男尊女卑・教育
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/05 19:39 UTC 版)
漢江沿いの村々には私塾があり、生徒は文人階級の子弟に限られ、学習するのは漢文のみで、 これはあらゆる朝鮮人の野心の的である官職への足がかりとなっていた。ハングルは軽蔑されて使用されていなかった。 イザベラは朝鮮人を外国語をたちまち習得してしまい、清国人や日本人より流暢にまたずっと優秀なアクセントで話すと呑み込みが早く、その理解の速さと明敏さがあると高評価した一方、猜疑心・狡猾さ・不誠実さがあり、男同士の信頼はないと述べている。朝鮮半島にいる朝鮮人に蔓延している狭量、マンネリズム、慢心、尊大、 手仕事を蔑視する誤ったプライド、 寛容な公共心や社会的信頼を破壊する自己中心の個人主義、2000年前からの慣習と伝統に隷属した思考と行動、知識に関する視野の狭さ、浅薄な倫理観、女性蔑視と言ったものは朝鮮の教育制度の産物 と結論づけている。 7歳で男女別々になり、女子は厳しく奥にこもらされて結婚前は父親と兄弟以外、また結婚後は実家と嫁ぎ先の親族以外、男性とは全く会えなくなる。婚期を逃した朝鮮の未婚女性は、尼寺に追いやられてしまう。 7歳の時から父親の家の内庭で外界とは一切の接触なしに育った朝鮮女性は、17歳頃義父の家に移され、完全に家から出ない。出生時から息子の方が家での格が上であり、先祖の祭祀を中心とする男子単系血族集団である宗教の称号であった「姓」にも入れてもらえず、息子が結婚して嫁の手助けを得るまでは一人で朝から夜遅くまで働き、身なりに気をまわすことなどできなかった。女性の中では、出産した女性のみが許される胸を出した格好(乳出しチョゴリ)こそ一人前扱いされた。実家の両親から出生してすぐに授かった名前は結婚後には使われなくなり、花嫁は「○○の奥さん」や「○○のお母さん」としか呼ばれなくなる。 夫は妻をヨボと呼ぶが、これは朝鮮語で「こちらを見よ」という意味であり、夫に対する妻の明確な男尊女卑の上下関係を示唆している。沈黙は妻の務めの第一と考えられていて、 結婚式の日は特に花嫁は終日彫像のごとく無言でいなければならないと決まっていた。義実家で反抗した非貴族階層の女の場合、厳しく打ちすえられて命令に従わされた。 朝鮮の非貴族女性について、「粗野で礼儀を知らず、日本の同じ階層の女性のしとやかさや清国の農婦の節度や親切心からはおよそ程遠い 」として、着ている白い服は茶色く汚れていて、夜遅くまで休みなく洗濯するのは自分たちでも、綺麗な服を着るのは男の専売特許と考えているみたいだとしている。名誉殺人があり、故意と偶然に関わらず、よその男と手が触れ合っただけでも、娘は父親、妻は夫に殺され、更には自害する女性すらいた。女性で教育を受けることが出来るのは妓生(キーセン)のみであった。大事な賓客をもてなす伎生は客と同じレベルの話題についていけるように、国の運営する養成学校で歌舞などとあわせて教育を受けた。伎生を除く女向けの教育機関はなく、上流階級の女性は文字が読めるものの、読み書きのできる朝鮮女性は1000にひとりと記している。朝鮮の女性は白丁という最下層の人が外で働くことがあっても、ほとんどの夫人は家の奥に押し込められていて、住んでる街並さえも見たことがない人が多いと述べている。朝鮮人には家はあっても家庭はないとし、夫婦は別個に暮らし、社交や家の外の関心事と言った共通の絆が夫婦にない。 夫の遊興の仲間や相手は、同性の友人知人や伎生、その夫婦関係はある朝鮮人紳士が私に語った「結婚するのは妻、惚れているのは妾」という簡潔な言葉に要約されると結論づけている。
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