実際に詳しく全国の地域を行脚、調査をしてみると、京都を中心とした、同心円状に離れた同じ距離の違う地方で同一の方言が使われていたことが判明するなど、方言周圏論の検証例として国語学上大変貴重な調査結果を出すことができた。この放送内容は後に日本方言研究会でも取り上げられるなど、大きな反響を呼んだ(「馬鹿」・「阿呆」「蝸牛考」の項目も参照)。
投稿から調査・研究がなされ、発表されるまでの過程は、その結果とともに、松本修プロデューサーによって『全国アホ・バカ分布考―はるかなる言葉の旅路』(太田出版新潮文庫)に余すところなく収められ、後にビデオ化までされた(現在は廃盤)。
1991年日本民間放送連盟賞テレビ娯楽部門最優秀賞受賞・第29回ギャラクシー賞選奨・第9回ATP賞グランプリ受賞。
調べてくださいシリーズ
1991年頃から始まった。探偵は越前屋俵太。市井の人々からさまざまな意見を引き出すコーナーで、インタビューに終始するものである。始めの頃は、上岡に「ただインタビューしてるだけやないか!」と強烈な批判を浴びていたが、そのたびに俵太探偵が、「町の人の意見を引き出すことも重要」と説得し、次第に上岡も認めるようになった。テーマは依頼者が決め、過去には「雪」「こだわり」「東京の人々」「働く人」などさまざまなテーマで放送された。俵太探偵が降板したと同時に、このコーナーも消滅したが、インタビューに終始する似たような形式のVTRは現在でも放送されることがある。
枚方VS寝屋川 どっちが都会か?
1994年10月7日放送。探偵は北野誠。京都在住の依頼者が「京阪電車の中で、枚方市寝屋川市のどちらが都会か?」という論争をしているのを聞いて、枚方市民と寝屋川市民は常にこのような論争をしているのか調べてほしい、という依頼。寝屋川市民からは「(枚方市民は)クサい」という声があった一方で、枚方市民からは「(寝屋川市民は)ガラが悪い」という声が出るなど、市民間では大論争に発展した。しかし、ラストシーンではその論争を聞いていた高槻市民から「目くそ鼻くそ」と言われてしまった。大阪人のノリの良さがうかがえる依頼。なお、この日の顧問だったキダ・タローは「兄が住んでいる」という理由で寝屋川市を推していた。
林先生のお料理
依頼の中には「コレを料理したらどうなるのだろう」「新食材発見!」などの調理に関するものも多数あり、その場合には林裕人(2009年5月までは林繁和辻学園日本調理師専門学校主任教授 → 大阪府洋菓子協会副会長の出番となる。「母乳でお菓子を作る」という依頼で初登場。「いやだ、受けたくない」「できるわけがない」「料理人がする事と違う」等と断ろうとするが、探偵達が断らせてくれないのが常で、拒否する林に対し探偵が「できないから逃げているんだろう」「大したことないな」「所詮はただのおっさんだな」「違う料理の先生に頼むからいいわ」といった類の挑発をふっかけて、なにくそとばかりに林が「(俺に)できない事なんてないわ」「じゃあ、やってやる」と引き受けるという流れも一つのお約束になっている。
ドブガイ料理(服部緑地産巨大シジミとして持ち込まれた、DVD Vol.6 〜巨大シジミ発見!?篇に収録)やウミウシ、巨大ナメクジジャンボタニシの卵、異臭を放つオオマリコケムシ(数万個の個体がコロニーを成し、寒天質の分泌液をもつ)、果ては(チャップリンの「黄金狂時代」ばりに)フェラガモの革靴といった無茶苦茶な素材の依頼でも「これでメインがドブガイじゃなければ」といわれるほど見事な料理メニューに仕上げ、「等身大サイズのチョコレート」、「子供のを食材で再現」といった無理難題や、「マンホールの蓋でワッフル」(DVD Vol.13に収録)、玩具の「ママレンジで料理」(DVD Vol.13に収録)、「登り窯で巨大フランスパン」といった無茶苦茶な道具や施設を使っても「弘法筆を選ばず」、素晴らしい腕前を披露している。口も達者なため人気は高く、番組の顧問としてもしばしば出演するようになった。林はこの番組で認知度を爆発的に上げることにもなり、関西地方を中心に単独でレギュラー番組を持つことも増えた。なお、林の起用については2008年夏の特番で、初登場時に裏番組『料理の鉄人』が視聴率で当番組を追い上げており、それに同じ料理人で対抗する狙いがあったことが明かされた。
30代の女性はピンク・レディーを踊れる?
2001年2月9日放送。探偵は間寛平。2000年の大晦日に放送された『第51回NHK紅白歌合戦』に復活出演したピンク・レディーを見た依頼者から、「30代女性は、みんなピンク・レディーの曲に合わせて振りまねができるのか」という依頼が来た。間探偵が各地の商店街で調査したところ、最初は嫌がっていた女性たちが、ピンク・レディーの曲が流れ始めると自然に体が動き出し、完璧に踊れることが実証された。中には一度も一緒に踊ったことがない女性同士が、見事にミーとケイに分かれて踊ってしまうなど、この世代の女性たちが如何にピンク・レディーに熱中していたかを窺わせる場面もあった。DVD Vol.7に収録。なお、このとき同時に「30半ば - 40半ばの男性はヌンチャクが使える?」という依頼も放送された。
赤ちゃんが泣き止む
2001年11月30日放送。探偵は立原啓裕。「赤ちゃんタケモトピアノCMを見ると突然泣き止むので、他の赤ちゃんも泣き止むのか調べてほしい」という依頼があり、数十人の赤ちゃんに試した結果、大半の赤ちゃんが泣き止むことが立証された。なお、この後「何故泣き止むのか?」という追加の調査も行い、踊り、ピアノの音などさまざまな要素を試した結果、原因は財津一郎の歌う声質が、ちょうど赤ちゃんの好む領域の声質であるのと、音が鳴り出すタイミングと止むタイミングが最も赤ちゃんの注意をひくものである、ということである。DVD Vol.5 〜養老の星 幸ちゃん篇に収録。
そして2006年4月28日放送分では、タケモトピアノに次ぐ赤ちゃんが泣きやむCMとして、キユーピーの「たらこパスタソース」のCMソングで泣き止むことも立証された。両方とも放送後、ネット口コミで広がり、関東の全国区の番組で紹介された。その後、両方とも「タケモトピアノの歌」・「たらこ・たらこ・たらこ」という曲名でCD化されている。また「タケモトピアノの歌」を元にタカラトミー鈴木松美(日本音響研究所会長)と共同制作したCDが、赤ちゃんがすぐに泣き止むものとして『がっちりマンデー!!』(2007年4月29日放送)で紹介された。なお、このように取り上げられた楽曲が後に大ブレイクというパターンの元祖は1998年放送の「おさかな天国」を取り上げた放送である。
携帯電話からエーアイアイ!?
