平方 (上尾市) 地理

平方 (上尾市)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/01/03 17:42 UTC 版)

地理

埼玉県の中央地域(県央地域)で、上尾市南部の主に大宮台地上に位置する。東側を平方領領家上野、南側を西貝塚さいたま市西区宝来、西側を荒川およびその旧流路を挟み川越市東本宿・上老袋・中老袋や比企郡川島町出丸中郷、北側を畔吉小敷谷と隣接する。南側では川越市古谷上のほか、さいたま市西区宝来や指扇峰岸中釘飛び地とも僅かに隣接する。また、荒川の河川区域内にほぼ全周を川越市に囲まれている飛地(字川岸向の一部)もある[7][8](ほんの一部はさいたま市西区内野本郷高木の飛地と接する)。ここにはかつて屏風沼(屏風池とも)があった[注釈 1]。大正〜昭和初期に行なわれた荒川の河川改修により、右岸側に飛地化した地区(字西野)があり西野橋で結ばれる。

地区は川越上尾線、およびその旧道の沿線付近や西上尾第二団地の南西部を除き市街化調整区域[9]で、屋敷林や畑地が多くみられる土地である。地区南部の荒川の堤防付近やその堤外地には沖積平野が広がり水田地帯である。堤外地のほぼ全域は荒川近郊緑地保全区域[9]に指定されている。また、地区の北端を長堀(丸山都市下水路[10])、中央を西野排水路、南端を上尾中堀川が流れる。

鉄道駅は周辺になく、路線バスの要衝となっている。

歴史

もとは江戸期より存在した武蔵国足立郡平方領に属する平方村であった[11]。古くは中世末期より見出せる橘里三輪荘(みわのしょう)に属したと云う[12][11][13]正保年間(1645年〜1648年)頃までは平方町と称されていた[11][13]。村高は正保年間の『武蔵田園簿』では704石余(田237石余、畑467石余)[14]、『元禄郷帳』によると712石余、『天保郷帳』によると785石余であった。化政期の戸数は130軒で、村の規模は東西12余、南北19町余であった[11][13]。荒川流域の平坦な地が地名の起源である[11]。馬蹄寺には寺領15石が与えられていた[13]。荒川には平方河岸が設けられ舟運で栄えていた[13]1875年(明治8年)の農業産物高は武蔵国郡村誌によると米272石、大麦986.7石、小麦208.8石であった[15]

