鈴木千秋とは? わかりやすく解説

鈴木千秋

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/04/01 23:46 UTC 版)

すずき ちあき
鈴木 千秋
プロフィール
出身地 東京府東京市文京区
(現・東京都文京区)
国籍 日本
生年月日 1925年
没年月日 2006年10月19日(81歳没)
職歴 ラジオ東京[注 1]アナウンサー
フリーアナウンサー
ナレーター
司会者
活動期間 1952年 - 2006年
担当番組・活動

鈴木 千秋(すずきちあき、1925年大正14年〉生 - 2006年平成18年〉10月19日)は元ラジオ東京(現:TBSアナウンサーナレーターラジオパーソナリティ[1]東京府1943年7月以後の東京都文京区出身。

略歴

(出典:本人による「東京放送社史」への加筆メモに基づく)

主な担当番組

ラジオ東京 時代

フリー転向後

テレビ

ラジオ

  • TBS「コロムビア アワー」 - パーソナリティ(売り出し中のジュディ・オングとコンビで進行)
  • FM東京「FMモーニングエコー」 - パーソナリティ(朝の帯生ワイド番組〈2時間枠〉)
  • 文化放送「おはよう 鈴木千秋です」 - パーソナリティ(朝の帯生番組〈1時間枠〉)

映画

CM

すべてナレーション

  • 赤福
  • エスビー食品
  • カルビー
    • 「ブラウンシュガー」(1989年) - 母が家出し[注 4]、父と娘(サオリ)の父子家庭となった父の奮闘をナレーションした。同CMには父が「そんなに甘くはありません」というなぞかけを語っている[注 5]
  • キッコーマン
    • 「万上本格焼酎SOLO」(1989年) - 発酵を宣伝するCMであった。
  • コナミ
    • 悪魔城ドラキュラ」(1986年) - ナレーションとドラキュラ 役(同ゲームの最終ボスとして登場。CMではドラキュラの笑い声を演じた)を兼任。
  • コニカ
    • 「KANPAI」(1990年) - 声に反応するコンパクトフィルムカメラ。同機能を搭載したカメラは世界初であった。なお、当CMはニュースキャスター役としてナレーションを務めた。
  • ピップフジモト
    • ピップエレキバン」(1987年、ピップ粒ふみプレゼント篇。1988年、ピッププチペンダントプレゼント篇) - 「粒ふみ」は商品に付属した企画品、「プチペンダント」は懸賞企画の商品であった。
  • 白子
    • 「お茶漬けサラサラ」(1988年) - ゴルフ篇。伊東四朗が出演し、当商品を食べたことがない同僚たちに怒りながらドライバーショットをフルスイングするCMであった。
  • ジョンソン
  • 竹本油脂
    • 「マルホン極上胡麻油」(1987年) - 胡麻の名の由来をナレーション。
  • 津村順天堂
    • 「ツムラ代謝用薬」(1983年) - 当商品の効用をナレーション。終盤に姉妹品(「ツムラ吐き気用薬」)のナレーションもしている。
  • 東レ
    • 「ポリエステルフィルム ルミラー」(1982年) - 積層フィルムコンデンサのナレーション。同コンデンサに東レの「ルミラー」が使われていることをナレーションした。
    • 炭素繊維 トレカ」(1982年 - 1983年) - 1982年は東京天文台(現・国立天文台野辺山宇宙電波観測所45mミリ波電波望遠鏡に東レの「トレカ」が使われていることをナレーションした。BGMは同年に放送した「ルミラー」と同じ。1983年はX線装置に東レの「トレカ」が使われていることをナレーションしたが、BGMは1982年に放送したものと異なる。
  • ボルボ・グループ
    • 企業広告(1985年、クラッシュセーフティーテスト「知る人のボルボ」篇) - ボルボに乗車した人の安全を守るために毎週2台ずつ新車を壊す実験(クラッシュセーフティーテスト)を続けていることを宣伝するCM。
  • 日本たばこ産業
  • 日本電信電話公社(電電公社)
  • 松下電器産業
  • 三菱石油
  • 御幸毛織
    • 「リクライン」(1987年) - 尾崎行雄が出演したCMである。当CMは河川敷の近くを歩く尾崎と河川敷でランニングをする少年野球の選手たちの交流を描いたものであるが、尾崎が少年野球の選手たちにあいさつを交わす前に鈴木が高校時代とプロ入り後の来歴をナレーションしている(この時に尾崎の現役時代の映像〈東映フライヤーズ時代〉が少し映る)。鈴木は「第二の青春ピッチング」として当商品(ストレッチ服地のスーツ)を「新しいユニフォーム」と解説した。
    • 「TOM GILBVEY」(1987年 - 1989年) - 1987年はトム・ギルビー英語版が出演し、日本の視聴者にあいさつをしている。1988年以降は商品解説のみ。
    • 「NAPOLENA」(1989年 - 1991年) - 御幸毛織の最高級服地。同社の公式サイトには「ミユキ・チャンピオンモヘア」と記されている[5]
ほか
備考

1980年代は東京放送(現・TBSテレビ)で放送する番組のCMナレーションを担当したこともあった。主な番組は以下のとおり。

  • 番組ガイド(1982年)
同年10月第1週に放送する各番組(月曜ロードショーエレファント・マン」〈同年10月4日放送〉、10月だョ!全員集合〈同年10月5日放送〉、第2回日本作曲大賞〈同年10月6日放送〉、ねらわれた学園〈同年10月7日放送[注 7]〉、3年B組金八先生スペシャル〈同年10月8日放送〉)を宣伝した。

