枢軸国寄りの「中立」とは? わかりやすく解説

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枢軸国寄りの「中立」

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/29 20:18 UTC 版)

フランシスコ・フランコ」の記事における「枢軸国寄りの「中立」」の解説

第二次世界大戦下のスペイン」も参照 内戦終結直前1939年3月27日フランコ日独伊防共協定加入し同年5月には国際連盟から脱退した一方9月第二次世界大戦勃発すると、フランコ国家内戦により荒廃したために国力参戦に耐えられない判断して中立宣言した。しかし緒戦におけるドイツ勝利優勢見て1940年6月10日イタリア参戦直後中立放棄非交戦宣言した。これによって枢軸国側近づき情報提供、独伊艦船への補給などで便宜図った非交戦宣言より数日後には国際管理都市であったタンジェ侵攻11月これをスペイン領モロッコ一部として併合した並行してフランコは対英戦参戦準備行いイギリス降伏直前一週間スペイン参戦することで、講和戦後理会議における発言権確保しようと思考した。同時に独英休戦仲介をすることで、ジブラルタル北アフリカ領土要求ドイツ認めさせようとしたのだが、アドルフ・ヒトラー反応冷淡だったドイツフランス全土占領し連合軍ヨーロッパ大陸から追い出され直後1940年10月ヒトラーアンダイエ会談し、その蜜月関係世界中対し誇示したヒトラースペインの領土要求対し仏領北アフリカ大幅割譲できないしながら、対英戦後英国植民地処理で代償与えられるので領土調整は可能と述べたフランコはこの時ヒトラー要求した英領ジブラルタル攻略作戦フェリックス作戦)のための地上ルート提供や、独伊鋼鉄同盟参加将来的日独伊三国同盟への参加約束し条件として軍事・経済の「莫大な戦略物資」を要求しつつ、参戦意思宣誓した。しかし、バトル・オブ・ブリテン地中海戦線、特にギリシャ戦線でのイギリス有利な状況と、経済的な英米との依存関係フランコ参戦意欲減退させ、翌年に彼はこの合意無効とし、その後参戦要求のらりくらりとかわし続けた一方でヒトラーバルバロッサ作戦発動すると、国中熱狂的なファシスト1万人近く集めて青師団創設しドイツ国防軍義勇部隊として東部戦線送り込んでいる(国内には、ドイツ・イタリア共感する参戦推進派も存在し、それはフランコから見れば中立政策国内安定危うくしかねない不穏分子とも言えた。その為、両国好感を得、かつそうした反動分子一掃する方法として、青の師団創設派遣一石二鳥であった)。さらに内戦経緯もあって、ソ連仇敵見なす国内世論これまでの自身言動無視できない面や内戦期におけるドイツ援助への返礼意味合いもあった。 1941年12月真珠湾攻撃に際して日本祝電送りアメリカ不興買った一方で旧植民地権益存在したフィリピン日本軍侵攻すると、同地に残る利権扱い巡り両国間で軋轢生まれた

※この「枢軸国寄りの「中立」」の解説は、「フランシスコ・フランコ」の解説の一部です。
「枢軸国寄りの「中立」」を含む「フランシスコ・フランコ」の記事については、「フランシスコ・フランコ」の概要を参照ください。

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