平方村石倉醤油醸造場と平方にあった工場。河川に架かる橋は開平橋。(明治末期頃)
  • 1921年大正10年)4月11日 - 当日午後に上宿の下駄屋から出火、延焼し6戸8棟が焼失する火事が発生する[31]
  • 1923年(大正12年)9月 - 関東大震災が発生、町内では製糸場の煙突倒壊で2名の死者を出すほか、平方尋常高等小学校(現、上尾市立平方小学校)の校舎が一部損壊し、墓石や神社の灯籠が倒れる被害を出した[32]。また荒川の八塚堤防に多数の亀裂が入り、八塚樋管が損傷する被害も出る[33]
  • 1924年(大正13年)
    • 4月15日 - 平方尋常高等小学校の校内に「平方村図書館」を設置し、開館する[34]
    • 7月15日 - 平方村の「川越上尾線」より北上し、大石村を経由して桶川町に至る村内の道路を「平方桶川線」(路線番号226、現在の埼玉県道57号さいたま鴻巣線の前身)として県道に編入する[35]
  • 1928年昭和3年)11月1日 - 平方村が町制施行により、平方町になる[36]。平方町の大字となる。大字平方1674番地(平方小学校の川越街道を挟んだ向かい側)に町役場を開設する[22]
  • 1932年(昭和7年)3月31日 - 「馬蹄寺のモクコク」が県指定天然記念物に指定される[37]
  • 1938年(昭和13年)7月 - 豪雨により荒川が増水し、堤防の決壊はなかったが、開平橋周辺で民家の一階部分が水没するほどの洪水被害が発生する[28]
  • 時期不明(昭和17年頃) - 1910年(明治43年)8月に起きた明治43年の大水害を契機に、荒川の河川改修が(大正9年)より実施され、広大な河川敷が整備され、南北に直線的な捷水路が開削された[38]。これにより堤外地の字西野の一部が荒川の右岸側に飛地化する[注釈 7]
  • 1944年(昭和19年)8月28日 - 地内の馬蹄寺に学童集団疎開先として日本橋阪本小學校(現中央区立阪本小学校)の児童85名[注釈 8]を、1946年(昭和21年)3月21日まで受け入れる[39][40]
  • 1947年(昭和22年)9月16日 - カスリーン台風が襲来、当地域では堤防は無事で洪水被害はなかったが、平方の堤外地にある桑畑は泥土に埋まるなど壊滅的な被害を受けた[28]
  • 1949年(昭和24年) - 平方町立診療所を開設するため、町役場の庁舎を改造して使用したことに伴い、平方小学校の敷地内に町役場を移転する[22]。また、地内に公立の洋裁学校である「平方町立橘洋裁学校」が設立される[41]。この学校は上尾中学校に移転後、1960年(昭和35年)末に廃校となった。
  • 1952年(昭和27年)
    • 2月 - 東武バスの大宮〜平方間を運行する路線を出丸・三保谷・八ツ保・小見野・南吉見経由で東松山まで延長する[42]
    • 10月9日 - 地内の神明寺(浄土宗、馬蹄寺末)が馬蹄寺に合寺され[20]、仏像や仏具などが移管される。
  • 1955年(昭和30年)11月1日 - 平方町が合併によって上尾町となったことに伴い[43]、上尾町の大字となる。町役場は平方支所となる。
  • 1958年(昭和33年)
  • 1960年(昭和35年)9月1日 - 地内を通る県道平方桶川線が県道66号井戸木中野林浦和線に改称される[44]
  • 1965年(昭和40年)
    • 4月1日 - 市立平方幼稚園が平方小学校に設置される[45]
    • 11月3日 - 地内に川越初雁カントリークラブ(現、リバーサイドフェニックスゴルフクラブ)が開場する[46]
  • 1967年(昭和42年) -
    • 月日不明 - 荒川に架かる現在の西野橋が架設される。
    • 5月1日 - 橘神社の大けやきが市の天然記念物に指定される[37]
  • 1971年(昭和46年)3月27日 - 地内の「正覚寺寺子屋遺跡」が市の史跡に指定される[37]
  • 1973年(昭和48年) - 1923年(大正12年)を最後に長年開催されていなかった平方地区の奇祭「平方のどろいんきょ」が復活開催する[47]
  • 1974年(昭和49年)4月 - 上尾市立平方東小学校が開校する[48](同年10月に現在地に移転)。
  • 1975年(昭和50年)10月 - 地内に上尾平方線(市民体育館通り)が開通する[48]
  • 1977年(昭和52年)4月1日 - 荒川に架かる開平橋が場所を変えて永久橋化される。また、上尾市立平方北小学校が開校する。
  • 1978年(昭和53年)5月5日 - 地区内に上尾丸山公園が開園する[49]
  • 1980年(昭和55年)3月 - 地内の平方小学校の川越街道を挟んだ向かい側の場所に平方支所の新庁舎が落成する[48]
  • 1981年(昭和56年)3月31日 - 八枝神社の境内ケヤキ・エノキ群が市の天然記念物に指定される[37]
  • 1983年(昭和58年)4月1日 - 地内に埼玉県立上尾橘高等学校が開設される[50]
  • 1986年(昭和61年)5月1日 - 地内に「平方公民館」が開館する[51][48]
  • 1991年平成3年)2月28 - 開平橋の取り付け道路となる県道川越上尾線の馬蹄寺前までの線形改良工事が行なわれ、開通する[52]
  • 1994年(平成6年)7月 - 地内の荒川河川敷(ゴルフ場)にて「あげお花火大会」として、花火大会が40年ぶりに復活開催する[53]
  • 1997年(平成9年)4月 - 地内を通る県道川越上尾線の平方交差点以東にバイパスが建設され開通する[48](旧道は市道に格下げ)[注釈 9]
  • 1999年(平成11年)3月28日 - 地内の馬蹄寺の境内にある「鈴木荘丹俳諧歌碑」が市の有形文化財に指定される[37]
  • 2005年(平成17年)4月1日 - 平方分署・平方支所・上尾市図書館たちばな分館の複合施設が開館する[49]
  • 2011年(平成23年)3月18日 - 「平方祇園祭のどろいんきょ行事」が県指定無形民俗文化財に指定される[54]
  • 2014年(平成26年)10月7日 - 「平方新田の祭りばやし」が市の無形民俗文化財に指定される[37]

存在していた小字

世帯数と人口

2017年(平成29年)10月1日現在の世帯数と人口は以下の通りである[2]