2006年8月4日放送。探偵は竹山隆範。依頼者の主人が持つ携帯電話のカメラシャッター音の一つに、「撮ったのかよ!」と男性が叫ぶものがある。しかし、依頼者の2人の子供たちは「エーアイアイ」と聞こえると言い、最初はそう聞こえなかった依頼者も「エーアイアイ」と聞こえるようになった。なぜそう聞こえるのか、原因を調べて欲しいというもの。日本音響研究所所長の鈴木松美までもが登場する本格的な調査となった。この時の依頼に使われていた機種はNTTドコモSH902iである。DVD Vol.12に収録。
関西人シリーズ
主に小ネタとして使われる一発ネタで、いわゆるあるあるネタの元祖とも言える。「関西人は鉄砲を撃つフリをするとノリで死んでくれる(刀で斬るフリをすると死んでくれる)」「関西人は大げさな表現を『ウソォ』と尋ねる」「関西人はテキトーに話をあわせる」「関西人は『関西電気保安協会』をCMの節なしでは読めない」など多数。この中で、関西人以外に同じようなもので「○○世代は」というものもあり、前述のように「30代女性はピンクレディーUFOの振りが完璧」「同じく30代男性はヌンチャクが扱える」などといったものである(顔までそっくりな人も現れた)。
御堂筋全国都道府県調査
2008年7月11日放送。探偵は松村邦洋。依頼者が長崎県出身で、先日淀屋橋で道路交通量調査のアルバイトをしていたところ、ふと町を行く人の中に、自分と同じ長崎県の人がどれだけいるか気になり、さらに地方出身者がどれだけいるのか気になったので、一定の時間内で御堂筋を通る人々に調査を行うことになった。松村が御堂筋を約3往復して、47ある都道府県のうち39の都道府県の出身者を抽出することができた。しかし、局長の西田の出身地である福島県を含む東北地方の県出身者は一人も現れなかった。
北海道と沖縄では体重が変わる!?
2008年11月7日放送。探偵は石田靖。愛媛県に住む依頼者の妹は現在、静岡で下宿中。その妹が同じ日に計った体重が、愛媛と静岡で違うと言い出した。静岡から愛媛に帰ると体重が減り、静岡に戻ると体重が増えるらしい。南下すると体重が減り、北上すると体重が増えると考えているようである。そこで北海道の最北端の宗谷岬と沖縄本島最南端の喜屋武岬に行き、“としゆきくん”(人形)を用いて同じ条件で計量した。結果は沖縄で計量した結果のほうが約300グラム軽くなった。これは遠心力と重力の働きによるものである。
新種の魚、発見!?
2010年5月14日放送。探偵は田村裕。鹿児島県に住む24歳の依頼者が坊津でダイビング中に、ひざ下ぐらいの浅瀬で変な泳ぎ方をしている魚を発見。怪我をしているのかと思い大事に捕獲して近くの水族館に行き、専門家の方に魚の種類を聞いたが「こんな魚は見たことがない」と言われた。その日のうちに魚は死んでしまったためホルマリン漬けにしてもらったが、誰に見せても「見たことがない」と言うので、新種の魚かもしれないので調べて欲しいという依頼。そこで長崎県にある西海区水産研究所に持ち込んで調べてもらったところ新種ではなく、ナガチゴダラという深海性のタラの稚魚であった。しかし、今まで大人の標本しか見つかっておらず卵から稚魚にかけての子供の時期は謎であったため、依頼者はナガチゴダラの稚魚を標本として世界で初めて発見したことが判明。また調べた研究者は偶然にも学生時代から稚魚を探し求めており、依頼者が撮った生存時の写真とともに学術的価値があるとして実際に「南日本から得られたナガチゴダラの浮遊稚魚の記載と生時における体色の特徴(※記述は英語 : Description of a Pelagic Juvenile Specimen of Gadella jordani (Actinopterygii: Gadiformes: Moridae) from Southern Japan with a Note on the Color in Life.)」という題で論文を書いて発表した[50]。また、Acknowledgments(謝辞)の部分には依頼者と田村探偵、そして番組名が記載されている。
葉っぱに浮き出た謎の文字!?
2011年6月3日放送、探偵は長原成樹。ある女性からの依頼。5月のある日、部屋の観葉植物に謎の文字が浮き出ていることを発見した。その文字は2月のカレンダーに依頼者自身が記入した文字とそっくりであるが、依頼者自身も家族も覚えがないという。長原成樹探偵が専門家を招集。植物学的見地から植物館の館長、光学的見地からプロカメラマン、さらには超常現象的見地から大阪スポーツ新聞 超常現象担当記者を招集して意見を求めたところ、いったんは大スポ記者の「宇宙からのメッセージ説」に傾きかけた。しかし最後に細胞学的見地から博士号をもつ専門家(肩書は大阪大学大学院 工学研究科 生命先端工学専攻 細胞動態学領域研究員)に意見を求めたところ、「カレンダーに文字を書いた時に、観葉植物の葉がカレンダーの裏側に挟まっていることに気が付かず、ボールペンの筆圧で書いた文字の部分だけ、葉の細胞組織が死んで文字が浮き上がったのではないか?」と推測した。「宇宙からのメッセージ説」を強硬に唱える大スポ記者が抗議し、「これは大阪大学と大阪スポーツの対決だ」として徹底検証を主張。大阪大学大学院で検証を行うこととなった。2月のカレンダーの文字記入部分の裏側から葉の成分である葉緑素が検出され「大阪大学 対 大阪スポーツ」は大阪大学に軍配が上がった。

視聴者の疑問や悩みに答える(夢を叶える)

小ネタ集
解決が簡単すぎる(もしくは解決の必要は無いが面白すぎる、解決に至る手法が困難に過ぎるためギャグでお茶を濁すことしかできない)ため、単独ではレポートとして成立しそうにないネタを寄せ集めて連続で紹介する(大体5 - 6本程度)。主に「確かめてください」「見に来てください」などの依頼がこれにあたる。主に桂小枝探偵が担当するが、他の探偵もこれを担当する場合がある。初の小ネタは1989年1月21日に放送。秘書(岡部まり)が依頼文を読まない(探偵がいっしょうけんめい盛り上げながら読み上げる)コーナーでもある。素人時代のなかやまきんに君と、2008年に『ザ・マジックアワー』の宣伝も兼ねて三谷幸喜が投稿者として出演したこともある。
特に、小枝探偵が小ネタ集を担当した場合秘書が「小枝探偵による爆笑小ネタ集…」と言っただけで客席やレギュラー陣から拍手喝采が沸き起こり会場は大歓声に包まれる。また、1995年1月には、「爆笑!特ダネ発表会」と題して超小ネタ13連発を放送した。
エンド5秒が分からない
探偵は主にたむらけんじ。ナイトスクープのエンディングで探偵達がギャグなどを5秒で披露する通称エンド5秒。このギャグなどを見た後に理解が出来ない他モヤモヤすることが多いという依頼者の元に探偵が駆けつけ収録日から一年ほどのエンド5秒を流してどういう意図と意味があるのかを解説する過去6回不定期で放送される依頼。中でも真栄田が女性の下着を身に付けて行うギャグを疑問に持つ依頼者が多い。この依頼があった回のみ、普段はエンド5秒をカットしている放送局でも特別にエンド5秒が流れる。
ラインバックは死んだのか
1990年9月1日放送。探偵は越前屋俵太。かつて、阪神タイガースに所属していたマイク・ラインバックが車ごと崖から転落して死亡した、という記事が日刊スポーツに掲載された。だが、その記事があまりにも小さく信憑性に欠けるものだったのでどうか真偽を調べてほしい、という依頼。
