SL復活運転のはじまり
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/14 13:57 UTC 版)
「国鉄C57形蒸気機関車1号機」の記事における「SL復活運転のはじまり」の解説
SLが国鉄線上から消えても、人々のSLへの熱意は冷めることなく、SL現役時代末期のころから、SL復活への運動が起こった。このため国鉄は、梅小路蒸気機関車館で動態保存されていた本機による記念臨時列車「京阪100年号」(客車は12系を使用)を京都 - 大阪間で運行した。この際、沿線は大変な騒ぎとなり、復路の運行中に人身事故を起こしてしまった(詳しくは京阪100年号事故を参照)。この事故のほか、梅小路蒸気機関車館で保存されているSLの定期検査を担当していた長野工場が、1976年(昭和51年)限りでSLの検査を打ち切ったこともあり、国鉄におけるSLの動態保存自体が危ぶまれるようになった。 1978年(昭和53年)1月5日の朝日新聞朝刊において、当時の高木文雄国鉄総裁が「蒸気機関車は産業革命の原動力となった人類の科学遺産。動く蒸気機関車を残すことは子供たちへの教育的な価値も大きい。1か所でもいいから営業線で列車を引かせたい。」と語った。のちに高木は大井川鉄道(現・大井川鐵道)を視察している。そして同年12月の国鉄本社役員会で、1979年(昭和54年)からSLの復活運転を行うことが決定された。 京阪100年号事故の反省や、その他様々な検討結果から、運転線区は都心部から遠く、沿線に有名観光地を抱え、かつ新幹線と接続している山口線となり、牽引機には本機が抜擢された。運行区間については、転車台を含めたSLの運行に必要な設備が残されていることから、小郡(現・新山口) - 津和野間に決定された。全般検査は、鷹取工場にSLの検査設備を復活させて行うこととなった。これが現在蒸気機関車牽引列車(SL列車)を代表する「SLやまぐち号」である。運行に当たっては労働組合からの要求により、煙突に集煙装置と、炭水車に重油タンクが搭載された。過去にC57形が装備したことのある鷹取工場製の集煙装置は図面が見つからなかったため、図面が残っていた長野工場製のD51形用集煙装置を改良して搭載した。また、集煙装置のシャッター開閉用動力には181系特急電車の廃車発生品であるドアエンジンを流用し、外観に響かないように、集煙装置本体右側面ケーシング内に設置している。集煙装置の搭載に際し、煙突の切り詰めが必要となったが、他の集煙装置搭載の姉妹機と異なり、切除量を最小限にとどめたため、高い位置に同装置が載ることとなった。その点がそれ以前との外観上の大きな違いである。近年は同装置を外した状態での運行が多く行われているが、その際は切り詰められた煙突長を補うためにスペーサーを介して回転式火の粉止めが装備されている。また、ナンバープレートが番号の下に形式を表示した戦前の様式のものに交換された。 2006年(平成18年)、「梅小路の蒸気機関車群と関連施設」として、準鉄道記念物に指定された。 2007年(平成19年)3月22日に、本機は竣工70周年を迎えた。同年度の「SLやまぐち号」運行はその前日となる3月21日に開始となり、同日には同年度の運行開始と本機竣工70周年を記念して、公募により選考された特別ヘッドマークを正面とデフレクター(除煙板)に掲げて運行された。この際、本機は4月28日から30日に1972年のお召し列車牽引時の姿を再現するかのように特別整備が実施された。菊の御紋や日章旗こそなかったものの、復活蒸機においてお召し仕様が再現されたのは、大井川鐵道のC11 190以外では初となる。さらに10月の運行日では、2006年(平成18年)のラストランに実現したのと同様、真っ黒なC57 1として原型仕様に加えて、除煙板のバイパス弁点検窓を塞ぐ配慮も施された。 2014年(平成26年)8月1日に「SL復活運転35周年」を迎えた。これを記念して、「SLやまぐち号」は35周年記念のヘッドマークを年中掲出し、8月23日の山口線全線復旧から同年の定期運行最終日の11月23日までの期間中、本機に同ヘッドマークが取り付けられた。 2017年(平成29年)5月18日、中華民国のCT273「仲夏宝島号」と姉妹列車協定を結ぶことが明らかとなる。
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