1972年度の調査
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「十六島ホタルエビ発生地」の記事における「1972年度の調査」の解説
1972年(昭和47年)の現状調査は同年8月16日から9月9日にかけ、天然記念物指定エリアにくわえ、与田浦・外浪逆浦、利根川本流右岸の佐原地区から津宮地区にかけてのテトラポット設置護岸、さらに茨城県潮来から霞ヶ浦南岸に沿って江戸崎町・美浦村・土浦市までの広範囲で調査が行われた。 今年度は各地の漁業協同や漁師から情報収集を行うのと同時に、漁業者の捕獲した淡水エビを購入してホタルエビの有無を確認すると共に、漁師を雇って夜間採集を行った。また、ホタルエビを発見した際、即座に発光バクテリアを培養できるように、培養用の器具や普通寒天培地を多数用意し採集調査時に携帯した。なお、前年同様にアンケート調査用官製はがきを用意し、目撃情報が期待できる佐原地区に300枚配布した。 これらの調査の結果、天然記念物指定エリアでは2年前の予備調査時と同様に水質汚濁が甚だしく、このエリアでのホタルエビ出現は、ほとんど不可能と考えられ、与田浦、外浪逆浦では前年の調査同様、ヌカエビそのものは多く捕獲され、ごくまれに光るエビを見るとの証言が再度得られたものの、与田浦、外浪逆浦とも小さな水路などと比較して水面積が大きく、水深もかなりあるため、なかなか人の目に触れる機会が少なく、調査時に発見・採集することは困難であることがわかった。また、霞ヶ浦方面の調査でも、1930年(昭和5年)頃に見たという人の証言はあったが、出現の確認には至らなかった。 また、8月17日には佐原市教育委員会会議室で、佐原市教育長、同市教育主事、香北土地改良事務所課長の3名にくわえ、佐原市在住の漁業従事者、遊覧船および川魚料理専門従事者4名を含む計7名を招いた座談会が行われた。その席上で参加者の漁師I氏より先月の7月に、横利根川の水門近くで多数のホタルエビの発生を目撃したとの証言があり、佐原市街地に近い利根川本流と小野川との水門付近に係留している「お座敷船浅見丸」の船底に、ホタルエビがいるのを数回にわたって目撃したとの証言が、同船の川魚料理人であるA氏とその息子から得られた。さらに漁師M氏からの情報として、佐原市街地の東側に隣接する津宮地区のK氏からの依頼で、津宮地区の利根川本流沿いのテトラポット設置地域で通称「ヅー」と呼ばれる竹製のエビの捕獲器(筌の一種)で採ったエビの中に、発光しているエビがいたことをK氏より知らされたという。これらはすべて座談会の前月7月のことであり、かつ有力な目撃情報であった。 翌18日の夜、M氏の船で津宮地区のテトラポット設置地域に向かい、仕掛けてある「ヅー」約200本を水中から上げてエビを採集したが、ホタルエビは発見できなかった。しかし、利根川本流と小規模な水門で繋がる津宮地区の根本川、および淵生水門付近は、水が澱み、水流はほとんどなく、天然指定エリアのかつての小川のような環境に極めて類似していると考えられ、1カ月前にホタルエビが採取されても不思議ではないと考えられた。 なお、今年度の葉書アンケートは300枚配布のうち、回答が得られたもの278通、そのうちホタルエビを見たというものが20通であった。ほとんどが前年同様1965年(昭和40年)以前の目撃情報で、以後の目撃情報はわずか2通であった。前年度のアンケート結果と合わせると1965年(昭和40年)以降の目撃回答は6通、それに合わせ前述した座談会での証言者を合わせると10名になる。前年度の目撃回答者4名を除くと次の6名である。 茨城県行方郡牛堀町永山在住I氏 目撃場所、与田浦 日時、1970年(昭和45年)8月 佐原市佐原砂山在住O氏 目撃場所、与田浦 日時、1971年(昭和46年)8月 佐原市附洲新田在住O氏 目撃場所、与田浦および外浪逆浦 日時、1972年(昭和47年)7月 佐原市舟戸在住A氏 目撃場所、利根川本流・小野川水門付近 日時、1972年(昭和47年)7月 佐原市津宮在住M氏 目撃場所、利根川本流・津宮地区テトラポット設置地域 日時、1972年(昭和47年)7月 佐原市津宮在住K氏 目撃場所、利根川本流・津宮地区テトラポット設置地域 日時、1972年(昭和47年)7月(採集) これらのことから判断すると状況は厳しいものの、この時点でホタルエビが利根川流域から完全に絶滅したと断定することは困難であった。 1965年(昭和40年)以降にホタルエビを目撃、または採集した人物は10名にもおよび、しかも目撃地点は佐原付近の与田浦、外浪逆浦、利根川本流の岸に近く水の澱んだ津宮地区のテトラポット設置地域、小野川河口の利根川に流入する場所に限られており、このことは利根川に含まれる微量の塩分と、水の澱んだ夏季に水温が高温となるという、ホタルエビの出現条件に一致している。ただし、国の天然記念物に指定された昭和初期当時のように、夏の暑い夜にいつでも多数見られるような場所は消滅してしまったと考えられた。 しかしながら、保護増殖事業関係者にとって、直近の3年間、特に直前の7月に複数の目撃者、採集者が現れたことは、条件さえ整えば再発生する可能性が高く、今後の保護増殖に希望を持つことのできる出来事であった。
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