調査の結果、ラインバックは阪神を退団後、コンピュータ会社に就職するも妻との離婚や実父の死などの不幸に見舞われたことが明らかに。俵太と依頼者はアメリカへ飛び立ち、ラインバックの勤めていた会社を探し当てるが、そこで現地の社員から「彼は1年半前(1989年5月20日)に事故死した」と聞かされる。39歳であった。その後、依頼者の希望によりラインバックのお墓参りに向かう。依頼者が「ヘッドスライディングした1塁の土です。思い出しますか?」と涙を流しながら甲子園球場の1塁の土をラインバックの墓石にかけるシーンは多くの人の感動をよんだ。後に「涙を流した瞬間に体を逆さ吊りにすれば涙を反対の目に入れることができるか」という小ネタ(1993年4月9日放送)で、横山ノックに涙を流させるためにこのVTRを見せていた。
これが本当のぶらり旅
1992年6月12日放送。探偵は越前屋俵太。「テレビで放送される旅番組はどれも観光案内かのようにありきたりで楽しくないため、ナイトスクープ的なウキウキする新しい旅番組を作ってほしい」という依頼に応えるため、悩んだ末に企画されたのが、用意した地図に向かってダーツを投げ、ダーツの刺さった地域を訪れるという旅番組「俵太のダーツにおまかせ!!ひとり旅」。いざ投げたダーツは紀伊水道の四国寄りの海の位置に刺さってしまうが、越前屋俵太はそれをものともせず、スーツ姿で海中から登場。和歌山県日ノ御埼へと向かい、上陸後は町の人々と交流をかさねながら数人のゲストとともに旅のリポートをしていく…という内容。このスーツ姿で海を泳ぐ映像は後にオープニングにも採用された。
この企画においては近畿圏の地図が用いられたが、全国版の日本地図でも、世界地図でも、地球儀でも可能であるという企画の幅がきくところを上岡龍太郎は評価していた。これをうけて、越前屋俵太は「業界関係者の方、どんどんマネしてください」とのコメントを残している。DVD Vol.13に収録。
なお、この放送から数年後の1996年に放送開始となった『1億人の大質問!?笑ってコラえて!』では、酷似した企画「日本列島 ダーツの旅」を放送。「俵太のダーツにおまかせ!!ひとり旅」が原型となっているとの噂があった。2008年10月18日の『探偵!ナイトスクープリターンズ』でこの回が再放送された際には、岡部まりと当時の回想を求めた三代澤康司(朝日放送〈当時〉アナウンサー)とのあいだで「この企画が他局の番組に採用された」という趣旨のやりとりがなされている。
日本一周の旅に出た息子は今?
1994年2月11日放送。探偵は立原啓裕。依頼者の息子は、大学受験に失敗して、もう一度自分を見つめ直すために、歩いて日本一周する旅に出た。ほぼ毎日電話が掛かってくるが、10カ月も息子の顔を見ていない母としては心配で仕方がないわけだが、実際に顔を合わせてしまうとせっかく自立心が芽生えた息子に里心を芽生えさせることになってしまうことにもなるので、何とか息子に気付かれないように、どんな生活をしているのかをこっそりと覗いてみたいという依頼。依頼者はロケに同行し、正体が分からないようおき太くんの着ぐるみで変装していたが、ロケ当日深夜に川田駅STBしていた息子の姿を見るや、着ぐるみのまま泣きながら息子を抱きしめていた。
黒柳徹子も絶賛した程の名作。黒柳が30周年記念特番でVTR出演にてお祝いのコメントを寄せた際に、橋本直探偵がノートパソコンを持参し、改めて黒柳本人にその依頼を鑑賞してもらった。第3回探偵!ナイトスクープアカデミー大賞 主演女優賞作品にも選ばれている。DVD Vol.3に収録。
素晴らしき車椅子の旅
2001年4月6日放送。探偵は北野誠。車椅子生活を送っている中学生の娘が、生まれて初めての一人旅をしたいと言い出した。しかし娘を一人で送り出すのは不安なため、探偵に娘をフォローしてほしい、という依頼。
依頼者の住む大阪府羽曳野市から祖母の住む愛媛県四国中央市まで、電車と船を何度も乗り継ぐが、今回は依頼者の家族の同意を得て、北野も車椅子に乗り同行した(もちろん、周りに迷惑が掛からないように細心の注意が払われた)。普段なら気にも止めない街中の段差やスロープでかなり体力を消費してしまい、思わず「しんどい」と北野がこぼすと、娘に「くじけんなよ」と返されてしまう場面もあった。DVD Vol.2に収録。
日本民間放送連盟賞最優秀賞(エンタテイメント部門)受賞作品。
空手の母は強し
2002年6月21日放送。探偵は石田靖。息子を女手一つで育ててきた依頼者が、息子に強い母の姿を見せるため、そして息子に強くなってほしいがため、空手の30枚割(瓦ではなく板)に挑戦するエピソードである。依頼の導入部分では、偽の板を30枚割って見せればいいというような非常に中途半端な取り組み姿勢をみせる依頼者に対して、石田探偵がその姿勢をたしなめ、本物の板を使用しての30枚連続割りに挑戦することとなった。最初は板1枚すら割れないような非力さであったが、正道会館子安慎悟の指導の下、30枚連続割りを成し遂げた。その姿に子安は感極まり、息子に対して、「見てたよね? お母さんは30枚成功して、強いよ。でももっと強いのは、いつもご飯を作ってくれたり、ここまで大きく育ててくれたことだよ。それがいちばん凄いんだ。だから今度は君が空手を頑張って、お母さんを守っていけるように強くなろう」と語った。依頼者の母親としての強さと子安の言葉、そしてあふれる説明のつかない感情に不意に泣いてしまう依頼者の息子の姿は視聴者の大きな感動を呼んだ。VTR終了でスタジオの映像に戻るときには、お約束の西田局長のアップになり、あまりの感動に「ばかやろー」「ちくしょー」と叫び、会場の爆笑を誘った。「探偵!ナイトスクープ アカデミー大賞」の候補にも選ばれた。「DVD Vol.5 〜養老の星 幸ちゃん篇」に収録。
遥かなる競輪老女
2002年11月15日放送。探偵は北野誠。依頼者の女性は(放送時点で)約40年前に廃止された、(昭和期)女子競輪の元選手。近く娘が結婚することになったので、そのはなむけに「バンクを走る母の雄姿をもう一度見せたい」という依頼。現役時代のシューズなどは自宅に残していたが、日本自転車振興会に寄贈した自身の自転車やトロフィー、優勝メダルなどは競輪学校(当時)に資料として保管されていたことが分かり、久しぶりに競輪学校を訪問することになった。廃止された1964年以来約40年ぶりに自身の自転車に跨るも、リムは木製であったためすぐに壊れてしまった。改めてリムを交換し自転車に跨り、そして当時在学中であった生徒にもカツラを被り女装するなどして協力してもらい、最後は娘の目の前で1着でゴールイン、雄姿を見せつけた[51]
実はこの依頼者の娘は、高校生の時にソウルオリンピック1988年)にて競泳女子日本代表(女子400m個人メドレーに出場)として出場した元競泳選手の原田裕代(英語版)であったが、依頼者としては水泳でオリンピックに出たことよりもプロの競輪選手のほうが凄いと考えおり、依頼者本人も「現役時代は毎日、当時自宅のあった西宮から山崎まで片道約50キロの道のりを自転車で走って練習した」と語っていたほか、自伝でもその旨の記述がある[51]
まさか!?祖父がルー!?
