歴代の党首
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代姓名肖像在任期間在任中の出来事備考就任退任1孫文(国民党理事長) 1912年8月25日 1914年7月8日 1孫文(中華革命党総理) 1914年7月8日 1919年10月10日 1孫文(永久総理) 1919年10月10日 1925年3月12日(死亡) 2張静江(中央執行委員會常務委員會主席) 1926年5月19日 1926年7月6日 3蔣介石 1926年7月6日 1927年3月11日 4胡漢民 1935年12月7日 1936年5月12日(死亡) 5蔣介石(永久総裁) 1938年4月1日 1975年4月5日(死亡) 6蔣経国(中央委員會主席) 1975年4月28日 1988年1月13日(死亡) 十大建設 を推進。1987年7月14日、戒厳令を解除し、政党結成を自由化。 浙江省 生まれ。国防部長、行政院長(首相)を経て、1978年総統。 7李登輝 1988年1月27日 2000年3月24日 1991年、動員戡乱時期臨時条款を廃止、国家統一綱領策定。1996年、初の総統直接選挙を実施。同年、台湾海峡危機。1999年、二国論(両国論)を提唱。 1971年入党。台北市長、台湾省主席、副総統を経て、1988年総統。2000年総統選敗北の責任をとって辞任後、台湾団結連盟結成。2001年、党籍剥奪。 8連戦 2000年3月24日 2005年8月19日 2001年3月の党主席選挙で初の党員直接選挙を実施。同年12月に訪日(党主席の訪日は初)。2005年4月、北京で胡錦涛共産党総書記と60年ぶりの国共トップ会談。 蔣経国政権で 交通部長、行政院副院長(副首相)、李登輝政権で外交部長、行政院長(首相)。1996年副総統。2000年総統選、2004年総統選にいずれも惨敗。2005年から党名誉主席。 9馬英九 2005年8月19日 2007年2月13日 党政治綱領を改訂し、「九二共識」の受入れ、「一国二制度」の反対を盛込む。2006年3月、党本部ビルを売却。同年4月、両岸経済貿易文化フォーラム発足。同年8月、党資産の情報公開。 蔣経国総統の英語通訳、李登輝政権では台北市長、法務部長。2008年から総統。2012年に総統再選。 10呉伯雄 2007年4月11日 2009年10月17日 2008年5月、台湾の与党党首として初めて中国を訪問し、胡錦濤 中国共産党総書記と初会談。2008年12月に訪日。 李登輝政権で内政部長、台北市長、総統府秘書長など歴任。2009年から党名誉主席。 11馬英九 2009年10月17日 2014年12月3日 2010年6月、中国との間で両岸経済協力枠組協議(ECFA)を締結。2012年に総統再選。2013年に主席再選。2014年11月の統一地方選挙大敗に伴い引責辞任。 第9代を参照。 12朱立倫 2015年1月17日 2016年1月16日 前任の馬英九主席辞任に伴い、2015年1月に実施された主席選挙で当選。 2001年から2期に渡り桃園県長を務める。2008年11月から党副主席。2009年9月、行政院副秘書長。2010年10月、新北市長に当選。2014年11月、新北市長に再選。2016年1月16日に総選挙大敗の責任を取り辞任し、新北市長の職務に戻った。 代理黄敏恵 2016年1月18日 2016年3月26日 朱立倫主席辞任に伴い、主席代理就任 13洪秀柱 2016年3月28日 2017年8月20日 朱立倫の後任を決める主席選挙で黄敏恵らを退けて当選 14呉敦義 2017年8月20日 2020年1月15日 前副総統。洪秀柱の後任を決める主席選挙で洪秀柱らを退けて当選。2020年1月15日に総統選挙大敗の責任を取り辞任。 15江啓臣 2020年3月9日 2021年10月5日 2021年9月25日投開票の主席選(中国語版)で元主席の朱立倫に破れた。 16朱立倫 2021年10月5日 現職 孫文学校校長の張亜中や現職の江啓臣らを破り返り咲いた。 元主席。党内では穏健派とされる。
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