ジェートロン【JTRON】
読み方:じぇーとろん
《Java Technology on ITRON》オペレーティングシステムの技術仕様の一。代表的な組み込みOSであるITRONにJavaの実行環境を融合させたもの。
JTRON
JTRON
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/17 00:21 UTC 版)
「TRONプロジェクト」の記事における「JTRON」の解説
μITRONのタスクと Java仮想マシンのインタフェースを定めた規格。1997年12月に発表。 μITRONにJavaを導入することで、μITRONにおいてGUIやネットワーク機能などのリッチな機能を利用することが可能となる。また、ライブラリーが揃っており、ソフトウェアの移植性が高いJavaを利用することで、開発期間を削減し、開発コストを削減することができる。一方、リアルタイム制御やハードウェアの直接制御などと言ったJavaの不得手な部分はμITRONで行う。このように、μITRONとJavaで不得手な部分を互いに補完しあうことができる。 主な実装としては、アプリックス社の「JBlend」が挙げられる。もともと「JBlend」は、ITRONとJavaを融合するというアプリックス社の構想を元に、1997年4月に試作版、6月に正式版として発表されたOSだったが、これを受けて坂村がアプリックス社に指導を行い、トロン協会のITRON専門委員会に加盟している他の会社とともにJava対応ITRONの標準規格として策定し、1997年12月に発表したものがJTRON1.0仕様である。同時にJBlendも、JTRON仕様OS第1号として改めて発表された。また、JTRONの開発環境として、1998年にはJTRON仕様のパソコン用OS『JTRON/V』もパーソナルメディア社から発売された。 日本で2001年以降に普及した「Java対応携帯電話」においては、NTTドコモでは503iシリーズ以降において、J-フォンとauにおいては全ての製品でJBlendが採用されていた。アプリックス社は2004年に台湾iaSolution社を買収し、同社のJava環境「iaJET」をJBlendに統合。同年には台湾BenQ社の携帯電話に、台湾メーカーとしては初めてJBlendが採用され、JTRONはアジア地域にも進出した。2006年にはJBlendおよびiaJETを採用した製品の出荷台数が3億台を突破するなど、2000年代に販売された極めて多くのJava対応携帯電話で使われた。 しかし、ITRONなどのリアルタイムOSは、複数のアプリケーションを安定して動作させる機能が乏しいことや、ツールが整備されておらず、開発に特殊な知識とスキルが要求されるという問題点があった。そのため、1999年に日本のNTTドコモがiモードのサービスを開始して以降、各社の携帯電話プラットフォームにおいて多様で高機能なサービスが提供されるようになると、次第にソフトウェアの複雑化や開発規模の増大に対処できなくなった。1990年代から2000年代前半頃までの携帯電話は、非力なCPUの力を効率的に引き出すためにこのようなリアルタイムOSを利用する必要があったが、携帯電話プラットフォーマー各社は2000年代中盤以降のハイスペックな携帯電話への対応をにらんで、μITRONなどの「リアルタイムOS」に代わり、マルチスレッドやメモリ保護といったソフトウェア管理機能を標準でサポートしている「高機能OS」の利用を推進することになる。 例えばNTTドコモは、2004年に「MOAPプラットフォーム」を策定し、今後の3Gサービス(FOMA)向けの携帯電話の開発においてはTRONに代わり、Linuxをベースとする「MOAP(L)」か、もしくはSymbian OSベースの「MOAP(S)」のどちらかのプラットフォームを携帯電話メーカー各社に選択させることにした。例えばパナソニック製端末では、2005年2月発売のP901iで早くもMOAPに対応(この時にパナソニックの携帯電話向けOSをLinuxに一本化する決断をしたのが、1987年当時にBTRON1仕様開発の中心人物であった櫛木好明パナソニックモバイルコミュニケーションズ社長である)。2006年にはアプリックス社もNTTドコモとMOAPライセンスを締結し、MOAPプラットフォーム向けのミドルウェアをNTTドコモに提供することになった。さらに、2006年にはモトローラやNTTドコモなど世界各国の携帯電話プラットフォーマー6社により、携帯電話向け組み込みLinuxのAPIを共通化するためのLiMo Foundationが設立され、NTTドコモのMOAPプラットフォームもここに糾合され、2011年には携帯電話向け組み込みLinuxの有力馬と目されるTizenとして結実した(なお、Symbian OSとTizen OSはともにAndroidやiOSとのシェア争いに負け、2010年代中ごろに事実用消滅した)。 なお、JBlend環境はドコモのMOAPプラットフォームやTIのOMAPプラットフォームなどで動くLinux系OSやSymbian OSなどに移植され、2008年にはJBlendおよびiaJETを採用した製品の出荷台数が5億台を突破するなど、その後もしばらく使われたが、2007年にアプリックス社はGoogle社の求めに応じてオープン・ハンドセット・アライアンスの設立メンバーとして加盟。当時Google社が開発中であった次世代OSであるAndroidの開発に参加すると同時に、アプリックス社で開発中であったJBlendの後継システムは中止された。ITRONに出自を持つJavaプラットフォームとしてのJBlendは、2008年リリースの初代Androidにも「JBlend for Android」として移植され、例えばiモード用アプリがAndroid上で利用できるシステム「iαppli Publisher」など、ガラケーからスマホへの移行期に、ゲームなどガラケー用のJavaアプリをAndroidに移植する用途でしばらく使われた。
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