車両のデラックス化の推進と特急網の変化
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「近鉄特急史」の記事における「車両のデラックス化の推進と特急網の変化」の解説
1988年(昭和63年)3月18日 「アーバンライナー」こと、6両編成の21000系電車が営業運転を開始した。東海道新幹線開業で乗客を奪われ、一時期は2 - 3両編成という侘しい編成であった「名阪甲特急」だが、1970年代後半から国鉄が相次ぐ値上げを行ったことにより、安さを求める乗客が近鉄へ再びシフトし、1985年(昭和60年)頃には4 - 6両編成を組む列車が当たり前のようになるなど、利用客は大きく回復した。1987年4月には国鉄が分割民営化されてJRとなったことや、折からの好景気もあり、近鉄では「名阪特急」にさらなる利用客の増加・リピーター獲得を図るべく、それまでとは根本から発想を変えた新しい車両を投入するということで開発を進めることとなり、その一環で「ビスタカー」に取って代わって新しい近鉄特急の顔となった「アーバンライナー」が誕生した。またこの時、近鉄特急の最高速度がそれまでの110km/hから120km/hへ引き上げられた(大手私鉄初)。その結果名阪間の所要時間は10分ほど短縮され、難波 - 名古屋間は最速2時間5分、鶴橋 - 名古屋間は最速1時間59分となり、名阪の所要時間はついに2時間を割り込むこととなった。なお、「阪伊乙特急」の一部が布施駅に停車を開始する。また志摩線内の特急停車駅3駅のホームの延伸工事(2両分)が完成し、8両運転が開始された。 1989年(平成元年)5月18日 ダイヤ修正により「吉野特急」が吉野口駅に停車を開始。 1990年(平成2年)3月15日 すべての「名阪甲特急」が、21000系電車に置き換えられる。同時に「名伊甲特急」1往復にも21000系が運用を開始する。また、「吉野特急」に新車である「さくらライナー」こと26000系電車が投入開始された。「名阪甲特急」の一部が大和八木駅・津駅に、「阪伊乙特急」の一部が桔梗が丘駅に、「吉野特急」全列車が飛鳥駅・壺阪山駅に停車を開始。 1992年(平成4年)3月19日 近鉄難波駅 - 京都駅間運転の「阪京特急」を「京奈特急」・「阪奈特急」に分割統合して廃止。22000系電車投入。 1993年(平成5年)9月21日 志摩線の改良工事(複線化・曲線緩和)完成と伊勢神宮式年遷宮を控え、一部の「阪伊乙特急」・「名伊乙特急」を賢島駅へ延長。 1994年(平成6年)3月15日 翌4月の近鉄が志摩線沿線に開発したリゾートテーマパーク、「志摩スペイン村」の開園を前にして、それへのアクセスの一環としての看板列車である「伊勢志摩ライナー」こと23000系電車が同月、「阪伊甲特急」・「名伊甲特急」で運転を開始した。合わせて白紙ダイヤ変更が実施され、、昼間時間帯の難波駅発鳥羽方面行の特急が全廃され、大阪市内から鳥羽方面行き特急はすべて上本町駅始発とされた上に、阪伊甲特急の始発駅が上本町駅に変更された。この時、大阪線・山田線・鳥羽線・志摩線の一部区間で130km/h運転が開始されている(大手私鉄初。かつ、2010年7月16日までは大手私鉄最高速度であった)。賢島駅発着列車を拡大し、甲特急の大半が通過していた志摩磯部駅(当時の志摩スペイン村最寄駅。2007年より鵜方駅に変更)は全特急が停車することとなった。23000系電車は「デラックスカー」・「サロンカー」といった豪華設備を備えた車両であり、130km/hでの運転を可能とした。 12月31日 志摩スペイン村の大晦日から元旦の終夜営業を機に、大晦日の越年終夜運転時の特急を賢島駅まで延長。それまでは早朝一部の鳥羽発着を除き宇治山田行、五十鈴川発だった。 1996年(平成8年)3月 16400系電車が「吉野特急」で運用開始。 1996年 - 2000年(平成8年 - 12年) 30000系電車・「ビスタカー」のリニューアル工事が行われ、それが行われた編成は「ビスタEX」と呼ばれるようになった(EXは「エックス」と読む)。 1997年(平成9年)3月18日 湯の山温泉発名古屋行の「湯の山特急」を廃止。 1998年(平成10年)3月17日 近鉄難波駅 - 湯の山温泉駅間直通の「湯の山特急」を廃止。以後湯の山線内の運転となる。 1999年(平成11年)3月16日 南大阪線尺土駅、吉野線福神駅・六田駅が「吉野特急」の停車駅に昇格。同時に南大阪線・吉野線の特急料金が均一料金(500円)になる。京都線高の原駅に京都駅21時発以降の下り特急が停車。平日昼間の「阪奈特急」を廃止、早朝 - 朝ラッシュ時と夕方 - 深夜のみの運行に変更される。同時に駅務合理化のため、特急券回収方法を変更し、駅に用意された特急券回収箱に乗客側で投入するか、あるいは改札口の駅務員が直接回収する方式(一部列車では車内改札時に特急券を車掌が回収。なお、この回収は回収方法変更以前より一部列車で実施済)に変更。これにより一部の駅を除いて特急で実施していたドアカットを廃止。
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