矛盾の露呈、そして破綻とは? わかりやすく解説

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矛盾の露呈、そして破綻

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/21 07:53 UTC 版)

アウストラル計画」の記事における「矛盾の露呈、そして破綻」の解説

凍結公布後も緩やかな物価上昇残り結果的に勤労者実質賃金計画開始からの半年間で2割以上減少した1986年1月には目減りした賃金補填求めていた労働組合からの要求一部受け入れる形で、5%の賃上げ政府によって認可されるが、引き上げ幅を巡って当初アウストラル計画協力的だった労働組合政府対立表面化する物価凍結1986年4月一部緩和され生活必需品公共料金対す価格統制継続する一方で値上げ行為条件付き容認する第二段階」への移行当初の予定より約2ヶ月早く宣言された(同時に対米ドル公定レートを「US$1=₳0.83」に改定)。 しかし、ほぼ同時期(1985年前後)に、悪性インフレからの脱却期して自由主義的な経済への刷新及び赤字財政との決別断行したイスラエルボリビア異なり、元々十分な裏打ち伴っていなかったこの政策徐々に行き詰る隣国ブラジルにおける1986年の「クルザード計画」が結果的に頓挫したのも、アルゼンチン同様の矛盾内包していたからとされる)。経済活動停滞し消費物資欠乏深刻化した。中間層没落困窮に伴う「富の二極化」が表面化したのもこの頃である。 公定レートが「US$1=₳0.8」で固定されていた期間は、概ね₳0.85 - ₳0.95の間で小幅上下続けていた「メルカード・ネグロ」(非公認個人間取引)での対米ドル実勢レートも、凍結令が失効した1986年7月以降毎月10 - 20%のペースアウストラル安が進んだ為、半年程度アウストラル対外的な価値半減した1986年7月前年の同じ月(凍結公布翌月)との対比でようやく30%台(年率、以下同)を割ったアルゼンチンインフレも、1986年下半期以降想定超えるペースでの物価上昇発生した事が響き1月から12月までの積算では80%以上(1980年当時とほぼ同水準)となり、年初政府経済省が掲げていた目標(年30%以下)は未達成のまま、1987年迎え事となる。 アウストラル計画第一段階固定相場期)において、アウストラル建ての金融商品米ドル建ての類似商品比べ極端な高利回り特徴預貯金など)で多数顧客獲得したイグアス銀行」などいくつかの地方銀行経営1987年破綻しているが、投資家被った莫大な損失公的に補填される事は一切無かった物価査察官による権限私物化罰則恣意的な適用)、販売業者との癒着値上げ行為黙認する見返りとして金品要求)が社会問題化し、これを嫌気した正規ルート通さない実勢価格による売買行為半ば公然と行われるようになった為、経済二重化進行した与党政策への不満が高まる中、1987年9月実施され議会選挙及び統一地方選挙では野党正義党大勝。これを支持する労働総同盟CGT)を始めとする労働組合主導ゼネラル・ストライキ全国頻発し経済疲弊極めた為替レート人為的に高く設定され続けた事もアルゼンチン輸出競争力を著しく低下させた。輸入代金支払い莫大な対外債務弁済必要な外貨調達が困難となる中、それに追い打ちをかけるように1986年から翌年にかけて同国外貨収入源である農産物国際価格値下がりし外貨事情は更に逼迫した。 後の再デノミ1992年1月)で導入される兌換ペソ」と異なりアウストラルには対外的な交換性が完全に付与されておらず、不動産取引輸入物資、高級消費財海外渡航用の航空券などをアウストラル貨で直接的に購入する事はほぼ不可能で外貨(主に米ドル)を用意する必要があった。なお、外貨不足を理由外貨購入際し公定レート実際に適用される事例はほとんど無かった為、多く場合、これらの外貨自国民にとっては極めて不利なメルカード・ネグロで調達されていた。 1987年10月中間選挙与党惨敗した直後)には、実態経済から大きく乖離する形で抑えられていた生活必需品価格公共料金大幅値上げ同年12月末まで(3ヶ月間)の凍結発令された。特に値上がり幅が大きかったのは貧困対策一環としてほぼ1985年当時水準統制されていた「ブルーボンネット米」(インディカ米亜種)で、1kg当たりの小売価格が₳0.4から3倍超の₳1.5引き上げられている。 しかし、2度目凍結令が解除された翌1988年1月以降インフレ再燃はより鮮明なものとなり、「プリマベーラ計画」(「第二次アウストラル計画」)と称する緊急経済政策8月)がまとめられたものの、確たる成果得られるまま頓挫した累積債務問題暗礁に乗り上げ国際的な孤立が深まる中、1989年2月外為市場アウストラル急落ハイパーインフレ時代( - 1990)に突入する経済混乱極める中、生活困窮に伴う栄養失調者が急増公的な貧困対策一切機能しなくなった為、貧困当事者による炊き出し隊、所謂人民の鍋」の結成全国相次いだ)し、商店での暴徒化した市民による略奪行為続発1989年5月には国家非常事態宣言事実上戒厳令)が発令された。同月14日実施され大統領選挙では正義党出身カルロス・メネム候補当選急進党政権陥落確定)。1989年7月、アルフォンシン大統領同年12月任期満了待たずに職を辞した為、正義党への政権移譲当初の予定より5ヶ月前倒しされた。

※この「矛盾の露呈、そして破綻」の解説は、「アウストラル計画」の解説の一部です。
「矛盾の露呈、そして破綻」を含む「アウストラル計画」の記事については、「アウストラル計画」の概要を参照ください。

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