枢軸軍の作戦
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/30 17:50 UTC 版)
この時点で、枢軸軍は次に何をなすべきか議論していたが、チュニジアはすでに占領しており、イギリス第8軍がマレス(Mareth)に到着するまでは特にすることがなかったからであった。結局、ロンメルはタバッサ(Tébessa)に存在したアメリカ第II軍団を排除するためにカセリーヌ峠を攻撃することを決定した。この方法を用いて、ロンメルはアルジェリアのアメリカ補給基地を奪取、軍需品を手に入れ、またイギリス第1軍の南面を脅かすことにより、マレスとチュニスを繋げる沿岸部の道路に存在する連合軍を取り除こうとした。2月18日、ロンメルはアルベルト・ケッセルリンクに作戦を提案、そしてケッセルリンクはローマの司令部(Comando Supremo)にロンメルを送り届けた。 2月19日、13時半、ロンメルは修正された上で承認された計画を司令部より受け取った。そこには第5装甲軍の第10装甲師団、第21装甲師団がカセリーヌ峠、シビバ峠を攻撃、その後、北に抜けてターラ(Thala)、ル・ケフ(Le Kef)へ移動することになっており、アトラス山脈西側の連合軍を排除、イギリス第1軍の側面を脅かすこととされており、ロンメルは愕然とすることとなった。この計画ではロンメルの戦力を分散して峠を攻撃することにより、側面を露出することになっていた。それに対して、タバッサへの集中攻撃は若干の危険性をともなってはいたが、必要とされた軍需品を得て、チュニジア中部への連合軍の進撃を阻止できるようになり、そしてテバッサ西のヨウクス=レス=ベインズ(Youks-les-Bains)でドイツ空軍へ飛行場を与えることができるようになるはずであった。
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