鎌倉での療養時代~俳句との出会い~
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「森田愛子」の記事における「鎌倉での療養時代~俳句との出会い~」の解説
1938年(昭和13年)神奈川県藤沢町(現・藤沢市)鵠沼に療養のため母とともに転居し、1939年(昭和14年)、神奈川県鎌倉市七里ケ浜の鈴木療養所に入所し、気胸療法を受ける。1940年(昭和15年) 1月、鈴木療養所にて高浜虚子門下の伊藤柏翠と出会う。レントゲン室前でシャツを脱ぐにの難渋していた柏翠を横から手伝ったのが愛子であった。柏翠は、森田愛子母娘を見たとき、ふと哀れを覚え、何か生きがいを与えられぬものかと考え、自分に生きがいを覚えさせた俳句を愛子にもすすめた。愛子は柏翠に弟子入りし、俳句を始める。愛子は、1940年(昭和15年)5月、「ホトトギス」5月号に初入選。8月、「玉藻」8月号に初入選する。1941年(昭和16年) 1月1日、柏翠とともに高浜虚子宅を訪問。同年2月、実朝忌句会に出席し、鎌倉俳句会の松本たかし、星野立子らと交流し次第に才能を発揮していった。俳句は次第に生きがいとなり、友人宛ての手紙でも俳句をすすめている。1941年(昭和16年)9月、戦時中の物資不足などの影響もあって、父森田三郎右衛門のすすめで三国町下真砂の家に帰る。
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