2003年11月21日放送。探偵は桂小枝。依頼者の娘である中学生が大のおじいちゃん子であり、そのおじいちゃんはルー大柴にそっくりという。しかし、おじいちゃんが他界した後、娘に元気がないため、ぜひルーさんを娘に会わせてほしいという依頼。
実際にルーと対面した依頼者の娘は一緒に話をしたり、夕食を作るなどごく自然に過ごし、またルーも普段のキャラを封印し、祖父として接した。その結果、娘がルーに対し「おじいちゃん」と無意識に呼びかけるシーンや、「夢を見ているみたい」とつぶやく場面もあった。この様子をモニターで見ていた依頼者とその母はたまらず落涙。横にいた桂小枝も涙を流すという、異例の事態となった。家族と別れるときにはルー自身もたまらず涙した。VTRを見た西田局長が最後につぶやいた「ルーさんって、ホンマはエエ人なんやねえ…」という言葉どおり、関西においてルーの好感度は目に見えて上昇したという。また、ルー自身ものちにこのときのことを振り返って「今までいろんな仕事してきたけど、この番組は本当にすばらしい番組ですよ」と語っている。近年の大感動ネタにあげられるひとつ。
後に2007年5月18日放送の『笑っていいとも!』のテレフォンショッキングのコーナーにルーが出演した際、依頼者の娘から電報が届き、この時のエピソードを語っている。2007年12月14日放送分でルー自身が「(再ブレイクの)始まりはこの番組からでした」と語っており、ルー自身も『ナイトスクープ』が再ブレイクのきっかけと認識している。
ガオ~さんが来るぞ!
2007年8月3日初放送。探偵は長原成樹。小さな子供たちを寝かせるのに「寝ないとガオ~さんが来るよ」と躾けていた母親からの依頼で、ガオ~さんなんて来ないと判ってしまい効果が無くなったため、探偵にガオ~さんとして来てほしいとの依頼に長原が応え、怪人ガオ~さんに扮して寝ない子供を脅かして寝かしつけることに成功。その後「我が家にもガオ~さんに来てほしい」との依頼が殺到し、長原担当の人気シリーズとなった。長原卒業後は真栄田が二代目を担当している。また、2017年2月10日の放送では節分の豆まきに燃える依頼者宅にて依頼者の夫が鬼という形で担当した。
ゾンビを待つ子どもたち!?
2008年3月7日放送。探偵はたむらけんじ。ホラー映画、特にゾンビが出てくる映画が大好きで、もしゾンビが襲ってきたときのシミュレーションをしているという三姉弟の母親からの依頼。ゾンビ役の俳優から逃げ惑うエキストラとして近所の住人達が協力し、姉弟が家の中に仕掛けた、水を含ませたスポンジや血に似せたタバスコなどのゾンビ撃退トラップに俳優が全て付き合い、泣きわめきしながらもかろうじてゾンビを撃退するという内容。DVD Vol.14に収録。
「探偵ナイトスクープ ザ・ゴールデン」(後述)では、「関西人が全国の視聴者にお見せしたい依頼」として再放送された。その中で、姉の学校で協力することの大切さを教える目的で道徳の授業で流されたことや、ダウンタウン松本人志が絶賛したという後日談が紹介された。また『笑っていいとも!』のテレフォンショッキングに出演した百田尚樹も思い出の依頼だったと語っていた。また、30周年記念(後述)ではベスト10にも選ばれたことで、たむらけんじが3姉弟を久々に訪問。姉は春から大学生で、一番下の弟(次男)は中学生(春から高校生)となっていた。なお、高校2年生である二番目の弟(長男)はスポーツをしており部活のアマチュア規定でテレビ番組には出演できないため、代わりに中学生の頃の写真を見せてもらった。そして、2人の前に久々にゾンビが現れたのだった。さらにゾンビの面を取ると、その正体は真栄田であったが、2人の反応はドン引きする程のリアクションだった。
恋するハナカミ
探偵と視聴者が1日限りのデートをする企画。2008年11月14日放送にて桂小枝とバツイチ女性が行っていた。当時裏番組だったTBSの『恋するハニカミ!』のパロディ企画。
レイテ島からのハガキ
2011年1月7日放送。探偵は田村裕。大阪府在住の65歳の男性からの依頼。亡母の遺品を整理していたところ、太平洋戦争中に戦死した依頼者の父親が戦地から送ってきた手紙が発見された。結婚後すぐに出兵し、依頼者が生まれる前に死んだ父の手紙の文面に「身重であるお前」と読めそうな部分があるが、父は母が自分を身篭っていたことを知っていたのかを調べてほしいという内容。ハガキは劣化していた上に文字が擦り潰れて判読は難しかったが、奈良文化財研究所で分析・解読をしたところ、判読がしやすい鉛筆で書かれていたことが幸いし、ほぼ全文の判読に成功した。その結果、該当部分は「身重であるお前」に間違いないと結論付けられた。根拠として、手紙の最後に辞世の和歌が詠まれており、その中に「妊娠の妻」という言葉を判読できたことが挙げられ、妊娠中の妻を気遣った内容であるという結果が出た。スタジオ中が感動に包まれ、西田局長に至っては依頼文の時点で既に涙を流していた。DVD Vol.15に収録。第48回ギャラクシー賞テレビ部門受賞。
10年以上口をきいていない父と母
2013年4月5日放送。探偵は竹山隆範。奈良県在住の18歳の少年からの依頼。依頼者は、物心付いた頃から両親の会話を聞いたことがなく、母親が話しかけても父親が無視してしまうのだと言う。子供に対しては普通に話しかけてくれるのに、なぜ母親とは口をきこうとしないのか、理由を解明してほしいという内容。依頼者の姉、そして母親からも話を聞いた所、実に23年間会話をしていないことが判明。理由を父親に聞いた所、「子供が生まれてから妻が子供中心の生活をするようになり、自分の相手をしてくれなくなった」、要するに「すねていた」という理由で、それから引っ込みがつかなくなってしまった、と告白。父親、母親ともにお互いに話がしたいということから、2人の思い出の場所である奈良公園で夫婦2人きりにして、父親が今まで無視していたことを謝った後、お互いに日ごろの感謝と、これからは夫婦で話をしてゆくという会話を交わした。父親は「子供たちがこんなに心配しているとは思わなかった」と、母親は「(会話できて)幸せでした」と語った(理由については「そうじゃないかなとは思っていた」とのこと)。会話の様子を遠目で見ていた依頼者を含む3姉弟、さらに竹山探偵も涙し、スタジオ中が感動に包まれた。放送後、ネット上では番組への絶賛の声が殺到した[52]
放送直後に、『週刊ポスト』でも特集記事として取り上げられた。DVD Vol.16に収録。
幼稚園児、自転車で伊勢へ
