枢軸国軍の状況
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/07 01:04 UTC 版)
北アフリカ戦線での活躍がヒトラーに評価され、1941年7月1日付けでロンメルは装甲兵大将となった。 独断の多かったロンメルの指揮に対し、その戦闘結果からようやく信頼関係が醸成されてきたイタリア北アフリカ派遣軍総司令官のイータロ・ガリボルディ大将が7月12日にエットーレ・バスティコ大将に交替させられた。新任のバスティコがロンメルの独断的な指揮に対し苦情を述べたため、立腹したロンメルは本国へ行き、7月31日にヒトラーに面会し状況を説明したものの、ヒトラーがイタリア側との対立を避けたかったため、はかばかしい返事は得られずムッソリーニと相談するよう指示された。 8月6日、ローマでロンメルはムッソリーニ、イタリア軍参謀総長ウーゴ・カヴァッレーロ元帥と会談し、当時の補給状況からトブルク包囲の維持は難しいため、トブルク西方で防御陣地を築く方がいいとするイタリア側に対し、補給物資の備蓄さえ充足すればトブルクの攻略は可能であると主張して、最終的にはイタリア側の了解を取り付けた。 8月15日付けでアフリカ装甲集団が創設され、ロンメルは正式にドイツ軍とイタリア軍を一体的に運用できるようになった。
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