6つの作家活動期
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「ロベルト・ロッセリーニ」の記事における「6つの作家活動期」の解説
ロベルト・ロッセリーニは、30年以上に及ぶ監督生活で30本以上の長編映画を撮った。そうした彼の作家活動を辿ってみると、何度かの転換期があったことに気づく。その転換期を1つの節目とすると、ロッセリーニの作家活動は6つの時期に分けることができる。 第1の時期は出世作『白い船』から『十字架の男』までの戦争国策映画の時期。『白い船』では海軍の病院船、『ギリシャからの帰還』では空軍パイロット、そして『十字架の男』では陸軍の従軍司祭というように、イタリアの陸・海・空軍の活躍を描いたこの3本はもう一つの「戦争三部作」でもある。戦時下の3作でロッセリーニは監督として早くも注目されるようになった。 第2の時期は『無防備都市』(1945年)から『殺人カメラ』(1948年)までのネオレアリズモ映画の時期。この時期は、ロッセリーニの作家活動で最も充実した時期でもある。この後の『ストロンボリ、神の土地』、『神の道化師、フランチェスコ』(1950年)は、便宜上、バーグマンの時代に分類するが、どちらかというと、ネオレアリズモの時期の延長線上にある作品と言える。 第3の時期は、イングリッド・バーグマンが主役を演じた『ストロンボリ、神の土地』(1950年)から『不安』(1954年)までのバーグマンの時代。この時期ロッセリーニは、これまでの戦争をテーマとした作品やカトリシズムへの傾倒が明白な作品から一転して離婚の危機、夫婦間の人間関係の断絶といった主題に目を向けている。この時期の作品は、公開当時はイタリアでも全く理解されないばかりか不人気で興行的にも失敗し、ロッセリーニはもはや映画を撮ることができないほど追いつめられた(だが、例えば『ヨーロッパ一九五一年』(1952年)、『イタリア旅行』(1953年)といった作品はロッセリーニの最良の作品として近年では高く評価されている)。 バーグマンと組んだ最後の作品『不安』の後4年間の沈黙を余儀なくされ、4年ぶりの公開映画『インディア』(1958年)が好意的に迎えられ、ロッセリーニの第4の時期が始まる。これは『インディア』からオムニバス映画『ロゴパグ』(1962年)まで。『ロベレ将軍』(1959年)、『ローマで夜だった』(1960)も国際的に高く評価された。この時期はロッセリーニの復活の時期でもある。そして「戦争3部作」にも通じる2本の戦争ものの後、ロッセリーニは、19世紀イタリアのリソルジメント時代を背景としたコスチューム映画『Viva l'Italia(イタリア万歳)』(1960年)『ヴァニナ・ヴァニニ』(1961年)で歴史映画に興味を向ける。 ロッセリーニ、ゴダール、パゾリーニ、グレゴレッティの頭文字からとった『ロゴパク』というオムニバス映画の後、ロッセリーニは、完全に劇映画の世界から離れる。そして、ロッセリーニ原案・脚本・監督の『L'età del ferro(鉄の時代)』(1964年)から『Cartesius(デカルト)』(1973年)までの10年間、ロッセリーニは専らテレビ放送用の歴史映画に情熱を傾ける。5番目の時期が、このテレビ映画の時期である。従来、この時期のロッセリーニは、映画の第一線から離脱したことで過小評価されてきたようだが『不安』の撮影後、ロッセリーニの助手だったフランソワ・トリュフォーは、10年も前にこの時期の監督ロッセリーニの行動を予見している。 「(ロッセリーニは)いわゆる読書のために書物のページを開くことは決してしないが、いつも資料調べや考証に余念がない。歴史や社会学の本や、科学書などを幾夜も夜を徹して読みふける。知識欲が旺盛で知ることの歓びに生き、もう劇映画を作ることなんかやめて、いよいよ、ますます<教育映画>や<文化映画>に挺身することを熱望しているのである。」(トリュフォー『わが人生わが映画』山田宏一・蓮實重彦訳) とすれば、テレビ用の歴史映画は当然の帰結であり、ロッセリーニの本質に根ざしたものですらある。 1974年、ロッセリーニは再度、劇映画に復帰する。戦後キリスト教民主党の党首として1945年から1953年までの長期間イタリア首相を務めた政治家アルチーデ・デ・ガスペリについての映画である。ロッセリーニの映画復帰作『元年』は戦後初の内閣を組閣したデ・ガスペリ首相のナチス占領下の1944年から1954年の死までの姿を描く。次いで翌年には聖書を題材としたキリスト教映画『救世主』を撮る。テレビ用の歴史映画から劇映画への10年ぶりの復帰をロッセリーニの新たな時期の始まりとすればこの2本の作品は、6番目の時期の作品とすることができるかも知れない。しかし、この最後の時期はロッセリーニの死によってピリオドが打たれる。 『救世主』のあと、ロッセリーニは『人間性のために生きる』と題されたカール・マルクスの思想と人生についての映画を準備していた。この他にも毛沢東やマルコ・ポーロ、百科全書派についての映画、あるいは『銀の道』と題された企画が、ロッセリーニの脳裏にあった。明らかにこれらはテレビ用歴史映画の延長上の企画であり。ここには、かつてのネオレアリズモの巨匠とは別の道を歩むロッセリーニの姿が見られる。
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