東宝の封切館へとは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > ウィキペディア小見出し辞書 > 東宝の封切館への意味・解説 

東宝の封切館へ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/01/24 15:51 UTC 版)

岸和田東宝セントラル劇場」の記事における「東宝の封切館へ」の解説

1966年昭和41年)には、東宝封切館となり岸和田東宝セントラル劇場改称している。同列経営岸和田館洋画混映館になり、岸和田東宝閉館以来松竹および東宝映画上映していた岸和田電気館経営関西映興)が松竹および洋画の上映館に変更になる、という市内での興行系統再編が行われた。同年後半東宝は、『沈丁花』(監督千葉泰樹)、『クレージー大作戦』(監督古沢憲吾)、『ゴジラ・エビラ・モスラ 南海の大決闘』監督福田純)、『これが青春だ!』(監督松森健)等の作品公開している。 1970年昭和45年)に入ると、「山常興行」が経営した同館の姉妹館であり、市内最古映画館であった岸和田館閉館し同社は同館一本に絞ることになった。これにより市内映画館は、同館のほか、岸和田電気館経営松竹関西興行)、岸和田東映劇場経営・薩準次郎)、岸和田日活劇場経営太陽企業)、岸和田スカラ座および岸和田大劇いずれも経営同和興行)の合計6館になる。 開館30周年迎えた1975年昭和50年)に閉館し、「山常興行」は映画館事業から撤退した岸和田電気館前年1974年昭和49年)に閉館しており、同館の閉館により市内映画館は、薩準次郎経営する岸和田東映劇場のほか、同和商事(代表・浅原隆三)が経営する岸和田大劇岸和田日活劇場および岸和田スカラ座合計4館だけが残ったGoogle ストリートビューによれば2009年平成21年7月時点で同館の跡地にはパチンコ店オリンピック」が存在していたが、2015年平成27年7月時点解体され更地化している。

※この「東宝の封切館へ」の解説は、「岸和田東宝セントラル劇場」の解説の一部です。
「東宝の封切館へ」を含む「岸和田東宝セントラル劇場」の記事については、「岸和田東宝セントラル劇場」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「東宝の封切館へ」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「東宝の封切館へ」の関連用語

東宝の封切館へのお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



東宝の封切館へのページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaの岸和田東宝セントラル劇場 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS