碑とは? わかりやすく解説

いし‐ぶみ【石文/碑】

読み方:いしぶみ

事績後世伝えるため、文字などを刻んで建てる石。石碑(せきひ)。碑(ひ)。

[補説] 書名別項。→碑


いしぶみ【碑】


えり‐いし〔ゑり‐〕【碑】

読み方:えりいし

《「彫(え)り石」の意》事跡などを示す文字彫り刻んだ石。石碑いしぶみ


ひ【碑】

読み方:ひ

常用漢字] [音](呉)(漢) [訓]いしぶみ

記念にするため文字刻んだ石。いしぶみ。「碑碣(ひけつ)・碑文碑銘歌碑・句碑建碑詩碑石碑墓碑記念碑

語り伝えるもの。「口碑


ひ【碑】

読み方:ひ

後世伝えるために先人事跡氏名などを石に刻んで建てたもの。いしぶみ。「—を建てる


作者中山義秀

収載図書近代歴史小説世界
出版社桜楓社
刊行年月1986.4

収載図書昭和文学全集 第13巻
出版社小学館
刊行年月1989.2

収載図書幕末 2 暗夜斬る
出版社講談社
刊行年月1992.11
シリーズ名歴史小説名作

収載図書新編 中山義秀自選歴史小説第1巻
出版社宝文館出版
刊行年月1996.12

収載図書新編 中山義秀自選歴史小説第1巻
出版社宝文館出版
刊行年月1996.12

収載図書土佐兵の勇敢な
出版社講談社
刊行年月1999.7
シリーズ名講談社文芸文庫

収載図書福島県文学全集 第1期(小説編) 第3巻(昭和編 1)
出版社郷土出版社
刊行年月2001.10


作者楢信子

収載図書星を奪う者たち
出版社未来社
刊行年月1987.8


作者綱淵謙錠

収載図書
出版社悠思社
刊行年月1991.10


作者細川友一

収載図書碑―短編小説集
出版社細川友一
刊行年月2006.6


読み方:イシブミ(ishibumi)

作者 中山義秀

初出 昭和14年

ジャンル 小説


石碑

( から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/12/23 22:29 UTC 版)

石碑(せきひ、英語: stele, stela, Stone monument)とは、人類が何らかの目的をもって銘文碑文ともいう)を刻んで建立した石の総称。「(いしぶみ)」ともいう。墓石としてなど他の目的を持たず、銘文を刻むこと自体を目的とするものをいう(ただし、英語の stele の場合は、木製のものや墓碑も含む場合がある)。なお、何かの記念として建てられたものを記念碑(きねんひ)、和歌短歌歌謡曲唱歌などの歌詞を刻んだものを歌碑(かひ)、俳句を刻んだものを句碑(くひ)、を刻んだものを詩碑(しひ)という。


  1. ^ a b c d 碑碣 日本大百科全書 小学館 Yahoo!百科事典
  2. ^ a b 碑碣 世界大百科事典第2版 平凡社 コトバンク
  3. ^ 石川九楊『説き語り中国書史』(初版)新潮社、2012年、44頁。ISBN 9784106037085 


「石碑」の続きの解説一覧

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/08/29 03:45 UTC 版)

北碑」の記事における「碑」の解説

北碑では顕彰碑記念碑のほか、墓碑として建てられたものが多く著名な碑の相当数がこれに該当する張猛龍碑 正光3年522年建碑魯郡現在の山東省南部)の太守であった張猛龍の顕彰碑高貞碑 正光4年523年建碑皇太子侍従となった夭折した高級貴族・高貞の墓碑

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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/09/08 08:47 UTC 版)

