FBIによる捜査
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「ジョージ・トロフィモフ」の記事における「FBIによる捜査」の解説
FBI捜査官ディミトリ・ドロージンスキ(Dmitri Droujinsky)は1997年7月10日からトロフィモフに接触し始め、話し合いの場を持てないかと持ちかけた。ロシア系アメリカ人だったドロージンスキは、潜伏中の工作員をあぶり出すためにKGBエージェントを演じるスパイ捜査作戦にも従事した経験があった。また、1998年にはKGBおよびシュタージ(東独国家保安省)のためにスパイ活動を行っていた陸軍准尉ジェームズ・ホール3世(英語版)から証言を引き出すことにも成功している。 ドロージンスキは「ロシア大使館付の対外情報庁(SVR)エージェント、イゴール・ガルキン(Igor Galkin)」という偽の身分でトロフィモフに接近した。彼はトロフィモフに対し、亡命した分析担当官がトロフィモフの個人ファイルの大部分を盗むか破壊するかしたのだと伝えた。そしてファイルを修復するために情報を提供してくれれば報酬を支払うと提案したのである。 トロフィモフは当初非常に懐疑的な態度を見せていたが、最終的にドロージンスキは信頼を勝ち取ることに成功した。1999年2月24日、トロフィモフはフロリダ州メルボルンのコンフォート・インにて「エージェント・ガルキン」と会談した。トロフィモフがKGBのための活動、そして自分の金銭的苦境を明かす一部始終はビデオテープで記録された。彼はこの中で自分の行いを正当化しようと次のように語った。 実はね、君。私はこう思っているんだ。私はロシア人だ、アメリカ人じゃない、と……アメリカ人であったことさえない。つまり、ただ……祖国への貢献だ……祖国の為にやったのだと、私は何度も言った。ボリシェヴィキの為でも、共産主義者の為でもなく。 会談の後、ドロージンスキはSVRからの支援を約束すること、ただしそれには時間が掛かることを伝えた。 2000年5月10日、5ヶ月間の沈黙を経て、ドロージンスキはトロフィモフに電話を掛けた。トロフィモフが「忘れられたのかと思った」と言うと、ドロージンスキは次のように話した。 いやいや。忘れてなんかいないさ、ジョージ。聴いてくれ、ジョージ、良いニュースがあるんだ……全て承認された……最後の手続きも完了した。それと、6月14日にタンパで会えるかい?……1週間前には電話するよ……正確な時間と場所を教えるために。 トロフィモフは深く感動した様子で、「ああ、イゴール。君は、ああ、命の恩人だ……頭を撃ち抜こうと考えていたんだ……すばらしい……本当にありがとう、さよなら」と応じた。 2000年6月24日、トロフィモフはタンパ国際空港ヒルトンホテルでFBIによりスパイとして逮捕された。彼がホテルを訪れたのは、「エージェント・ガルキン」から報酬$20,000を受け取るためだった。検事補のテリー・ファー(Terry Furr)は捜査を回想し、「ドロージンスキの仕事は見事だった。あの男は私が見た中で最高の覆面捜査官だ。彼のような男はいない……彼はベートーベンのような芸術家だよ」と語った。
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