韓国での論争
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1997年から韓国では閔妃肖像写真ついての論争が始まり、それに先立って1994年8月23日の朝鮮日報では閔妃を殺害したと推定される刃物と日本人の犯行自白が九州で発見され、1995年5月10日同紙ではロシア人の目撃記録が発見されたと報じられていた。1997年11月12日の朝鮮日報から写真論争が始まり、以降、この写真の服が皇后の服ではないこと、19世紀末ガードーナーの『朝鮮』では宮女の挿画が発見され、またフランスの資料(Villetard de Laguerie,La Coree,independante,Russe,ou Japonaise.1898)からこの写真の女は天主教信者ではないかなどと報じられた。 2001年7月7日付け東亜日報では、この写真真偽問題に関連して「当時“写真を撮らせると、魂が抜ける”と認識 カメラ忌避」と、当時の人間が写真を避けることが説明されるようになり、2004年8月12日付け朝鮮日報では「1909年馬山郵便局消印「閔妃」ハガキ発見」として、「日本人写真師・村上天真撮影の閔妃といわれる写真」とはまったく別の写真が提示された。 2006年にイギリス出身の写真収集家テリー・ベネットが7月25日の聯合ニュースのロサンゼルス発記事を通じて再び閔妃の写真論争を提起した。テリー・ベネットは興宣大院君や高宗が掲載されたアルバムを公開したが、その中の1人が閔妃だと主張した。ソウル大学国史学教授のイ・テジンは、アルバムの中の閔妃推定写真と興宣大院君の写真の背景が似ている点に注目し、「興宣大院君が座った席に座って写真を撮ることができる女性は、大院君と相応の身分でなければならないはず」とし、「私は閔妃だと思う」と主張した。それに対し明智大学の韓国服飾史の名誉教授であるチョ・ヒョスンは「写真の女性が着た衣装は皇后の服装ではない」とし、「閔妃ではない」と主張した。
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韓国での論争
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「Axis powers ヘタリア」の記事における「韓国での論争」の解説
ヘタリアに関する論争は2009年のアニメ化決定に始まる。それまで韓国語版は出版されておらず(2011年時点でも翻訳されていない)、日本での人気で注目されてはいたが、一部の人々が「国家を擬人化して戦争を描写することの危険性」を指摘していた程度だった。韓国のアニメ・漫画ファンがアニメ化情報を拡散する際に、日本の地上波で放送予定であるという誤情報が流れた(CS放送局キッズステーションとアニメイト上でのウェブ配信が予定されていた)。同作が扱う時代に見られる近代化と日韓併合と非常にセンシティブな問題であり、日本が帝国主義時代に韓国を統治していたこと、日本と韓国の関係もすべて解決済みとは言えない状況であったことから(参考:日朝関係史、韓国併合)、ヤオイ的な感覚を含む人間関係として国家間の歴史問題を描写するという同作は韓国人には受け入れがたく、「日本のアジア侵略を美化している」と批判が起こり、マンガ・アニメファン、同人界で特に反発が激しかった。また、韓国の擬人化キャラクターの特徴の一部が韓国イメージの歪曲だとして、猛烈な批判が起こった。ウェブで放送中止を求める運動が起こり、あるポータルサイトでは1万人以上の署名が集まったという。韓国社会で物議を醸し、さらに韓国国会でも取り上げられた。 アニメ制作サイドは、韓国のキャラクターはアニメに登場しないこと、配信はネットだけでテレビでは放送を行わないという方針を発表し、2009年の論争は沈静化した。放送中止は米国のアニメニュースサイト「ANIMENEWSNETWORK」などでも伝えられ、海外のファンの間でも話題になった。なおアニメは、日本では2010年7月にBS11でテレビ放送された(地上波ではない)。最初の論争鎮静後も韓国のマンガ・アニメファン、同人界には同作への強い批判があり、「韓国人なら『ヘタリア』を好きになってはならない」という強力なモラルになり、韓国人ファンやファンアートへのバッシングもあったが、2013年時点では反感は残っているがその勢いは失われている。
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