枢軸軍の攻撃
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/10/13 16:40 UTC 版)
「オハイオ (タンカー)」の記事における「枢軸軍の攻撃」の解説
船団は濃い霧の中、8月9日にジブラルタルを出撃した 。翌日、ドイツ海軍のUボートU-73(英語版)から発射された4本の魚雷を受けて空母イーグル(HMS Eagle, 94)が撃沈され、260名が戦死、搭載されていた艦上機4機全ても失われた。この日、ドイツ空軍の爆撃機が船団を襲った。8月12日、20機のJu 88が船団を襲ったのを皮切りに、ドイツ空軍とイタリア空軍の約100機が船団の商船を攻撃した。 オハイオには、イタリア海軍の潜水艦アクスム(英語版)から発射された魚雷が命中し火災が発生した。オハイオは船体中央部に被弾し、マストよりも高く炎が立ち上った。この時点でオハイオは対応不能であると思われ、メーソン船長は機関停止と全甲板員の甲板消火栓を用いた消火活動を命じた。破損したタンクから火のついたケロシンが漏出し、火災現場から30メートルにわたって甲板上を広がった。それでも火災はなんとか消し止められ、オハイオは修理後に13ノットで航行を再開した。爆発によってオハイオのジャイロコンパスは破壊され、磁気コンパスもベアリングが外れてしまっていた。操舵装置も故障したために、乗員は船尾の応急操舵装置で操舵を行なわなければならなかった。 魚雷の命中によってオハイオの左舷中央部ポンプ室には8×9メートルの穴が開き、爆風は右舷にも小さな穴を開けて浸水を生じていた。隔壁には亀裂が多数生じて隣接するタンクからケロシンが船体内に流入しており、甲板にも船体内を覗くことができる程の破孔が生じていた。オハイオの左右両舷間の甲板は折れ曲がってはいたものの、船体はまだ折れずに繋がっていた。 さらに攻撃の手は緩むことなく、60機のJu 87急降下爆撃機がオハイオを狙った。 パンテッレリーア島に差し掛かる頃には、オハイオは多数の至近弾を受けていた。至近弾によって巻き上げられた海水が大量にオハイオの甲板に降り注ぎ、敵機から機銃掃射が加えられた。1発の至近弾がオハイオの外板に穴を穿ち、前部タンクを冠水させた。またこれによって、船首の3インチ高角砲は砲座が変形したため使用不能になった。続いてJu 88 20機が編隊を組んで前方から向かってきたが、これらはオハイオの対空砲火によって妨害されて爆弾は全て外れた。しかし2発がオハイオの両舷で至近弾となり、ただでさえ傷んだ船体を持ち上げて海面に叩きつけた。 その後、オハイオを爆撃しようとしたJu 87のうちの1機がオハイオの機銃によって撃墜されたが、機体はそのままオハイオの船橋右舷前部に翼の半分を激突させて爆発し、船上に破片をばら撒いていった。そのJu 87が搭載していた爆弾が機体から外れたが、幸運にも不発であった。メーソン船長は艦内電話によって、船尾の主任士官からJu 87が海に突っ込み、それから船に跳ね返ってきたと報告を受けた。だがメーソン船長は「幾分そっけなく」答えた。「ああ、そんなことは何でもない。ほぼ30分間、前甲板にユンカース88がいたよ」
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