FBIとの戦い
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/28 06:58 UTC 版)
「ジョン・ローレンス・シーゲンソーラー」の記事における「FBIとの戦い」の解説
1976年5月5日、シーゲンソーセラーはテネシアン紙の原稿管理編集者ジャック・スラウジを解雇した。約10年間にわたりスラウジがFBIへの情報提供者だったことが、上院中小企業・企業家委員会のエネルギー・環境委員会の前で原子力の安全性の調査について証言した後明るみに出たからである。カレン・シルクウッドの批判本を執筆していたスラウジは原子力批判に関する1,000ページにおよぶFBI資料を詳細に調べた。その後の証言で、FBIのロウレンス・J・オルソン・シニアは事務局がスラウジと「特別な関係」を持っていたことを知った。『テネシアン』の記者達はスラウジのクーデター疑惑は彼女の入社数ヶ月後から起きていたことに気付いた。これには深夜の違法賭博や地元企業の詐欺行為の取り締まりのようなものも含まれていた。その後FBIはシーゲンソーラーについての噂を聞き集めた。FBI副長官補のホーマー・ボイントンが、「(シーゲンソーラーは)完全に潔白というわけではない」から「彼を調査するよう」『ニューヨーク・タイムズ』紙編集者に指示したことを知ったシーゲンソーラーは、1年かけてFBIの持っている自分の調査ファイルを入手しようと奔走した。大幅に削除修正が加えられた調査ファイルをついに受け取ったシーゲンソーラーは、そこに「若い女性達との間に不道徳な関係を結んでいる疑惑あり。匿名の情報提供者からの情報」などと書かれているのを発見した。シーゲンソーラーは「FBIから提供されたものは何であれ公にする」と公言していたので、この時もこのファイルの内容を公表したが、疑惑については端的に否定した。後に司法長官はこれについて陳謝し、疑惑に関する記述はファイルから削除された。その「公表への勇気」を讃え、1976年度シドニー・ヒルマン賞 (Sidney Hillman Prize) はシーゲンソーラーに贈られた [3]。 1982年5月、シーゲンソーラーは『USAトゥディ』紙の論説主幹に任命された。この告知の際、ガーネット社の社長アル・ニュウハースはシーゲンソーラーに関して「アメリカで最も思慮深く、尊敬されている編集者の1人」と評した。『USAトゥディ』紙に就任中、彼は『テネシアン』紙と両立させるためナッシュビルとワシントンD.C.を頻繁に往復していた。 1983年の作家ピーター・マーズの著書『Marie: A True Story 』の出版により、元テネシー州知事レイ・ブラントンを巡る赦免スキャンダルの調査でシーゲンソーラーは再度監視されることとなった。マリー・ラジアンティはテネシー州仮釈放庁長を務めていたが、ブラントンの側近に賄賂を渡した受刑者の釈放を断ったため解雇された。『テネシアン』はブラントンを支持しており、当初不本意ながら調査を始め、この容疑には疑問が浮かんだ。編集者および記者達はラジアンティの主張する、ブラントンの主任顧問であるT・エドワード・シスクとの不倫の上の破局が彼女を駆り立てたのだと考えた。
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