大字 世帯数 人口
平方 1,910世帯 4,681人



注釈

  1. ^ 外部リンク節の『今昔マップ on the web』を参照。
  2. ^ 『角川日本地名大辞典 11 埼玉県』730頁では寛永2年と記されている。
  3. ^ 「旧高旧領取調帳データベース」の検索結果も参照。
  4. ^ 一部寺領を除く。寺領も寺社領上知令により1871年または1875年までに没収され、浦和県または埼玉県に併合される。
  5. ^ 翌年までに廃寺となった正覚寺(天台宗福正寺末、観音堂のみ現存[20])に移転している。
  6. ^ 『上尾市史 第四巻 資料編4、近代・現代1』 90頁では平方村130番地に所在した馬蹄寺を借受と記されている[24]
  7. ^ 1942年(昭和17年)5月14日の航空写真[1]によると荒川の流路が改修されている事が判かる。
  8. ^ 3年生男子30名、4年生女子25名、5年生女子30名の合計85名[39]『上尾市史 第五巻 資料編5、近代・現代2』 655頁では60名と記されているため、残り25名は他校より児童を受け入れた可能性もある。
  9. ^ 開平橋の取り付け道路の東詰から馬蹄寺前までをショートカットする区間は先行して開通している。外部リンク節の『今昔マップ on the web』を参照。
  10. ^ 『新編武蔵風土記稿』では「今市場」と記されている。[13]
  11. ^ 『新編武蔵風土記稿』では「大門」と記されている。[13]
  12. ^ 『新編武蔵風土記稿』では「石井戸・下」と記されている。[13]
  13. ^ 『新編武蔵風土記稿』では「宿北・中」と記されている。
  14. ^ 『新編武蔵風土記稿』では「三輪・観音谷・上」と記されている。[13]
  15. ^ 武蔵国郡村史では「三ツ塚」と記されている。
  16. ^ 飛地側の二ヶ所に分かれて所在。
  17. ^ 他に「三ツ又沼ビオトープ」周辺に認定外道路のA101号がある。
  18. ^ 外部リンク節の『あげお写真館』を参照。