2015年3月27日放送。探偵は田村裕。大阪市在住の43歳の男性からの依頼。5歳になる依頼者の息子は3歳4カ月で自転車に乗れるようになり、最長30kmを走破していたが本人は満足せず、「三重県伊勢[要曖昧さ回避]の祖父の家まで自転車で行きたい」と言い出した。ナイトスクープを視聴後は「探偵さんと一緒に行きたい」とも言い出し、止められないのでお手伝いをしてほしいという内容。解決の為に万全を期すべく、自転車の整備士や鍼灸師を引き連れ、ロケはスタートした。さすがに1日で162kmを走破するのは困難である為、64kmに到達した時点で1日目は終了、残りの98kmを2日目で走り切ることとなった。最初のうちは軽快に走っていた2人も、田村が「大人でもキツい」とこぼすほどに険しく、また冬場のロケであったために極寒の環境を走り続けるうちに、依頼者の息子にも疲労の色が見え始める。それでも気丈に振る舞っていたが、ゴールまであと十数kmという所で「もう絶対無理」と初めて泣き事を言ってしまう。そんな少年を田村は力強くも優しく励まし続け、2日目夜に無事に伊勢の祖父の家に辿り着いた。5歳の少年がひたむきに頑張る姿、依頼者の一家が号泣しながら息子を出迎えるシーンなどはスタジオ中の感動を呼び、田村自身もロケ中に涙するほどであった。なお、VTRは異例ともいえる2本分の尺で放送され、1本目はスタート〜1日目終了までの64km、2本目は2日目〜ゴールまでの98kmが放送された。2015年度第3回関西ATP賞グランプリ受賞。
鬼太郎少年
2015年12月25日放送[5]。探偵は田村裕。高知県の32歳の女性からの依頼。7歳になる依頼人の息子は、大の「ゲゲゲの鬼太郎」のファンであるが、近くに同作のファンがいないため、同志を探してほしいというものだった。その結果、広島県在住の8歳になる同作のファンを発見。鬼太郎と砂かけばばあの格好をした二人は、会ってすぐに意気投合し、オリジナルの妖怪イラストを見せ合ったり、貸本屋ごっこをしたりして、夜まで楽しい時間を過ごした。
そして、ロケが行われた日は11月30日だったのだが、偶然にもこの日の午前、「ゲゲゲの鬼太郎」の作者である水木しげるが死去。ロケ終了直前、二人にこの事実が伝えられた。思いもよらない訃報に、依頼人の息子は号泣。周囲も涙を流すという、異例の展開となった。当然、水木の死は探偵もスタッフも予期していなかったことであり、田村は「運命めいたものを感じたロケだった」というコメントを出した。そしてVTRの最後には、水木の写真とともに「水木しげる先生に捧げます」というコメントが放送された。
陶器の器がはずれない
2016年5月27日放送。探偵は澤部佑。局長就任以前のダウンタウン松本人志からの依頼。小さいカップが陶器のミルクポットの中にスッポリとはまり取れなくなったという妻に際し、松本が同年3月14日に自身のTwitterに「絶対取れへん!ナイトスクープに頼むか!」と投稿した[53]のがきっかけである。「東京都の52歳男性の方からの依頼」としか知らされていなかった澤部は、後方のドアから現れた松本が依頼者だと知り、終始驚いていた。膨張と収縮を利用したナイトスクープ定番の温度差作戦でも中のカップはビクともしなかったが、液体洗剤を入れて滑りをよくさせると中のカップが動き、ようやく無傷で取り出すことに成功した。
なお、この依頼は松本が出演する同局の深夜番組『松本家の休日』の収録に並行して行われており、同番組の2016年6月2日(同年6月3日未明)放送回ではこの依頼の未公開部分も放送された[54]
ナイトスクープを愛するドイツ人カップル
2017年6月23日放送。探偵は澤部佑。個人ではなく大多数の視聴者からの依頼。テレビ東京YOUは何しに日本へ?』2017年5月22日放送分にて、同番組のスタッフが成田空港にて取材したカップルが、「二人ともナイトスクープの大ファンで、番組観覧をするためだけに来日した」というドイツ人であった。このカップルの了解を得て同番組のスタッフが密着し朝日放送(当時)に一緒に訪れるものの、元々観覧の応募をしていない[注釈 25]上にその日は収録日でもなかったこと、ナイトスクープの番組スタッフから「外国人とは言え特別扱いはできない」と断われたことから夢は叶わなかった。仕方なく朝日放送(当時)を出たあとは、前述の「10年以上口をきいていない父と母」の依頼に登場した奈良公園を訪れ、オンエアと同じシチュエーションを再現して記念撮影して楽しんだ。この放送を観た視聴者から「何とかしてあげて!」という声がたくさん寄せられたため、逆にナイトスクープが『YOUは何しに日本へ?』のスタッフのもとに向かうこととなった。まだ都内のホテルに滞在していた[注釈 26]ドイツ人カップルに会うことができ、「ナイトスクープからのおもてなし」という形で、たまたま都内で別のロケを行っていた竹山の前にサプライズで登場。その後はナイトスクープ名物の依頼者・野々山による小ネタを生で披露、通天閣の上から叫ぶ、カップルが出演者の中で気に入っている林裕人の自宅訪問、ナイトスクープDVD全巻を贈呈するといったおもてなしを行い、最後はカップルをスタジオに招待、念願の番組観覧をすることができた。

面白スポット・人物発見

パラダイス
定番企画。秘宝館や零細経営の遊園地[注釈 27]や手作りのレクリエーション・パークなど、集客のなさそうなアミューズメントスポット(B級スポット)を調査し面白く紹介するもので、記念すべき第1回は「淡路島ナゾのパラダイス」(当時の名称は『立川水仙郷』)。番組では、高齢の男性が一人で築き上げたり収集した建造物や物品を無秩序に陳列しているケースが多いが、それらは多くの場合、他者から見たらガラクタか粗大ゴミにしか見えないのに比して本人の思い入れは深く、その視点のギャップがユーモアを誘うといった趣向となっている。「パラダイスを発見しました」という参加者のフリもお約束となっている。
同番組では長く続く人気シリーズとなっており、原則として桂小枝が担当し、パラダイスを面白おかしく紹介する。「あんなつまらなそうなところでどうして小枝さんはあんなに楽しそうにできるのか」と言われることもあるほど微妙なスポットばかりが紹介されるが、「城山オレンヂ園」の場合には、小枝が取材したときには客はがらがらだったのに某在京キー局の特番が二番煎じで取材したときには人でいっぱいだったということもある[注釈 28]。最初にパラダイスとして紹介された「立川水仙郷」のようにのちにナイトスクープで紹介されたことを入り口に大書しているところもある[注釈 29]。定着してからは、パラダイスの依頼の場合、はがきに「パラダイスを見つけました。小枝探偵行ってらっしゃい」とまで書かれるに至っていたが、小枝の卒業以降は別の探偵が依頼を引き受けている。
奇跡のお母さん「能勢の昔の恋愛」
1996年8月19日放送。探偵は間寛平。そもそもは「戦前・戦中の女性のキスに対する感覚」を街角でインタビューして放送する、という単純なものであった。ところが、とある田舎の婦人にインタビューしたところ、「そんなこと、したことありません」「できるわけがありません」と大まじめで否定。これが寛平探偵の琴線に触れ、いろいろなパターンを引き出し、大爆笑のVTRに仕上がってしまう。しばらくして、別件(人探し)で、捜索地の近所の女性に声をかけたところ、偶然にもその婦人が登場、またしても大爆笑を取ってしまう(実は取材地がいずれも大阪府能勢町だった)。
この様子が、ナイトスクープアカデミー大賞に選ばれ、その婦人が助演女優賞を受賞。「生まれて初めて人にほめられました」と涕泣した。DVD Vol.3に収録。
マネキンと結婚したい!?