西岡八幡宮」の記事における「碑」の解説

開拓記念碑 1906年明治39年6月建立神社裏手月寒川から重さ1.5トンに及ぶ石を50人がかりで引き上げて台座にしたと言われるこの年には神社合祀勅令出されており、統廃合対象となった当社存続させるため、三吉神社兼務していた佐藤宮司が、政府の重要政策課題であった北海道開拓祭祀対象としたと伝えられる「至誠奉公」碑 1928年昭和3年建立昭和天皇御大典記念西岡開基七十年記念碑 1958年昭和33年建立西岡拓魂之碑 1988年昭和63年建立開基100年記念開拓記念碑 「至誠奉公」碑 西岡開基七十年記念碑 「拓魂」碑 「鎮座百年」碑

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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/10/09 04:48 UTC 版)

苗穂神社」の記事における「碑」の解説

岩田徳治翁顕彰碑 1982年昭和57年10月建立黒御影石製地域発展尽くした岩田建設創始者岩田徳治功績称えて建てられた。 戦勝紀念碑 日露戦争まつわる碑だが、上部欠損しており、また何の解説もない。

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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/06/27 08:52 UTC 版)

柳沢聴信」の記事における「碑」の解説

碑(えいかくひ) - 文化6年1809年)に、当時佐渡奉行であった聴信が真光寺現在の新潟県佐渡市真光寺存在した寺)の境内建立した埋めた石碑。現在も同寺の跡地建立され金北山神社里社の境内存在する。なお、瘞碑を含めた真光寺と金北山成就院が「金北山成就院真光寺跡」として佐渡市指定文化財記念物史跡となっている。

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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/01/08 18:39 UTC 版)

原田種夫」の記事における「碑」の解説

福岡市博多区中洲西大橋たもと)に文学碑建立されている。

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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/11 15:42 UTC 版)

西当別神社」の記事における「碑」の解説

西当別神社2代目宮司長谷部栄二郎は、虎杖子の号で知られる俳人である。 1965年昭和40年9月5日長谷部神官30年勤続記念として、境内句碑建てられた。 馬よゆこう 涼しきうちの 一仕事 — 長谷部虎杖子 長谷部虎杖子句碑 宮司長谷部栄二顕彰之碑

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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/04 13:40 UTC 版)

平和の滝」の記事における「碑」の解説

滝の入口の横には記念碑建立されている。 相沢良記念碑 1932年昭和7年)、女性平和運動家相沢良は、古谷製菓工場女性たち3回ほど滝近くハイキング行っており、これが後にこの地に記念碑立てられる契機となった韓国人殉難者之慰霊碑 1960年昭和35年6月25日建立北海道各地炭鉱強制労働させられ朝鮮人慰霊目的石材東北地方から運ばれといわれる当初藻南公園美香保公園建立する案もあったが、地元の強い反対に遭ったため、経王寺住職松井提案により、同寺の修行道場大平和寺のある当地紹介された。

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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/04/09 05:37 UTC 版)

篠路神社」の記事における「碑」の解説

平和顕彰碑 1947年昭和22年建立戦没者慰霊永久平和を祈願して。 元は忠魂碑だったが、太平洋戦争終結後GHQの命によっていった撤去され表面刻字削り取って改造の後に再建立された経緯がある。 裏側には副碑のように開拓功労者戦没者合祀芳名碑が建つ。 馬魂碑 1950年昭和25年5月篠路村馬産振興会が上篠路209番地建立1970年昭和45年)、境内移設篠路ペルシュロンの名を高めたアニー・ヴヰリュー・第3啓春・第2コーガル・バンクの5頭が祀られている。 北区歴史と文化の八十八選の「4.農村文化発祥の道〈太平篠路コース〉」に属する「74.篠路神社馬魂碑」として選定されている。 力士・小松山之碑 明治時代中期篠路村活躍した素人力士顕彰した碑。 北区歴史と文化の八十八選の「73.力士・小松山之碑」として選定されている。

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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/07/06 01:39 UTC 版)

