鎌倉から戦国時代まで
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/31 23:34 UTC 版)
「千葉県の歴史」の記事における「鎌倉から戦国時代まで」の解説
源頼朝 猪鼻城址-下総国 本佐倉城址-下総国 久留里城址-上総国 館山城址-安房国 千葉常胤 上総広常 この荒廃の中で台頭してきたのが、忠常の嫡流の子孫の千葉氏(上総氏も含む)である。千葉氏は下総国千葉荘を本拠とした豪族で、坂東八平氏・関東八屋形のひとつに数えられる名門氏族として総州で栄えたといわれている。千葉氏系の氏族としては、相馬氏 、武石氏、大須賀氏、国分氏 、東氏、葛西氏、椎名氏、臼井氏、原氏、遠藤氏、円城寺氏、高城氏などの諸流がよく知られている。このうち、相馬氏と遠藤氏、高城氏は明治維新まで存続する。 しかし、千葉氏も平安時代までは、俗に言う私営田領主(地方領主)で、国司が交代する度に荘園の認定を得なければならなかった。そのため、平氏政権の影響が地方にも及ぶ頃には、下総国司だった藤原親通によって官物未進(租税滞納)を理由に相馬御厨や立花荘(東荘)が没収されるなど、困難な状況に追い込まれていた。千葉氏は、これらの荘園の回復のため、長期間奔走するが、懸命の努力にもかかわらず、源義朝を経て、藤原親盛(親通の子)から譲り受けたと主張し、介入してきた常陸の佐竹義宗に奪われるなど、平家方の親通が土着する過程で、被害を受ける在地領主の一人にしか過ぎなかった。そのような困難な状況を打開する転機となったのが、平安時代末期の鎌倉幕府創設への貢献だった。 治承4年(1180年)、石橋山の戦いに破れ、安房国へと落ち延びた源頼朝を、千葉氏を始めとする総州の諸侯(安西氏、和田氏、葛西氏など)が支援したことによって、わずか1か月で関東武士の恭順と結束を固め、鎌倉幕府を築くための原動力となったことは著名である。この功績によって千葉氏当主だった千葉常胤は、鎌倉幕府の重臣となり、鎌倉時代から室町時代にかけて、総州の支配者としての確固たる地位を築くと共に、奥羽(後の奥州千葉氏)・九州(後の九州千葉氏)にも所領が与えられ、一族の一部が移住、勢力が拡大する。 一方の上総氏は、頼朝の政権獲得の過程で、当主広常が謀殺され、領地も没収されてしまったため、以後の歴史書や系図で不当に扱われてきたという経緯がある。 鎌倉時代前期には、千葉氏(上総の千葉常秀を除き)は、畠山氏や三浦氏のように北条氏とは争わず、千葉常胤の嫡男太郎胤正が千葉宗家(千葉介家)、次郎師常が下総国相馬郡、三男胤盛が武石郷、四郎胤信が大須賀保、五郎胤通が国分郷、六郎胤頼が東庄を本拠とし、世に千葉六党と称され最盛期を迎える。鎌倉時代中期の蒙古来襲の際には、千葉氏も九州に所領を持っていたことから、当主の頼胤、宗胤がそれぞれ、文永の役、弘安の役に参加している。 しかし、同時期から千葉介の継承を巡り、千葉胤貞と千葉貞胤の間で、内紛が起こるようになり、元弘3年/正慶2年(1333年)に鎌倉幕府を打倒すると、対立は表面化、それぞれ、足利尊氏と新田義貞双方に属し、延元元年:南朝/建武3年:北朝(1336年)に胤貞が没するまで争いが繰り広げられた。また、正平20年:南朝/貞治4年:北朝(1365年)の氏胤没前後からは、貞治・応安の総論の展開による下総での国内問題や千葉家の筆頭家老の座を巡る原氏と円城寺氏の争いなど、千葉宗家・千葉六党・家臣(同族)間の対立や内紛が後も絶えずに起こる。 この頃、房総では日蓮が日蓮宗を興した。 さらに室町時代になると、関東では、鎌倉公方と室町幕府との対立が激化、関東管領の上杉氏(藤原勧修寺家流)も加わった争いが相次ぎ、長い戦乱が続いた。現在の県域も巻き込まれ、荒廃した。この一連の戦いは、関東管領・鎌倉公方(古河公方)を始め、関東の諸氏の勢力を衰えさせた。千葉氏も例外ではなく、康正元年(1455年)の享徳の乱の際には、一族の重鎮である馬加康胤を擁した重臣原胤房によって千葉氏宗家が滅ぼされるなど、戦国時代には大きく勢力が衰退していた。この状況に乗じ、戦国時代になると小田原の北条氏が関東各地を次々と支配下に置き、台頭してきた。千葉氏は、北条氏に従属し、安房を本拠とする里見氏(詳細は国府台合戦を参照)や上杉氏(詳細は北条征伐を参照)との争いに巻き込まれていく。 上総国では、上総武田氏が台頭、古河公方の分家筋である足利義明を小弓公方として擁立し勢力の拡大を目指した。 安房国では、永享12年(1440年)の結城合戦に破れ、安房に上陸した里見義実が領主だった安西氏を追放し台頭する。里見氏は、戦国時代になると北条氏と房総の覇権を争うことになる(里見氏の結城合戦後の詳細は不明で諸説有)。
※この「鎌倉から戦国時代まで」の解説は、「千葉県の歴史」の解説の一部です。
「鎌倉から戦国時代まで」を含む「千葉県の歴史」の記事については、「千葉県の歴史」の概要を参照ください。
- 鎌倉から戦国時代までのページへのリンク