1997年1月31日放送。探偵は間寛平。以前訪れた亀岡市造り酒屋(大石酒造)で出会ったイケメンマネキン人形に「フォーマルハウト」と勝手に名付けて恋をしてしまった女性が「彼と結婚したい」と依頼。そのマネキンが保管されているという倉庫で何千体もあるマネキンのなかから対面を果たし、茨木市内のホテルのチャペルで両家(?)の親族が集まり式が挙げられた。DVD Vol.2に収録。その後、2005年のアカデミー大賞(後述)で依頼者がプレゼンターとして登場し、フォーマルハウトと半年で破局したこと、その後人間の男性と再婚(無論戸籍上は初婚である)し子供もいるということが明らかとなった。2018年の30周年記念(後述)では寛平が久々に依頼者の自宅を訪問、当のマネキン人形が未だ大石酒造で現役であることを伝えたところ「是非とも会いたい!」と言い出したので、大石酒造に向かい20年ぶりに再会を果たした[56]
爆笑!のど自慢!?
2006年4月28日放送。探偵は北野誠。「依頼者がたまたま見ていた同年1月8日放送の『NHKのど自慢』(岐阜県大垣市)に出ていた、シャ乱Qの『いいわけ』を特徴的に歌うも途中で鐘二つで失格した男性に曲の最後まで歌わせてあげてほしい」との依頼を元に、北野、依頼者共々養老町まで赴いた。観客席で応援していた人が掲げていた「養老町の星・幸ちゃん」という横断幕を手がかりに本人を探すが、その過程で町民達にビデオを見せたところ皆大ウケであり、町長に至っては「特別賞モノだ」と絶賛。無事に発見された「幸ちゃん」は町民数十名が観客席に入った養老町のホールでのど自慢で演奏していたバックバンドの演奏で最後まで熱唱した。その後幸ちゃんは7月14日放送のナイトスクープアカデミー大賞2006(後述)に於いて最優秀音楽賞を受賞し、大勢の観客のいるスタジオにて再び熱唱を披露した。DVD Vol.5に収録となり、BOXの名前も「養老の星 幸ちゃん篇」とされた。
ナイトスクープでの出演をきっかけにネットを中心に話題となった幸ちゃんは、同年9月9日にゴールデンタイムの全国ネット番組『めちゃ2イケてるッ!』(フジテレビ)にも登場し、つんく♂をはじめとするシャ乱Qとの共演を果たした。また、12月26日放送のNHKのど自慢の総集編で、幸ちゃんのコーナーが設けられフジテレビ出演時の映像が紹介されるなど、ただの素人の域を超えて反応が広がった。
新・センサーライトに勝ちたい!
2015年5月1日放送。探偵は竹山隆範。玄関のセンサーライトを反応させずに家を出たいという依頼であったが、この依頼で反響をよんだのが、趣味の質問で明らかとなった、中学生の依頼者の空想である。彼の空想はプロ野球の架空の試合や結果、学習塾やテレビ局、空想の中のタレント、ショッピングモールまで多彩なジャンルに及ぶ。本来の依頼以上にネットでは驚きの声が上がった。また同依頼者は空想の中のタレントを大阪出身であることからナイトスクープの探偵として出演させるつもりであったが敷居が高いことと探偵が入れ替わった時期にまた一人増やすのはややこしいとして入れることができず「銀シャリにとられた」と悔やんでいた。

注釈

  1. ^ 2014年10月3日放送分より実施。朝日放送テレビ・北海道テレビ・広島ホームテレビのみ実施。
  2. ^ a b 2018年3月30日(2017年度最終放送日)までは、同年4月1日の認定放送持株会社移行に伴う商号変更並びに分社化前のため、朝日放送(ABC、現・朝日放送グループホールディングス[1][2][3][4]
  3. ^ 後述の『鬼太郎少年』(2015年12月25日放送)[5] など。その他『爆笑!小ネタ集』などでも時々見られる。
  4. ^ VTR中の音声はBGMや効果音を含めてモノラル音声(モノステレオ放送)であるが、観客の拍手や声をステレオマイクで集音している。
  5. ^ 実際に同番組でテロップが初めて付いたのは、1988年6月18日放送の「宝くじはどうすれば当たるか?」という依頼(探偵は嘉門達夫)。
  6. ^ まれに(例えば、相手が泥酔時)記号の羅列になることもある。
  7. ^ ラジオビバリー昼ズ』2013年5月24日オープニングトークで、17日に収録があったと松村が発言。
  8. ^ 最初期は探偵は全員スタジオに居らず、依頼文を読み上げた後に担当した探偵が、下手の定位置の後ろに現在もあるドアから入場していた(そのため、現在探偵が座る場所が局長・秘書の席と独立していた顧問の席、現在それらが座る場所に用途不明のソファと複数のスタンドマイクがあった。その座る場所の変更を除いてセット全体は開始当時から変わっていない)。探偵がオープニングから全員スタジオに居るようになり担当する依頼の時に席を立つようになってからは、このドアは新局長・新秘書の就任時と新探偵加入時のお披露目の際、特別顧問の登場時や特番でのゲスト登場時に登場口として使われている。
  9. ^ a b 2005年ごろからオープニングタイトルの直後にCMが入り、3本目とエンディングの間にCMが入らない構成になった。2012年2月24日放送分のみ、かつての構成に戻った。
  10. ^ 「部下の探偵たち」ではなく「優秀な探偵たち」としていた時期もある。
  11. ^ 松本の不祥事による一時降板前最後の出演[10]
  12. ^ 一時、改行されていない時期もあった。また上岡時代と松本時代の2020年7月24日から2024年1月27日[注釈 11] の放送分は、「〇〇探偵局長が」と局長の名前が付け加えられている。上岡時代には「“上岡探偵局長”が」とダブルクオーテーション囲みで強調されている時期もあった。西田と、松本の一時降板時期は探偵局長名の名前は外されている[10]
  13. ^ 広島ホームテレビのように、提供ベースを空欄のまま流した後(非公開放送時は提供ベース自体がない)、別途独自のフルCG背景(以前はブルーバック)で提供スポンサーを表示する例もある。
  14. ^ 過去に岡部秘書が、「…探偵手帳を差し上げます」と言った後、探偵手帳の中身を見せていた時期があったが、現在はお楽しみということになっている。
  15. ^ 別途に制作スタッフらは公衆の面前で上岡を落涙させるべく感動取材VTRを投入するが尽く冷静で的確なコメントで切り返され、その度に地団駄を踏んでいた。
  16. ^ 西田は(福島放送本社所在地の)福島県郡山市出身だが、父が大阪府和泉市出身であり、関西とは縁があった。
  17. ^ 大阪でタクシーに乗ると運転手から「なんであれで泣くの」と問われることもしばしばらしい。
  18. ^ もともと涙もろいという彼自身のキャラクターがそのまま反映されている。
  19. ^ 増田アナは2019年10月18日、11月8日、11月15日放送分で見習い秘書として出演している。
  20. ^ 初登場時のロケでの発言。この時期はちょうど北野が東京でラジオ番組を担当するため一時降板していた。この発言と依頼はDVD Vol.8に収録されている。
  21. ^ デビュー作で獲りに行った服部緑地ではロケの許可が下りず、今回は代わりに「ドブガイが居そうな」長居植物園で許可を得てロケを敢行した。
  22. ^ ロケ先のVTR中では、演出上の都合で裸芸人姿になったことがある。
  23. ^ 局長や秘書が居ない回や東京からのリモート回もある。
  24. ^ モーツァルトはウィーン出身ではなくザルツブルク出身である。
  25. ^ 二人はアポイントなしで朝日放送(当時)を訪れ、番組観覧を願い出るつもりであった。
  26. ^ 二人は元々一ヶ月ほど日本に滞在する予定であった。
  27. ^ 近鉄グループが運営していた近鉄玉手山遊園地のような大企業系列でありながら取材対象になったものもある。
