枢軸国軍のエジプト国境への攻撃
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/07 01:04 UTC 版)
「クルセーダー作戦」の記事における「枢軸国軍のエジプト国境への攻撃」の解説
24日、クリューヴェルからの前日の戦果報告を受け、ロンメルは敵の背後に浸透して攻勢に転じ、イギリス第13軍団が同第30軍団の残った兵力と合流する前に殲滅し、さらにハバタ及びマッダレーナ砦の司令部及び兵站基地を破壊、兵站線を遮断し、それによって敵に攻勢を諦めさせる方針を取ることにした。ドイツ第15及び第21装甲師団を、ガブル・サレーを起点にしてエジプト領へ侵攻させ、イギリス第13軍団を包囲殲滅することとした。しかし、ロンメルの作戦主任参謀ジークフリート・ヴェストファール (de:Siegfried Westphal) 中佐はイギリス軍がビル・エル・ゴビ付近で態勢を立て直しているとの報告を受けていたためこれに反対したが、ロンメルは受け付けなかった。この攻撃態勢のため、トブルク南面の兵力はアフリカ砲兵隊指揮官ベトヒャー少将が指揮を執るわずかな非自動車化部隊となってしまった。 ハルファヤ峠を包囲しているイギリス軍を東から遮断するため、第21装甲師団はロンメルの直接の指揮の下、エジプト国境のガスル・エル・アビド (Gasr el Abid) から侵攻した。また、第15装甲師団はシディ・オマール攻撃の命令を受けた。しかし、シディ・オマールのインド第4歩兵師団は直前に増強されていて、これに第15装甲師団は当たることとなってしまった。このため、同師団に付せられた第5戦車連隊は多大な損害を出すこととなった。ロンメルはさらに第21装甲師団に対し北方へ向かい、ソルームのニュージーランド第2師団への攻撃を命令した。 その後、第15装甲師団へ向かったロンメルの指揮車が故障し、そこへ道に迷い通りかかったクリューヴェルの指揮車に同乗したものの、アフリカ装甲集団司令部には容易にたどりつけなかった。
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