車両のデラックス化の推進と特急網の変化とは? わかりやすく解説

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車両のデラックス化の推進と特急網の変化

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/07 01:49 UTC 版)

近鉄特急史」の記事における「車両のデラックス化の推進と特急網の変化」の解説

1988年昭和63年3月18日アーバンライナー」こと、6両編成21000系電車営業運転開始した東海道新幹線開業乗客奪われ一時期2 - 3編成という侘しい編成であった名阪甲特急」だが、1970年代後半から国鉄相次ぐ値上げ行ったことにより、安さ求め乗客近鉄へ再びシフトし1985年昭和60年)頃には4 - 6編成を組む列車が当たり前のようになるなど、利用客大きく回復した1987年4月には国鉄分割民営化されてJRとなったことや、折から好景気もあり、近鉄では「名阪特急」にさらなる利用客増加リピーター獲得を図るべく、それまでとは根本から発想変えた新しい車両を投入するということ開発進めることとなり、その一環で「ビスタカーに取って代わって新し近鉄特急の顔となったアーバンライナー」が誕生した。またこの時、近鉄特急最高速度それまでの110km/hから120km/hへ引き上げられた(大手私鉄初)。その結果名阪間の所要時間10分ほど短縮され難波 - 名古屋間は最速2時間5分、鶴橋 - 名古屋間は最速1時間59分となり、名阪所要時間はついに2時間割り込むこととなった。なお、「阪伊乙特急」の一部布施駅停車開始する。また志摩線内の特急停車駅3駅のホーム延伸工事(2両分)が完成し、8両運転が開始された。 1989年平成元年5月18日 ダイヤ修正により「吉野特急」が吉野口駅停車開始1990年平成2年3月15日 すべての名阪甲特急」が、21000系電車置き換えられる同時に「名伊甲特急」1往復にも21000系運用開始するまた、吉野特急」に新車である「さくらライナー」こと26000系電車投入開始された。「名阪甲特急」の一部大和八木駅津駅に、「阪伊乙特急」の一部桔梗が丘駅に、「吉野特急」全列車飛鳥駅壺阪山駅停車開始1992年平成4年3月19日 近鉄難波駅 - 京都駅間運転の「阪京特急」を「京奈特急」・「阪奈特急」に分割統合して廃止22000系電車投入1993年平成5年9月21日 志摩線改良工事複線化曲線緩和完成伊勢神宮式年遷宮控え一部の「阪伊乙特急」・「名伊乙特急」を賢島駅延長1994年平成6年3月15日4月近鉄志摩線沿線開発したリゾートテーマパーク、「志摩スペイン村」の開園前にして、それへのアクセス一環として看板列車である「伊勢志摩ライナー」こと23000系電車同月、「阪伊甲特急」・「名伊甲特急」で運転を開始した合わせて白紙ダイヤ変更実施され、、昼間時間帯難波駅鳥羽方面行の特急全廃され、大阪市内から鳥羽方面行き特急はすべて上本町駅始発とされた上に、阪伊甲特急始発駅上本町駅変更された。この時、大阪線山田線鳥羽線志摩線一部区間で130km/h運転が開始されている(大手私鉄初。かつ、2010年7月16日までは大手私鉄最高速度であった)。賢島駅発着列車拡大し甲特急大半通過していた志摩磯部駅当時志摩スペイン村最寄駅2007年より鵜方駅変更)は全特急が停車することとなった。23000系電車は「デラックスカー」・「サロンカー」といった豪華設備備えた車両であり、130km/hでの運転を可能とした。 12月31日 志摩スペイン村大晦日から元旦終夜営業機に大晦日越年終夜運転時の特急賢島駅まで延長それまで早朝一部鳥羽発着除き宇治山田行、五十鈴川発だった。 1996年平成8年3月 16400系電車が「吉野特急」で運用開始1996年 - 2000年平成8年 - 12年30000系電車・「ビスタカー」のリニューアル工事が行われ、それが行われた編成は「ビスタEX」と呼ばれるようになったEXは「エックス」と読む)。 1997年平成9年3月18日 湯の山温泉名古屋行の「湯の山特急」を廃止1998年平成10年3月17日 近鉄難波駅 - 湯の山温泉駅直通の「湯の山特急」を廃止以後湯の山線内の運転となる。 1999年平成11年3月16日 南大阪線尺土駅吉野線福神駅六田駅が「吉野特急」の停車駅昇格同時に南大阪線吉野線特急料金均一料金500円)になる。京都線高の原駅京都駅21時発以降下り特急停車平日昼間の「阪奈特急」を廃止早朝 - 朝ラッシュ時夕方 - 深夜のみの運行変更される同時に駅務合理化のため、特急券回収方法変更し、駅に用意され特急券回収箱に乗客側で投入するか、あるいは改札口駅務員直接回収する方式一部列車では車内改札時に特急券車掌回収。なお、この回収回収方法変更以前より一部列車実施済)に変更。これにより一部の駅を除いて特急実施していたドアカット廃止

※この「車両のデラックス化の推進と特急網の変化」の解説は、「近鉄特急史」の解説の一部です。
「車両のデラックス化の推進と特急網の変化」を含む「近鉄特急史」の記事については、「近鉄特急史」の概要を参照ください。

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