  28. ^ 現在も手軽なお出かけスポットとして人気が高く、ウェブページも持っているほどである。
  29. ^ もっとも、立川水仙郷は水仙の名所としても有名スポットであったため、近郷の灘黒岩水仙郷と並んで旅行雑誌や写真集を始め出版物への記載が多く見られた。のち、立川水仙郷は二代目館長(番組に出演した館長の長男)の急死により2023年9月をもって閉館した[55]
  30. ^ 2007年度には青森朝日放送・秋田朝日放送・山形テレビ・福島放送・長野朝日放送・北陸朝日放送・瀬戸内海放送・広島ホームテレビ・山口朝日放送・愛媛朝日テレビ・長崎文化放送・大分朝日放送・熊本朝日放送・鹿児島放送が同時ネット、12:00 - 15:25。九州朝日放送・琉球朝日放送は2008年1月12日の同時刻に時差ネット。名古屋テレビも時差ネットした。
  31. ^ ただし、『金曜ファミリープレゼント』枠内での放送は当時日本テレビ系列・テレビ朝日系列とのクロスネット局だった山形放送で同時ネットで放送された。
  32. ^ 別番組が放送される岩手朝日テレビ、東日本放送、新潟テレビ21および本番組未ネット局のテレビ朝日を除く系列局で同時ネット放送された。
  33. ^ 東日本放送、新潟テレビ21、テレビ朝日、大分朝日放送を除く系列で同時ネット放送された。唯一TBS系列であるテレビ高知も同時ネット。
  34. ^ 北海道テレビ、青森朝日放送、テレビ朝日、静岡朝日テレビ、山口朝日放送、琉球朝日放送を除く系列で同時ネットされた。東日本放送は同日の23:40 - 翌3:20、広島ホームテレビは12月31日8:00 - 11:45、新潟テレビ21は1月2日1:40 - 5:20(1日深夜)での遅れネット。
  35. ^ 2016年・2017年とも東日本放送、テレビ朝日、新潟テレビ21、九州朝日放送を除く系列で同時ネットされた。九州朝日放送は同日の13:05 - 16:30、東日本放送は翌年1月2日1:30 - 4:55、新潟テレビ21は翌年1月6日0:20 - 3:45(1日深夜)での遅れネット。
  36. ^ 2018年は東日本放送・テレビ朝日・新潟テレビ21・九州朝日放送を除く局で、2019年は東日本放送・福島放送・新潟テレビ21を除く局とTBS系列の宮崎放送で、2020年は東日本放送・テレビ朝日・新潟テレビ21を除く局とTBS系列の宮崎放送で何れも同時ネットで放送された。2018年は九州朝日放送は同日13:05 - 16:30、2019年は福島放送は13:30 - 16:55に何れも遅れネットで放送。
  37. ^ 旧・東通ライティング
  38. ^ 一時離脱→復帰。
  39. ^ 東通AVセンター、2012年4月統合
  40. ^ 2011年11月まで大阪東通、2001年12月 - 2010年3月まで東通と表示。
  41. ^ 番組当初は大阪東通に所属していたが、後に制作会社「クリエイティブ・ジョーズJAWS」を立ち上げ現社長。
  42. ^ 2015年12月30日放送「年忘れファン感謝祭」ではプロデューサーを担当。
  43. ^ 番組当初は「ビデオワーク(朝日放送テレビと松竹芸能が共同出資していた制作プロダクション)」に所属していたが、解散後「ファンズプロダクション」を設立。代表取締役社長。
  44. ^ 加入当初は「SSSystem」に所属。
  45. ^ 以前はチーフディレクター。
  46. ^ 2010年4月30日 - 、番組開始 - 1996年までは、初代プロデューサー、1996年 - 2010年4月23日までは、チーフプロデューサー。
  47. ^ 制作、番組初期のみ。後に朝日放送の代表取締役社長。
  48. ^ 2018年7月27日 - 2019年2月頃まで、以前はディレクター→一時離脱→2014年7月11日 - 2018年7月中旬までプロデューサー
  49. ^ 番組黎明期には初代プロデューサーの松本が自らロケディレクターを担当する回もあった。
  50. ^ 岩田は1993年にナイトスクープのスタッフに加入、1996年に2代目プロデューサーに昇格するまでの期間はディレクターを担当していた。
  51. ^ 2018年7月27日 - 以前は、ディレクター→チーフディレクター→一時離脱
  52. ^ 現:フジテレビバラエティ制作センター→情報制作局→コンテンツ事業部CP→編成制作局制作センター第二制作室CP
  53. ^ 開始当初は各務プロダクション{現:カガミ}に所属していたが、その後JAWSへ。
  54. ^ 当時JAWS、現:毎日放送
  55. ^ 番組当初は「ブリッジ」に所属していたがJAWSに移籍。
  56. ^ 現:フジテレビバラエティ制作センターCD→編成制作局制作センター第二制作室
  57. ^ 現:株式会社MBSラジオの初代代表取締役社長。元:毎日放送、Mビジョン推進室長、制作局長、取締役。開始当初から放送作家として参加し、1991年頃まで関わる。その後MBSに入社。
  58. ^ 苗字が「鹿児島」である鹿児島俊光は鹿児島出身か? ということで、自身が調査対象となり番組に出演した経験がある。ちなみに鹿児島俊光は生まれも育ちも神戸であり、鹿児島県とは無関係。そのことを確認するためだけに、はるばる鹿児島空港に来させられていた。
  59. ^ 宮下が当時、上岡局長の時代には完パケ収録で探偵達は喋りたくとも時間制限があるため、無理が生じていた。偶に当時のABC石原が時間オーバーした時にだけ編集に来たのを2代目プロデューサーの岩田潤に「時間に縛られるのでは無く、好きなだけ探偵であるタレントさんに喋って頂き、面白い所を用いて編集してテロップもきちんと編集で挿入した方がより良い番組になる」と提案し、今までの完パケ収録から収録時間度外視の編集ありきの番組になり、オープニングも宮下の提言でCGになった。また、宮下は朝日放送のディレクターの探偵ビデオも専属で担当する事になり、素材VTRから本編の編集まで全てにおいて担当する事になり、約14年間に亘り編集作業の専属担当となった、そして現在のエディターの川中順子を編集アシスタントととして育てあげ、西田敏行局長時代になり3代目プロデューサーの矢澤克之が人事異動でプロデューサーを引退する際に宮下も一緒に引退した。探偵ナイトスクープの編集に於いて宮下は中興の祖と呼ばれる事になり、引退後は西本が暫定で編集を引き継ぐも、今現在は宮下が育てた川中順子が現在も引き続き担当している。宮下が遺した物で今でも使われているのはエンディングのスタッフロールテロップの配色、白字にグレーエッジは宮下が決めた物であり、当時としては最新の色使いなロールテロップになった。
  60. ^ 番組当初から表示されたが、現在は表示無し。
  61. ^ 雨天などにより全試合中止、または放送日が休養日となった場合は除く。
  62. ^ 2009年までは局によっては朝日放送(当時)より20分 - 25分程度先行して放送されていた。
  63. ^ オンエアでも触れられた。なお、佐賀県も福岡県の九州朝日放送区域外再放送や長崎県の長崎文化放送の直接受信や熊本県の熊本朝日放送の直接受信で見られる場合がある。
  64. ^ 2009年10月3日までは土曜 1:15 - 2:10(金曜深夜)、2016年4月2日までは日曜 0:45 - 1:40(土曜深夜)に放送。
  65. ^ 2011年10月2日までは日曜 0:35 - 1:30(土曜深夜)、2016年12月25日までは日曜 0:40 - 1:45(土曜深夜)、2020年3月までは日曜 0:30 - 1:25(土曜深夜)に放送。その後、土曜 0:05 - 1:00(日曜深夜)。
