FBIによる逮捕
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2014/10/14 01:21 UTC 版)
「レナード・ペルティエ」の記事における「FBIによる逮捕」の解説
占拠解除後、ウィルソンとBIAは部族民へのテロ弾圧をますます強め、1972年から3年の間で100人以上のインディアンが殺された。サウスダコタ州のリチャード・ネイプ知事やビル・ジャンクロウ司法長官は「AIMは全員殺すべきだ」、「奴らを黙らせるには頭に銃を押しつけて引き金を引くのが一番だ」と公言してはばからず、ジャンクロウは実際にインディアンの少女を強姦し、殺している。だが連邦政府もBIAも、インディアンの死者になんの注意も払わなかった。 伝統派のオグララ族長老やOSCROは、BIAやグーンズによるテロに対する警備要請をAIMに要請し、AIMは防衛組織として、オグララ村のジャンピング・ブル牧場に、部族民のための警備野営地を開設した。これは「ジャンピング・ブル野営地」と名付けられ、デニス・バンクスやレナードらAIMメンバーが大勢、ティーピーの野営を張って日夜警戒を行っていた。FBIはこのジャンピング・ブル野営地を「AIMの本拠」と聞きこみ、「犯罪の温床である」と決めつけて襲撃の機会をうかがっていた。ことに「ウーンデッド・ニー裁判」で不正を暴かれたFBIのジャック・コーラー捜査官は、地域担当官として、同僚のロナルド・ウィリアムと二人で保留地の「OSCRO」を始めとするオグララ族への嫌がらせを執拗に繰り返していた。 1975年6月26日、「白人のパーティーで、カウボーイブーツを片方盗んだ」との容疑をかけられたジミー・イーグルという若いAIMインディアンの捜査名目で、ロナルド・ウィリアムとジャック・コーラー両FBI捜査官が、オグララ村のジャンピング・ブル野営地を襲った。200を数える人員が投入され、FBIやグーンズは、子供を含む老若男女が宿営しているこの集落を銃撃し襲いかかった。この襲撃で、警護に当たっていたAIMのジョー・スタンツ・キルズライト(当時18歳)と、FBIのロナルド・ウィリアム、ジャック・コーラーが銃撃戦となり、3人とも死んだ。インディアンの保留地とは、アメリカ連邦政府とインディアン部族とが連邦として条約協定を結び、権利保留された土地のことで、このため連邦の境界を超えた捜査としてFBIが介入しているのである。またこれは本来のインディアン保留地の条約協定に違反した行為である。 FBIはロバート・ロビデュー、ディノ・バトラー、レナード・ペルティエの三人のインディアンを、ウィリアムとコーラーのFBI捜査官殺害グループとし、レナードが指名手配された。ジョー・キルズライトがFBIに殺された件は、全く訴追案件に採り上げられなかった。対して「FBI捜査官殺害」の罪は、インディアン殺害よりも重要視され、FBIは体裁構わずレナードを殺害犯とする捜査を行った。ロビデューらはカンザス州で乗っていたワゴン車がエンストし、逮捕された。彼らの車から、コーラー捜査官の銃や、後に裁判で「殺害凶器」とされたライフルが押収された。 レナードは共に指名手配されたデニス・バンクスらと西へ向かった。行く先々で、保留地のインディアンや白人支援者が宿泊援助してくれた。ロサンゼルスでデニスの旧知のマーロン・ブランド宅を訪ねると、マーロン・ブランドは事情を聞いて、「食事代と燃料費」として1万ドルを渡してくれた。彼らはロサンゼルスで銃を購入し、パインリッジ保留地へ戻ってオグララ族に、対グーンズ用の武器として渡した。 同年9月5日早朝に、「レオナルド・クロウドッグがペルティエを匿っている」との嘘の密告を受けて、ヘリコプターまで動員したBIA、FBI、州警察ら185名余が、オグララ村から160km離れた場所にある伝統派の呪い師レオナルド・クロウドッグの家を急襲し、家族を暴行し、レオナルドの他、当時レナードと恋愛関係にあったAIMメンバーのアニー・マエ・アクアッシュを一時逮捕した。クロウドッグもアクアッシュもウーンデッド・ニー占拠に関わったメンバーであり、FBIらは彼らを違法逮捕してレナードの居場所を吐かせようとした。しかしこのとき、レナードはオレゴン州にいた。クロウドッグは約1年間の投獄ののち無罪釈放されたが、放火によって家を全焼させられている。 レナードとデニス、アニー・マエら5人のインディアンはマーロン・ブランドに貰った車でワシントン州へ向かい、ニスクォーリー族やピュラリップ族の保留地で歓待され、パインリッジ防衛戦のための武器弾薬の提供を受けた。 11月14日深夜、FBIによる警戒網の中、レナード一行を乗せた自動車が州警察官の制止を受けた。デニスの妻カムークとアニー・マエ、AIM男性二人が逮捕されたが、デニスは車で逃亡した。レナードは右肩を撃たれ負傷するが走って逃げた。このあとFBIがデニスが乗り捨てた車を一斉射撃し、爆破したため、FBIは後の裁判で申し立てた「違法な武器の運搬」を、自ら立証不可能にしてしまった。 レナードは11月19日、ピックアップトラックを盗んで逃走した。のちカナダのアルバータ州ヒントンへ逃げ、友人の小屋に匿われたが、まもなく逮捕され、1976年2月6日にカナダから連邦協定に違反して強制送還された。レナードは米国送還を拒否したが認められなかった。 AIM女性メンバーのマリー・クロウドッグ(レオナルド・クロウドッグの妻)は、「ペルティエに犯罪容疑があるわけではなく、彼がAIMの革新的指導者の一人だったために逮捕された。彼の存在は合衆国政府の頭痛の種だった。サウスダコタ州ではたとえイエス・キリストであろうとAIMであれば、ありとあらゆる罪状で有罪判決を受ける」と述べている。 「ウーンデッド・ニー占拠」に関わったとして連邦訴追を受けたAIMのデニス・バンクスとラッセル・ミーンズ、クライド・ベルコートらは、その後の裁判でFBIの違法捜査が次々と明るみに出て、完全無罪評決を受けている。「AIMに協力した」として逮捕されたレオナルド・クロウドッグは1年間の投獄の末、全世界から釈放嘆願署名を受けて釈放された。クロウドッグと一緒に逮捕されたミクマク族女性AIMのアニー・マエ・アクアッシュは「FBIの脅迫を受けている」と近しい者たちに漏らしていたが、その後、ワンブリー村の雑木林の雪の中で頭に銃弾を撃ち込まれた死体となって見つかった。FBIは「指紋を調べるため」という理由で彼女の両手首を切断してワシントンに送った。 1976年7月、アイオワ州の法廷で、ロビデューとバトラーの裁判が開かれ、FBIの不法捜査が明らかにされ、法廷は二人に無罪判決を出した。FBIは「ペルティエの裁判ではこのようなことは起こさせない」と宣言した。
※この「FBIによる逮捕」の解説は、「レナード・ペルティエ」の解説の一部です。
「FBIによる逮捕」を含む「レナード・ペルティエ」の記事については、「レナード・ペルティエ」の概要を参照ください。
- FBIによる逮捕のページへのリンク