英雄時代までの経過とは? わかりやすく解説

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英雄時代までの経過

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/12 14:39 UTC 版)

南極探検の英雄時代」の記事における「英雄時代までの経過」の解説

南極探検注目されたり、また忘れられたりしていた。南極探検の英雄時代というこの特殊な時代は、南極探検集中行われたことでは最初のことではなかった。一般に大航海時代15世紀半ばから17世紀半ば)と呼ばれる時代の後に、イギリス探検家ジェームズ・クック1728年-1779年)が世界の南に航海した数少ない探検家一人となったその2回目航海1772年-1775年)での発見世界地図恒久的に変えることになった。その遠征の前、「テラ・オーストラリス」という大きな大陸南半球大半占めていると信じられていた。しかし、クックそのような巨大な陸の塊は存在せず巨大な氷盤南極への接近阻んでいることを見つけた。その氷の量からその氷が発する陸の塊があるに違いないという仮説立てたその後世界南部探検大きく停滞したままとなった。 しかし、1819年から1843年再度注目された。ヨーロッパ革命戦争騒擾時代の後に落ち着くと、ベリングスハウゼンジョン・ビスコー、ジョン・バレニー、チャールズ・ウィルクスジュール・デュモン・デュルヴィルジェイムズ・クラーク・ロスといった探検家南極地域知識求めて航海した。これら探検家主要な目標南極大陸隠している氷の壁を貫くことであり、ベリングスハウゼン南極大陸周航し、デュルヴィルは初めて岩のある陸地発見しウィルクスヴィクトリアランド発見した。そこには現在テラー山エレバス山呼ばれる火山があった。これら探検家達は、南極探検大きな貢献果たしたものの、大陸内部まで入って行くことはできず、むしろ南極海岸線にそって発見され陸地点々と描くことになった。 この南極興味持たれ時代に続くものは、歴史家H・Rミルが「興味を逸らされた時代」と呼ぶ時代である。1841年1月ジェイムズ・クラーク・ロスエレバス号とテラー号で南を探検した後、科学的に新たな発見無かったこと、すなわちさらに南に探検する価値がある問題」が無かったと言っていた。このロス影響と、北極海フランクリン遠征隊が消息を絶ったこと(1845年)とで、特に王立協会において極地対す関心薄れた考えられている。イギリスその後シャクルトンスコットによってなされる多く極地探検監督する組織設立した。しかし、ロス帰還してからの20年間、南極探検世界的に静止状態が生まれた南極探検の英雄時代最初推進力になったのは、ぼんやりした国際的動きだったので幾らか論議呼んでいる。やはり南極探検家であるハンブルクのジョージ・フォン・ノイマイアーが、メルボルン天文台働きながら1861年には南極探検再開させるために動いた。ノイマイアーが特に興味持ったのは気象学重要性であり、南極に関する情報多ければ正確な気象予報繋がりやすいと考えたからだった。これがドイツ南極研究関わるようになった動機である。これとは別に、特にイギリスでは1893年11月27日ロンドン王立地理学会ジョン・マレー博士が「南極探検再開」と題する講義行い、より英雄時代に繋がる動機となったマレー南極研究が「その時点で南に課されている地理的に傑出した疑問解決する」ために組織的に行われるべきと提案した。さらに王立地理学会がこれに先立つ1887年南極委員会設立しており、多く捕鯨業者に世界南半球探検するよう奨励し、それがマレー講義下地になった1895年8月ロンドン開催され第6回国際地理会議で、世界中科学学会が「どのようなやり方であっても最も効率的であると見なされる方法で」南極探検促進することを奨励する一般決議行ったそのような動きは「科学のほとんどあらゆる分野新たなものをもたらす」はずだった。アメリカ連邦議会にはノルウェー人カルステン・ボルクグレヴィンクからアプローチがあった。ボルクグレヴィンクは捕鯨遠征から戻ったばかりであり、その航海中に南極大陸初め足を踏み入れていた。ケープアデアを本拠にして大規模に南極遠征誘導する計画説明した。 しかし、英雄時代1897年ベルギー地理学会によって起こされ遠征隊が始めた。ボルクグレヴィンクが1年後個人的に出資受けた遠征続いた。「英雄時代」という表現後の時代のものである。この言葉初期の探検証言備忘録のどれにも使われておらず、1920年代1930年代出され極地探検人物の伝記でも使われてはいなかった。この言葉何時最初に使われかあるい一般に採用されたかは明らかでない1956年3月イギリス探検家ダンカン・カースが「タイムズ」に書いた記事に、この言葉使われていた。1916年サウスジョージア初め渡航したときの表現であり、「南極探検の英雄時代の3人が、その間50フィートロープ大工の手斧」と記していた。

※この「英雄時代までの経過」の解説は、「南極探検の英雄時代」の解説の一部です。
「英雄時代までの経過」を含む「南極探検の英雄時代」の記事については、「南極探検の英雄時代」の概要を参照ください。

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