  66. ^ 2010年3月28日までは日曜 0:30 - 1:25(土曜深夜)、同年4月から12月18日までは土曜 12:00 - 12:55、2011年1月から2013年3月23日までは日曜 0:45 - 1:40(土曜深夜)。2013年4月から時期不明までは金曜 0:50 - 1:45(金曜深夜)に放送されていた。
  67. ^ a b c アナログ放送かつモノラル制作時代からステレオ放送を実施。
  68. ^ 時期不明から2022年9月までは土曜 14:00 - 14:55に放送されていた。同年10月から現在の放送時間に変更。
  69. ^ 2009年3月までは日曜 0:30 - 1:30(土曜深夜)、2009年4月から2017年3月までは土曜 0:20 - 1:20(金曜深夜)、2017年4月から2018年3月までは再び日曜 0:30 - 1:30(土曜深夜)、2018年4月から2020年9月までは開始時刻を5分繰り下げて日曜 0:30 - 1:30(土曜深夜)に放送。2020年10月より、開始時刻を5分繰り上げて再び現在の時間で放送。
  70. ^ 2020年10月3日から2021年3月27日までは日曜 0:05 - 1:00(土曜深夜)、2021年4月10日から2021年9月25日までは土曜 15:35 - 16:30、2021年10月8日(7日深夜)から現在の放送時間で放送。
  71. ^ 2009年9月までは同時ネット。2009年10月から同日1時間遅れネット。2020年4月4日(3日深夜)から現在の放送時間。2020年3月までは土曜 0:20 - 1:30(金曜深夜)、CM枠を増やし放送時間を繋いでいた為、放送時間が他のネット局より長くなっていた。ゴルフの全英女子オープンなどスポーツ中継がある場合は、土曜の午後に1日遅れで放送することがある。2022年4月2日(1日深夜)放送分から解説放送を実施している。
  72. ^ 2022年4月から解説放送を実施。
  73. ^ 不定期に金曜 23:15 - 翌0:15に放送時間が変更となる時がある。
  74. ^ 63分遅れ。2009年10月2日までは金曜 23:15 - 翌0:15、2009年10月10日から2011年4月2日までは現在と同じ時間での放送だった。しかし、テレビ朝日の番組(タモリ倶楽部お願い!ランキング)を同時ネットする関係で同年4月10日から2012年4月1日までは日曜 12:00 - 12:55の放送だったが、同年4月9日以降再び現在の放送時間に復帰。
  75. ^ 2010年4月4日放送分からアナログ放送はレターボックスで放送。1994年9月までは日曜の深夜[疑問点]に放送されていた。その後2009年9月まで金曜23時台で放送された。
  76. ^ 日曜 16:35 - 17:30に再放送を実施。
  77. ^ 2009年10月から2010年9月までは土曜 12:00 - 13:00。
  78. ^ 2019年9月までは土曜 0:15 - 1:15(金曜深夜)に放送。2019年10月より『相席食堂』が移動するため、2019年10月から2020年3月まで土曜 15:00 - 15:55に放送。2020年4月より『中居正広のニュースな会』が30分拡大するため、土曜 15:30 - 16:25に放送。2024年4月3日より、現在の時間に変更。
  79. ^ 2019年10月から2024年3月まで、ゴルフなどのスポーツ中継を放送する場合、もしくはブロックネットの特別番組を放送する場合は休止。
  80. ^ 2023年4月までは金曜 24:45 - 25:45(「朝まで生テレビ!」放送週のみ金曜 24:15 - 25:15)、2016年4月3日までは日曜 15:25 - 16:25、2009年10月から2015年3月までは日曜 16:20 - 17:20、2009年9月までは同時ネットで字幕放送を行っていた。
  81. ^ 開局時(1995年10月)から2005年4月までは同時ネット(1996年10月からの半年間のみ週末深夜に移動。)、同年4月に金曜ナイトドラマ同時ネットに伴い、同年4月から9月までは日曜12:00 - 12:55、同年10月から2007年3月までは金曜24:10 - 25:05、同年4月から2009年9月頃までは土曜 13:00 - 13:55、同年10月頃から2012年までは土曜 14:55 - 15:50、その後5分繰下げで15:00からの放送になった。2014年から2022年3月頃まで水曜24:50 - 25:45、同年4月から24:15へと45分繰り上げ。同年12月から現在の放送時間に変更。
  82. ^ 1999年10月頃は土曜 19:00 - 19:54で放送。
  83. ^ 2010年6月26日までは土曜 13:00 - 13:54、2010年7月から2013年3月までは水曜 23:55 - 翌0:50、2013年4月から2014年3月までは木曜 0:05 - 1:00(水曜深夜)、2014年4月から12月までは水曜 19:00 - 19:56。
  84. ^ 2016年9月16日までは金曜 0:40 - 1:35(木曜深夜)。
  85. ^ かつて金曜夜放送時代は2008年11月から当該時間帯にマルチ編成を行っていたためデジタルはSD16:9での放送(2009年2月・3月を除く、2009年9月まで)、土曜夕方放送時代は東京シティ競馬中継、野球シーズン中の場合は『STRONG!ホークス野球中継』が行われた場合マルチ編成になるためデジタルはSD16:9での放送を行う。マルチ編成時には差し替えで放送されない場合あり。朝日放送制作の別番組に差し替えの場合もある(2012年8月4日の『雨上がりのやまとナゼ?しこ』への差し替えなど)。日曜夕方放送になった2013年4月以降もマルチ編成時は中止になる場合がある(夢・応援!女子プロ野球中継や東京シティ競馬中継などに差し替えられる)。
  86. ^ 2012年3月29日までは木曜 19:00 - 19:55。4月12日から2018年3月29日までは木曜 20:00 - 20:55。2018年4月7日より土曜 20:00 - 20:55。2019年10月頃から2021年3月まで金曜 20:00 - 20:55。2021年4月17日より土曜 12:00 - 12:55。野球中継やラグビー中継、神奈川県議会中継などで休止の場合あり(その場合の休止回のフォローなし、後日同時間枠にて放送することもある)。
  87. ^ 2014年12月26日までは金曜 19:00 - 19:55に放送。2014年12月26日から2015年4月7日までは一時休止。
  88. ^ 回によっては編成や権利上の都合などで放送されない場合がある。
  89. ^ 山形新聞』1992年3月23日付朝刊テレビ欄より。
  90. ^ 本局のネット開始により、佐賀県を除いた全国で完全ネットとなったことがある。その後テレビ朝日の離脱で崩れた。
  91. ^ 福本清三が『徹子の部屋』に初めて登場した1992年9月24日の放送では、冒頭で黒柳徹子が(当時無名に近かった)ゲストの福本がどういう人物なのかを口頭で説明した後、なぜ福本を呼んだのか、という理由を述べる際に「実は、大阪の朝日放送で放送されております、『探偵!ナイトスクープ』という番組の収録で…」と紹介したあと、朝日放送(当時)から映像提供を受けてナイトスクープでの放送シーンの一部(黒柳に扮した桂小枝と福本がセットのソファーに座っている時に黒柳が登場した瞬間など)を放送した。

出典

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