上記のほか、ラジオCM・全日空機内BGM用番組・学校向け教育映画などでもナレーションを務めている。

受賞歴

著書

  • 平眠 ーわが母の願った「安楽死」ー[6](新潮社)
    • TBSテレビでもドキュメンタリーとして放送された。番組中では一部、本人自身が廻した16ミリも使われている。前後して、朝日新聞 朝刊紙面でも大きく取り上げられた。テーマが論争を生む性格のものであったので、主に批判を受ける形で活字メディアで俎上に上がった。なお、当該の母親(喜久世)は「安楽死協会 (現:日本尊厳死協会) 第1号会員」。TBS制作/著作権所有の当該番組をベースにした映像は、同社からVHS化され市販されていたもようである。

エピソード

  • 1970年代、六本木の旧防衛庁近くに、ベルウッドという名の「反戦喫茶」と称したバーを持っていて、今田勝日野皓正、石川昌ら、本邦ジャズ草創期のジャズマンも常連だった。
  • 同時期、ベルウッドコレクションとして小規模ながらも、オリジナルの彫金装飾品ラインナップも手掛けていた。TBS (番組内で紹介) や、つながりのあった「ヒデとロザンナ」からもPRに協力を得た。その過程で、ピースシンボル(当時も今も国際的な平和のシンボルマーク)を商標登録したことが、知名度があった事もあり紙上で批判を受けた。
  • (最初の)配偶者は同局社内関係者で、その第一子である息子障害者
  • 二人兄弟の兄は興銀出身で、系列の和光証券(後に同じ興銀系の新日本証券と合併し”新光””みずほ”)会長を務めた経済人
  • 本人の遺志に基づき、遺骨は死去の翌春5月、親族・友人数名が船上参列のもとで東京湾沖に散骨された。

脚注

注釈

  1. ^ a b 1951年5月にラジオ東京として会社設立。同年12月25日にラジオ放送局として開局。1953年12月よりKRTの略称を採用。1955年4月にテレビ本放送開始・ラテ兼営局となる。1960年11月29日に社名を東京放送・略称をTBSへ変更。以降、ラジオ局部門について「東京ラジオ」(1961年以降は「TBSラジオ」)と呼ばれるようになる。2001年10月にラジオ局部門がTBSラジオ&コミュニケーションズ(略称:TBS R&C)、2009年4月にテレビ局部門がTBSテレビへそれぞれ分離し、放送持株会社化(社名を東京放送ホールディングス・略称をTBSHDにそれぞれ変更)。TBSの略称はTBSテレビへ移行した。2016年4月にTBS R&CはTBSラジオへ社名変更。アナウンサーの配属先も、持株会社化を機にTBSテレビへ移行した(2004年10月のTBSテレビ発足時に東京放送在籍者が全て出向、2005年以降の新規採用者はすべてTBSテレビの在籍[7])。
  2. ^ 第2号は高橋敬三(NHK)、第3号は芥川隆行(ラジオ東京)。カッコ内はアナウンサーとして所属していた放送局の名称
  3. ^ 伊勢国にまつわることを紹介する30秒CM。「伊勢神宮 宇治橋」、「かまど」(赤福本店)、「猿田彦神社 七五三」、「天の岩戸」、「本居宣長旧宅」(松阪市)、「美杉村の春」(美杉村〈放送当時〉)、「津城址」(津市)、「石取祭」(桑名市)などが制作された。
  4. ^ 「家出してから3ヵ月」という設定(同商品の30秒CMより)。
  5. ^ 「母が家出した家庭の父と娘の関係」とかけて、「ブラウンシュガー」と解く。「その心は?」に関すること。鈴木も(当商品の)甘さを抑えたことをCMの終盤にアピールしている。
  6. ^ 「特ダネ」を探す内容のCM〈前述〉であったため、このダジャレがあった。
  7. ^ 同年に放送したテレビドラマ原田知世主演、初回放送日は1982年10月11日であるが、ドラマ作品はフジテレビが製作し、同系列で放送したため、TBSとは無関係である。

出典

  1. ^ 安田善彦 (初版) - 『人事興信録』データベース”. 日本研究のための歴史情報 『人事興信録』データベース. 名古屋大学大学院法学研究科. 2024年5月29日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年5月27日閲覧。
  2. ^ 公式 TBS Podcast: “【ラジオTOKYOリメイク】『奥さま午前10時です』”. YouTube (2023年12月13日). 2024年7月15日閲覧。 “(アーカイブ音声は1967年(昭和42年)6月1日放送分より。同日は「昭和41年度家計調査報告」(調査:総理府統計局(現:総務省統計局)を放送)”
  3. ^ 美をもとめて 壬生狂言”. 京都の歴史と文化 映像ライブラリー. 京都市文化観光資源保護財団 (1954年7月). 2023年3月10日閲覧。
  4. ^ 鈴木千秋 画像 (『これが世界だ』 の顔出し起用審査用VTRより抜粋)”. SONY α cafe. SONY. 2023年6月13日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年7月15日閲覧。
  5. ^ ナポレナ2020春夏”. 御幸毛織. 2022年10月3日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年9月7日閲覧。
  6. ^ 平眠 : わが母の願った「安楽死」 - Webcat Plus”. Webcat Plus. 国立情報学研究所. 2023年6月13日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年6月5日閲覧。
  7. ^ TBS社員7割子会社出向…安住、小倉アナも - ZAKZAK2005年1月21日付(インターネットアーカイブ同23日付保存キャッシュ)

関連項目


鈴木 千秋(すずき ちあき)

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宇宙刑事シャリバン」の記事における「鈴木 千秋(すずき ちあき)」の解説

鈴木家長女城東大学に通う女子大生母親がいない鈴木家母親存在大学ではテニス部所属演歌などの歌が得意で、プロ並み歌唱力を持つ。

※この「鈴木 千秋(すずき ちあき)」の解説は、「宇宙刑事シャリバン」の解説の一部です。
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