出典

  1. ^ 統計あげお 平成30年版 第1章 土地・気象”. 上尾市役所. p. 2 (2019年5月30日). 2020年5月29日閲覧。
  2. ^ a b 町丁大字別人口表”. 上尾市 (2017年10月6日). 2017年10月6日閲覧。
  3. ^ a b 郵便番号”. 日本郵便. 2017年10月6日閲覧。
  4. ^ 市外局番の一覧”. 総務省. 2017年5月29日閲覧。
  5. ^ 単位料金区域別市外局番等一覧表”. NTT東日本. 2020年5月20日閲覧。
  6. ^ 『上尾市史 第八巻 別編1、地誌』341-347頁。
  7. ^ 『上尾市史 第八巻 別編1、地誌』329-331頁。
  8. ^ 『角川日本地名大辞典 11 埼玉県』928頁。
  9. ^ a b c d 都市計画図がご覧になれます。 - 上尾市(2014年9月5日).2019年6月10日閲覧。
  10. ^ 上尾市総合治水計画” (PDF). 上尾市. p. 36 (2019年12月). 2020年5月30日閲覧。
  11. ^ a b c d e f g 『角川日本地名大辞典 11 埼玉県』730頁。
  12. ^ 『角川日本地名大辞典 11 埼玉県』842頁。
  13. ^ a b c d e f g h i j 新編武蔵風土記稿 平方村.
  14. ^ 東京市『東京市史稿. 市街篇第六附錄』東京市、1928年、80-81頁。NDLJP:3450753/46 
  15. ^ 『上尾百年史』 250-254頁。
  16. ^ a b 『上尾市史 第八巻 別編1、地誌』331-334頁。
  17. ^ 『上尾百年史』 23-24頁。
  18. ^ 『上尾百年史』 26-30頁。
  19. ^ 『上尾市史 第八巻 別編1、地誌』117-123頁。
  20. ^ a b 『上尾百年史』 612-615頁。
  21. ^ 『上尾百年史』 357-362頁。
  22. ^ a b c d e 『上尾百年史』 212-214頁。
  23. ^ 『上尾百年史』 98-116頁。
  24. ^ 上尾市史 第四巻 資料編4、近代・現代1 90頁。
  25. ^ 『上尾百年史』 561頁。
  26. ^ 『上尾百年史』 127-128頁。
  27. ^ 『上尾百年史』 594-596頁。
  28. ^ a b c d e 『上尾百年史』 586-594頁。
  29. ^ 上尾市立平方小学校の沿革” (PDF). 上尾市立平方小学校(上尾市教育委員会) (2019年7月1日). 2020年5月21日閲覧。
  30. ^ a b c 『上尾百年史』 604-609頁
  31. ^ 『上尾百年史』 583頁。
  32. ^ 『上尾百年史』, p. 584.
  33. ^ 上尾市史 第四巻 資料編4、近代・現代1 819-821頁。
  34. ^ 上尾市史 第四巻 資料編4、近代・現代1 714-719頁。
  35. ^ 上尾市史 第四巻 資料編4、近代・現代1 618頁。
  36. ^ 『上尾百年史』 161-164頁。
  37. ^ a b c d e f 上尾の指定・登録文化財一覧” (2021年3月12日). 2021年11月23日閲覧。
  38. ^ 明治時代以降 - 国土交通省 関東地方整備局 荒川上流河川事務所、2020年7月29日閲覧。
  39. ^ a b 『上尾市史 第七巻 通史編(下)』 408-411頁。
  40. ^ 『上尾市史 第五巻 資料編5、近代・現代2』 655頁。(原典は『毎日新聞』埼玉版 昭和19年8月1日および同8月11日。)
  41. ^ 『上尾百年史』 487頁。
  42. ^ a b 『上尾市史 第五巻 資料編5、近代・現代2』 515頁。
  43. ^ a b 『角川日本地名大辞典 11 埼玉県』1421頁。
  44. ^ 『上尾市史 第五巻 資料編5、近代・現代2』 557-558頁。
  45. ^ 上尾百年史編集委員会・編『上尾百年史』上尾市役所、1972年2月10日、486-487頁。 
  46. ^ 概要 - 2020年5月20日閲覧。
  47. ^ ここに人あり 「天下の奇祭、平方のどろいんきょ 歴史ある往時の活気を後世まで」」『上尾商工会議所情報誌 あぴお』第28号、上尾商工会議所、2005年7月1日、1頁、2020年5月20日閲覧 
  48. ^ a b c d e 上尾市のあゆみ - 統計あげお平成23年版” (PDF). 上尾市. pp. 135-144 (2012年3月). 2014年4月13日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年7月10日閲覧。
  49. ^ a b 広報あげお 2018年7月号(No.1012)” (PDF). 上尾市役所. pp. 4-7 (2018年7月). 2019年3月10日閲覧。
  50. ^ 学校紹介 - 埼玉県立上尾橘高等学校. 2019年3月10日閲覧。
  51. ^ 『埼玉県公民館連合会創立40周年記念誌「埼玉の公民館」』埼玉県公民館連合会、1989年11月8日、192-195頁。 
  52. ^ 「県道川越上尾線が一部開通」『広報あげお 1991年4月1日号』第574号、上尾市役所、1991年4月1日、4頁。 
  53. ^ 上尾商工会議所50年のあゆみ”. 上尾商工会議所. 2020年6月12日閲覧。
  54. ^ a b 平方祇園祭のどろいんきょ行事 - 上尾市. (2010年11月24日)、2020年5月20日閲覧。
  55. ^ 『角川日本地名大辞典 11 埼玉県』1839頁。
  56. ^ 市内小・中学校通学区一覧”. 上尾市 (2017年6月1日). 2017年10月6日閲覧。
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  58. ^ ぐるっとくん 上尾市内循環バスROAD案内マップ (PDF) - 上尾市役所.2020年5月29日閲覧。
  59. ^ 自治会・町内会・区会に加入しましょう”. 上尾市役所 (2021年3月15日). 2022年5月3日閲覧。
  60. ^ 上尾の寺社 10 橘神社(平方)”. 上尾市教育委員会 (2014年3月1日). 2020年6月11日閲覧。
  61. ^ 広報広聴課「上尾歴史散歩309 神社の動向 - 明治後期の神社合祀 -」『広報あげお 平成28年12月号』第993号、上尾市、2016年12月、35頁、2020年6月9日閲覧 
  62. ^ 平方・橘(たちばな)神社 - 八枝神社. 2020年6月11日閲覧。
  63. ^ 上尾の寺社 4 馬蹄寺(平方) - 上尾市. (2016年3月1日)、2016年7月28日閲覧。
  64. ^ 森朴斎碑と墓”. 上尾市教育委員会 (2010年11月24日). 2020年6月13日閲覧。
  65. ^ 正覚寺寺子屋遺跡”. 上尾市教育委員会 (2016年3月9日). 2020年6月13日閲覧。
  66. ^ 県指定等文化財 6 重要遺跡”. 2016年1月7日時点のオリジナルよりアーカイブ。
  67. ^ a b c d e f 指定緊急避難場所・指定避難所・福祉避難所”. 上尾市役所 (2022年2月14日). 2022年5月3日閲覧。
  68. ^ 『上尾市史 第七巻 通史編(下)』 613頁。
  69. ^ 上尾市立平方東小学校 - 上尾市(上尾市教育委員会)、2016年7月28日閲覧。
  70. ^ 平方野球場”. 上尾市教育委員会 (2020年4月1日). 2020年8月15日閲覧。
  71. ^ 三ツ又沼ビオトープ - 国土交通省 荒川上流河川事務所、2016年8月15日閲覧。





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