枢軸国の戦略物資
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/10/30 15:02 UTC 版)
1941年、ドイツはソ連に侵攻した。独ソ戦の開始である。この結果、東南アジアから戦略物資を輸送してきた陸路は使われなくなった。また、北大西洋におけるイギリス海軍の哨戒をかいくぐり得た枢軸国の船は少数に留まった。日本はドイツとの軍事技術交換に関心を示し、日本海軍の潜水艦、「伊30」は1942年夏に1,500kgの雲母および660kgのシェラックをロリアンへ届け、潜水航行による戦略物資輸送の嚆矢となった。 広大な太平洋での運用を意図して設計された日本の潜水艦は、ヨーロッパの沿岸における運用を想定したドイツのUボートよりも好適な輸送手段であった。しかしイタリアの大型潜水艦は、船団攻撃には不向きであることが明らかになる。イタリア王立海軍(Regia Marina)は、BETASOMから作戦に従事する潜水艦のうち7隻を抽出し、日本からの希少な、もしくは必須な交易品を輸入するための「輸送潜水艦 (Transport submarine) 」に改装した。それらは「バニョリーニ」、「バルバリーゴ」、「コマンダンテ・カッペリーニ(1943年5月に「アクィラ III」と改称)」、「フィンツィ」、「ジュリアーニ」、「タッツォーリ」および「ルイージ・トレッリ」である。
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