主席選挙
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/30 06:21 UTC 版)
詳細は「2006年民主進歩党主席補選」および「2008年民主進歩党主席選挙」を参照 著名な薬理学者である李鎮源の支持があったという事実にもかかわらず、1996年の民進党主席選挙に敗れた。しかし2005年に当時民進党主席であった蘇貞昌の辞職が蔡の再出馬の決定に繋がった。立候補し、党で最初の公認候補となった。 蔡は3人の公認の候補者のうちの一人となった。副総統の呂秀蓮と外交部長の陳唐山の支持を受けた。2006年1月の主席選挙で36%の得票率であった蔡に対し、元総統府秘書長の游錫堃が54%の票を獲得し当選した。 2008年の総統選挙での謝長廷の敗北後、民進党の候補者であった謝は党主席を辞職し、主席選を行うことを公告した。4月14日に蔡は出馬を宣言した。 2006年に民進党は内部の全派閥の活動を禁止する決議を通過していたものの、他派閥に所属していた党員の反対がまだ存在し、総統選で民進党を敗北に導いた原因の一人だと思われていた。蔡は辜寛敏とともに蔡英文がかつての派閥の協力や党の支持基盤の拡大に集中している間、党の独立に関する方針を固めることの重要性を強調した。 台南市長の許添財の支持を得られたものの、5月に出馬を辞退し別の候補者である辜寛敏を支持することを決定した。しかし辞退するには遅く、5%の支持を得ることとなった。
※この「主席選挙」の解説は、「蔡同栄」の解説の一部です。
「主席選挙」を含む「蔡同栄」の記事については、「蔡同栄」の概要を参照ください。
- 主席選挙のページへのリンク