芭蕉の辻」の記事における「碑」の解説

1935年昭和10年)に伊達政宗没後300年記念した藩祖伊達政宗三百年祭が行われ、正宗整備した城下町基点ともいうべきこの地に「芭蕉の辻」の碑が建てられた。前の内閣総理大臣で、三百年祭の名誉総裁であった斎藤実揮毫したものであったが、1945年昭和20年)の仙台空襲の後、行方不明となったその後北西角の明治安田生命仙台ビル前に1970年昭和45年竣工の「芭蕉の辻」の碑と「江戸六十九次」「日本橋九十三里」と刻まれ道標新設されている。

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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/10/09 03:46 UTC 版)

相沢良」の記事における「碑」の解説

札幌市西区琴似発寒川の流脈にある滝、平和の滝入り口の横には、相沢良顕彰碑建立されている。 また、青森県青森市浪岡道の駅の上にある花岡展望台前にも、相沢良顕彰碑がある。

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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/08/23 02:06 UTC 版)

厚田神社」の記事における「碑」の解説

豊漁紀念碑 1891年明治24年7月建立ニシン5万石という大豊漁を記念して撃剣道場 直心舘之碑 1977年昭和52年9月11日建立1892年明治25年)から1910年明治43年)まで厚田村にあった剣術道場記念して直心舘を開いたのは、直心影流剣術修めた牧田重勝。牧田元・白藩士で、西南戦争へ出征後、1881年明治14年)に新設され北海道集治監看守着任厚田訪れたのは1889年明治22年)のことである。 牧田厚田去った後、札幌苗穂にも直心舘を開き、また永倉新八交流するなどして、武道振興励んだという。

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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/24 08:11 UTC 版)

代々木公園」の記事における「碑」の解説

園内には、日本初飛行の地として「日本航空發始之地」の碑、1945年昭和20年8月25日元代木練兵場だった園内一角にて14人の大東塾生らが自刃した「大東塾十四烈士」の碑、メキシコ政府から東京都寄贈された「ケツァルコアトル」の像などがある。

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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/03 08:33 UTC 版)

手宮公園」の記事における「碑」の解説

尼港殉難追悼碑尼港事件ニコラエフスク居留日本人700余り赤軍中国軍によって惨殺され小樽からの定期便日本人居留民ニコラエフスク渡った縁から、公園内犠牲者納骨堂受難者追悼碑建立している。 尼港殉難碑 青木政徳之碑 物故船員慰霊碑 尼港事件殉難追悼碑 尼港殉難碑 青木政徳之碑 物故船員慰霊碑

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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/07 15:45 UTC 版)

吉田茂八」の記事における「碑」の解説

1981年昭和56年)、吉田茂八顕彰保存会によって南4条東4丁目の豊平橋園地北緯4303分23.1秒 東経14121分49.8秒 / 北緯43.056417度 東経141.363833度 / 43.056417; 141.363833)に「札幌開祖吉田茂八碑」が建てられた。

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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/23 10:00 UTC 版)

榎本公園」の記事における「碑」の解説

史跡 対雁番屋・駅逓 標柱 榎本公園一帯はかつて、豊平川石狩川へと合流する水運要衝であり、「津石狩ついしかり)」と呼ばれた江別発祥の地である。地名の表記はやがて「対雁」へと変わり番屋設けられた。 しかし鉄道敷設により、交通手段としての石狩川重要性薄れたため集落移転し、この地は寂れた。 また豊平川改修工事により流路変え残された旧水路が「世田豊平川」として公園の脇を流れるのみとなった榎本武揚像 石組み円柱の上設置された像で、榎本道産子思われる馬に騎乗している。 制作者佐藤忠良対雁百年碑 1871年明治4年)に宮城県からの入植者たちによって対雁開かれ以来100年経過したことを記念して1971年昭和46年)に建立された。 この碑の中には、かつてこの地に所在し対雁神社神体である自然石埋め込まれている。 なお、対雁神社の額は江別市郷土資料館保存されている。 史跡 対雁番屋・駅逓 標柱 榎本武揚像 対雁百年碑

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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/22 00:01 UTC 版)

隅田川神社」の記事における「碑」の解説

江戸後期戯作者山東京山筆の道標狂歌師鹿都部真顔歌碑がある。

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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/08/11 04:12 UTC 版)

