1972年度の調査とは? わかりやすく解説

1972年度の調査

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/18 03:43 UTC 版)

十六島ホタルエビ発生地」の記事における「1972年度の調査」の解説

1972年昭和47年)の現状調査同年8月16日から9月9日にかけ、天然記念物指定エリアにくわえ、与田浦外浪逆浦利根川本流右岸佐原地区から津宮地区にかけてのテトラポット設置護岸、さらに茨城県潮来から霞ヶ浦南岸沿って江戸崎町美浦村土浦市までの広範囲調査が行われた。 今年度各地漁業協同漁師から情報収集を行うのと同時に漁業者捕獲した淡水エビ購入してホタルエビ有無確認すると共に漁師雇って夜間採集行ったまた、ホタルエビ発見した際、即座に発光バクテリア培養できるように、培養用の器具普通寒天培地多数用意し採集調査時に携帯した。なお、前年同様にアンケート調査官製はがき用意し目撃情報期待できる佐原地区300配布した。 これらの調査結果天然記念物指定エリアでは2年前の予備調査時と同様に水質汚濁甚だしく、このエリアでのホタルエビ出現は、ほとんど不可能と考えられ与田浦外浪逆浦では前年調査同様、ヌカエビそのもの多く捕獲されごくまれに光るエビを見るとの証言再度得られたものの、与田浦外浪逆浦とも小さな水路などと比較して水面積が大きく水深かなりあるため、なかなか人の目に触れる機会少なく調査時に発見採集することは困難であることがわかったまた、霞ヶ浦方面調査でも、1930年昭和5年)頃に見たという人の証言はあったが、出現確認には至らなかった。 また、8月17日には佐原市教育委員会会議室で、佐原市教育長、同市教育主事、香北土地改良事務所課長の3名にくわえ、佐原市在住漁業従事者遊覧船および川魚料理専門従事者4名を含む計7名を招いた座談会が行われた。その席上参加者漁師I氏より先月7月に、横利根川水門近く多数ホタルエビ発生目撃したとの証言があり、佐原市街地に近い利根川本流小野川との水門付近に係留している「お座敷浅見丸」の船底に、ホタルエビがいるのを数回わたって目撃したとの証言が、同船川魚料理人であるA氏とその息子から得られた。さらに漁師M氏からの情報として、佐原市街地の東側隣接する津宮地区K氏からの依頼で、津宮地区利根川本流沿いのテトラポット設置地域通称「ヅー」と呼ばれる竹製エビ捕獲器(筌の一種)で採ったエビ中に発光しているエビがいたことをK氏より知らされたという。これらはすべて座談会前月7月のことであり、か有力な目撃情報であった。 翌18日の夜、M氏の船で津宮地区テトラポット設置地域向かい仕掛けてある「ヅー」約200本を水中から上げてエビ採集したが、ホタルエビ発見できなかった。しかし、利根川本流小規模な水門で繋がる津宮地区根本川、および淵生水門付近は、澱み水流はほとんどなく、天然指定エリアのかつての小川のような環境極めて類似していると考えられ1カ月前にホタルエビ採取されても不思議ではないと考えられた。 なお、今年度葉書アンケート300配布のうち、回答得られたもの278通、そのうちホタルエビ見たというものが20であった。ほとんどが前年同様1965年昭和40年以前目撃情報で、以後目撃情報はわずか2通であった前年度アンケート結果合わせる1965年昭和40年以降の目撃回答は6通、それに合わせ前述した座談会での証言者を合わせる10名になる。前年度目撃回答者4名を除くと次の6名である。 茨城県行方郡牛堀町永山在住I氏 目撃場所、与田浦 日時1970年昭和45年8月 佐原市佐原砂山在住O氏 目撃場所、与田浦 日時1971年昭和46年8月 佐原市附洲新田在住O氏 目撃場所、与田浦および外浪逆浦 日時1972年昭和47年7月 佐原市舟戸在住A氏 目撃場所、利根川本流小野川水門付近 日時1972年昭和47年7月 佐原市津宮在住M氏 目撃場所、利根川本流津宮地区テトラポット設置地域 日時1972年昭和47年7月 佐原市津宮在住K氏 目撃場所、利根川本流津宮地区テトラポット設置地域 日時1972年昭和47年7月採集) これらのことから判断する状況厳しいものの、この時点ホタルエビ利根川流域から完全に絶滅した断定することは困難であった1965年昭和40年以降ホタルエビ目撃、または採集した人物10名にもおよび、しかも目撃地点佐原付近与田浦外浪逆浦利根川本流の岸に近く水の澱んだ津宮地区テトラポット設置地域小野川河口利根川流入する場所に限られており、このことは利根川含まれる微量塩分と、水の澱んだ夏季水温高温となるという、ホタルエビ出現条件一致している。ただし、国の天然記念物指定され昭和初期当時のように、夏の暑い夜にいつでも多数見られるような場所は消滅してしまったと考えられた。 しかしながら保護増殖事業関係者にとって、直近の3年間、特に直前7月複数目撃者採集者が現れたことは、条件さえ整え再発生す可能性高く今後保護増殖希望を持つことのできる出来事であった

※この「1972年度の調査」の解説は、「十六島ホタルエビ発生地」の解説の一部です。
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