東宝へ
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1937年(昭和12年)6月1日、J.O.スタヂオ(後の東宝)に移籍。東宝では時代劇よりも現代劇に多く出演し、今井正監督の『閣下』や、山本嘉次郎監督の『ハワイ・マレー沖海戦』『加藤隼戦闘隊』等の戦意高揚映画などに出演。また、黒澤明監督の『姿三四郎』『わが青春に悔なし』『虎の尾を踏む男たち』にも出演しており、動きこそ少なくなったが風格ある重厚な演技で芸域を広げた。 1946年(昭和21年)、東宝争議が発生し、大河内は経営者側にも労働組合側にもつかないと立ち上がり、それに賛同する藤田進、高峰秀子、長谷川一夫、入江たか子、花井蘭子、山田五十鈴、原節子、黒川弥太郎、山根寿子と共に「十人の旗の会」を結成して東宝を脱退、翌1947年(昭和22年)の新東宝設立に参加した。新東宝では『盤嶽江戸へ行く』で嵐寛寿郎と初共演し、『佐平次捕物帳 紫頭巾』で阪東妻三郎と最初で最後の共演を果たした。一方、千葉泰樹監督『生きている画像』、清水宏監督『小原庄助さん』などで渋みのある演技を見せた。
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東宝へ
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1950年からは主に東宝で活躍。同年から撮影した『佐々木小次郎』の三部作では、宮本武蔵役に三船敏郎を起用して評判を呼ぶ。次いで1954年に製作した『宮本武蔵』で三船を主役に起用してアカデミー賞アカデミー名誉賞を受賞。さらに1958年には自作のリメイクである無法松の一生にも三船を主演で起用し、ヴェネツィア国際映画祭金獅子賞に輝く。このときに本国に「トリマシタ ナキマシタ」の電報を打ったという話は有名である。 その後は黒澤明とともに東宝の大作及び時代劇路線の代表的な監督とされ、1959年に三船出演・円谷英二特撮の東宝1000本記念映画『日本誕生』を、1962年に東宝30周年記念映画『忠臣蔵』を製作し、それぞれ興行的に成功を収めた。のち東京宝映プロの代表に就任、タレントの指導や演劇活動を行った。晩年は日刊スポーツに劇画『ナンセンス三浪士』を連載した。 1980年5月21日、肝硬変で死去。享年74。
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東宝へ
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1938年(昭和13年)、長谷川一夫の東宝入社記念映画『藤十郎の恋』(山本嘉次郎監督)に出演。 1941年(昭和16年)、『白鷺』(島津保次郎監督)に出演。零落した美妓に扮し、泉鏡花の当たり狂言を原作とする「流れて動いて生きる、それが女というものでしょうか」との名ゼリフが評判となった。 戦時下に相次ぐ兄3人の死に直面し、仕事に対する情熱も冷めかけ、戦後は病気がちとなり、それに輪をかけるように主役の仕事も減っていった。1950年(昭和25年)にはバセドウ病の宣告を受け、無理を押して仕事をしながら入院費を工面し、ようやくのことで1951年(昭和26年)末になり大手術を受け、命を取り留める。
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東宝へ
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1939年(昭和14年)、再び俳優として立つことを決意して東宝ニューフェイス入社。当初は大部屋俳優だった。 1940年(昭和15年)、『妻の場合』で入江たか子、高田稔と共演し、素朴で真摯な二枚目俳優として注目を受ける。 1941年(昭和16年)、『指導物語』など、その後は立て続けに主役に起用される。 1943年(昭和18年)には黒澤明の監督デビュー作『姿三四郎』に主演。その武骨な動作は映画とマッチし、その名は黒澤と共に広く知れ渡ることとなる。またその男性的な風貌から『加藤隼戦闘隊』の加藤建夫陸軍少将役をはじめ、多くの戦意高揚映画に主演、軍人俳優として確固たる人気を得た。 1945年(昭和20年)、『虎の尾を踏む男達』の撮影中に敗戦を迎える。 1946年(昭和21年)、黒澤明の戦後第1作『わが青春に悔なし』に戦時中に自由主義者としての立場を貫いて獄死する青年を演じ、戦後の代表作となった。
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