枢軸軍の敗退とは? わかりやすく解説

枢軸軍の敗退

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/05 02:33 UTC 版)

ベニート・ムッソリーニ」の記事における「枢軸軍の敗退」の解説

トーチ作戦」および「チュニジア戦線英語版)」も参照 スターリングラードでの致命的敗北枢軸国敗戦意識され出来事であったが、その数カ月前に北アフリカ戦線でもエジプト前面再進出していた独伊軍激戦の末、第一次エル・アラメインの戦い第二次エル・アラメインの戦い英語版)で英軍敗北したことも追い打ち掛けた日本枢軸国参戦によって連合国陣営アメリカ加わったことも大きくトーチ作戦米軍欧州戦線介入してチュニジアヴィシーフランス軍を降伏追い込みチュニジア米軍エジプト英軍挟撃された独伊軍窮地に立たされた。枢軸軍戦線急速に縮小しナチス・ドイツ従属してきたムッソリーニ戦争計画疑問持たれ1942年後半頃から休戦向けた計画始まったヒトラームッソリーニ示し合わせて南仏への独伊進駐実施しイタリア側はコルシカ島プロヴァンス地方占領したアントン作戦)。開戦直後からムッソリーニヒトラー南仏沿岸部チュニジア戦争非協力的ヴィシー政府から割譲させ、フランス地中海艦隊残存艦隊も独伊が接収することを提案していた。提案ヴィシー政権自発的参戦期待していたヒトラー反対されたが、同じ期待抱いていたスペイン同じくヴィシーフランス最後まで枢軸国側参戦せず、ヒトラー期待は全く無意味だったアントン作戦連合軍欧州本土橋頭堡を築くのを阻止したが、もはや地中海戦線手遅れだった。 他にアフリカへ補給線確保すべくマルタ島占領再三提案していたが、ロンメル意見されたヒトラーは独伊空軍による爆撃留め編成されていたイタリア陸軍空挺師団北アフリカ投入された。ムッソリーニは「ヒトラー地中海重要性を全く理解していない」と対ソ戦に執着するヒトラーへの不満を口している。体調崩したロンメルドイツ本国帰還したことから作戦指揮東部戦線から転任したジョヴァンニ・メッセ陸軍大将(後に元帥昇格)と、ロンメル後任となった独軍ハンス=ユルゲン・フォン・アルニム上級大将引き継いだメッセアルニムはマレス・ライン(英語版)やエル・ゲタの戦い英語版)などで抵抗見せたが、補給途絶し制海権制空権握られた状態では如何とも難くチュニス陥落後の休戦交渉経て1943年5月地中海戦線連合国勝利終結した国内経済資源の枯渇連合軍の戦略爆撃によって壊滅的な打撃を蒙り、殆どの工場操業停止状態に陥っている。二大工都市であるミラノトリノでは空襲の危険から労働者自主避難相次いだ労働運動コーポラティズムによる労使協調政府統制から外れて反政府的な姿勢示し始めた1943年3月には18年ぶりに大規模なゼネスト全国展開され、トリノ・ミラノ・ジェノヴァの三角工業地帯では150名ものストライキ参加者発生した農業生産力も低下して深刻な食糧難発生するなど戦時アウタルキー自給自足経済)の瓦解前にして、ヴェネツィア広場でのムッソリーニ参戦演説に大歓声挙げた国民の間には厭戦感情広がり国営放送ではなくヴァチカン市国放送局(ヴァチカン・ラジオ(英語版))や連合軍宣伝放送(ロンドン・ラジオ(英語版))を傍受する家庭増加した

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