二河公園」の記事における「碑」の解説

擇善館跡擇善館跡宮原一人医師銅像台座 長澤元太頌徳碑 御典 明治天皇御製戦死者供養塔 殉職者招魂戦死者忠魂碑 佐々木英夫翁頌徳碑 台座だけ残っているものは金属類回収令によって像が撤去されたため。沢原為綱銅像があったが台座のみ歴史の見える丘移設されている。

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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/09/25 09:28 UTC 版)

小田嶋十黄」の記事における「碑」の解説

1971年、「小田嶋十黄句画碑」が高尾山薬王院参道に建つ。 明易や院を護り杉木立 と刻んだ半分杉木立の画が刻されている。

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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2015/12/08 04:56 UTC 版)

新川皇大神社」の記事における「碑」の解説

北海道開拓農家にとって、馬は開墾のために必要な労働力あり、か家族同然存在であった。そのため道内には各地に馬を祭る碑が見られる当社境内にもそのひとつがあり、北区歴史と文化の八十八選のうち、「2.水辺開墾の道〈北・新川新琴似麻生コース〉」に属する「27.馬頭大神」として選定されている。

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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/02/15 13:30 UTC 版)

山口神社 (札幌市)」の記事における「碑」の解説

山口開基八十周年記念碑 1960年昭和35年11月3日建立軟石製。山口県玖珂郡今津村山口県岩国市今津町)からの移住者たちが開拓始めて80年経過したことを記念して建てられた。 山口開基百年記念碑 1979年昭和54年建立馬頭観世音 農耕馬軍馬慰霊のため建てられた。

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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/02/15 13:35 UTC 版)

花岡神社 (札幌市)」の記事における「碑」の解説

成墾紀念碑 1909年明治42年7月建立前年北大第4農場による成墾を記念したもの。 北大農場は簾舞開拓における中心的役割果たしており、碑建立には地域挙げて寄付集まった「記念」碑 1926年大正15年10月建立簾舞開基50年と、北大第4農場35周年記念して開基百年記念塔 1971年昭和46年9月15日建立題字揮毫町村金五子供たち自由に上がって碑に触れられるように、台座縦横約3メートル広く造られている。 成墾紀念碑 簾舞開基50年北大第4農場35周年「記念」碑 簾舞百年記念塔 空沢山の神」碑

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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/11/04 00:14 UTC 版)

新琴似神社」の記事における「碑」の解説

境内にはさまざまな理由建てられた碑が集中しており、それぞれ北区歴史と文化の八十八選のうち、「2.水辺開墾の道〈北・新川新琴似麻生コース〉」に選定されている。 なお、No.39は碑ではなく新琴似屯田兵中隊本部与えられている。詳細は同項を参照34.東繁造君学勲碑(ひがししげぞうくん がくくんひ) 人間と動物血液鑑別法を発展させた東繁造の業績称える碑。 35.新琴似兵村記念碑 1936年昭和11年)、屯田兵入植50年記念して建立36.新琴似の馬魂碑 農耕馬供養するための碑。1975年昭和50年)、当初所在地ある光明寺(新琴似7条1丁目)の前庭から移設された。 37.吹田晋平歌碑 文学者にして市議会議員であった吹田晋平業績称える碑。 38.新琴似「百年碑」 1986年昭和61年)、新琴似地区開基100年記念して建立40.新琴似「拓魂」碑 同じく開基100年に際して建立された、歴代農業協同組合長の業績称える碑。 41.新琴似「開村記念碑」 1892年明治25年)、入植5年目建立。 このほか、忠魂碑殉国英霊の碑もある。 東繁造君学勲碑 新琴似記念碑 新琴似馬魂碑 吹田晋平歌碑 新琴似百年碑」 新琴似「拓魂」碑 新琴似開村記念碑忠魂碑 殉国英霊の碑

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出典:『Wiktionary』 (2018/07/06 09:29 UTC 版)

発音(?)




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